良薬口に苦し、ってほんと?
――不景気対抗策の過去、現在
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原題 No Pain, No Gain?  ――The case against recession, past and present.

ポール・クルーグマン著  小宮山亮磨
Posted Thursday, Jan. 14, 1999, at 4:30 p.m. PT

 昔むかしのこと、人口の密集したとある島国がありました。自然資源のとぼしさにもめげず、はたらきもので利口な彼らは、世界の主な工業力のひとつにまでのし上がりました。けれど、やがて魔法の力の効きめが切れるときがやってきました。加熱した好景気が、10年近くも長引く不景気にとってかわられたのです。かつては経済職人とまでよばれた国でしたが、消えた栄光のシンボルになってしまいましたとさ。

 

  国の病気の原因とその対策について、論争がいつも大荒れになるのはしかたないよね。経済の後退が深い構造要因のせいだと見る人は多くて、たとえば変わりゆく世界に対応できない制度とか、新たなテクノロジーを使う機会を逃してるんだとか、全体的に硬直していて柔軟性が足りないんだとかいわれたりする。

  でもちがう意見の人もいて、彼らはそういう要因がはたらいてるのは認めても、不況の大部分はもっとずっと浅いものに根ざしてるんだと主張する。極端に保守的な金融政策の結果が不況なのであって、避けようと思えば避けられる。経済がほんとに必要なのは印刷機の回転(訳注:つまりお金をいっぱい刷ること)だってときなのに、おきまりの堅実な常識しか頭になくなっているのが悪い、というわけ。

 

の手の「インフレ主義者」たちが論調のメインストリームから追いやられてるのは言わずもがなだよね。セントラルバンカーや財務省の役人たちの議論によれば――あんな連中の提案を受け入れようものなら、信用は転覆し今後の不況悪化が必至であろう。それにもし仮にインフレ政策によって、経済が人工的な健康を与えられて見かけは元気になっても、根本的な改革へ向かう圧力がゆるんでしまうだろうから、長い目で見れば逆効果になる。ツケの払いを先送りにするよりも、苦い薬――失業率を上げ、会社にはよけいなキャパをはき出させることを強いる――はいますぐ飲んだほうがいい。

  はいはい、これはひっかけだよ。前の文章は、いまの日本についての議論を表現したものと見ることもできる(ぼく自身はもちろん、日本の不景気の治療薬としてのインフレ論者で、いちばん悪名高いんだからね)。でも実はこれ、1920年代のイギリスのことを述べたものなんだよ――休暇中の読書で、ぼくはよくわかったんだ。そのとき読んだのはロバート・スキデルスキーによるジョン・メイナード・ケインズの伝記の2巻目で、これは1920年から37年にかけての苦難の時期をカバーしている巻だ。(ちなみに「ジョン・メイナード・ケインズ:救済者としての経済学者」というのがその巻のタイトルだ)

 

キデルスキーの本は、内容を信じるにせよ信じないにせよ、もうとにかく最高だ。経済学者のくせに、ケインズの人生はおもしろいものだった――でもほんというと、世界のあちこちを飛び回ることなくまんまと世界を変えたそのやりかたに、ぼくは嫉妬してもいるんだけどね(考えてもみてよ。時差ぼけを一度も経験せず、目的地へ向かうときと帰るときにかかる時間のほうが、そこで過ごす時間より長いような出張だってぜんぜんしたことのないままに、著名な経済学者でいつづけるなんてさ)。それに経済思想史に興味のある人なら、ケインズがだんだんと苦しみながら自分のアイデアに到達したお話――そして生まれた彼のビジョンが、ライバルの学派とどう衝突したのかについてのお話――にわくわくするだろう。(例を知りたいならここをクリック)

  でもスキデルスキーの本のなかで最近のできごととほんとに共振するのは、1920年代イギリスの金融政策についての大論争に関わる部分だ。アメリカと同じくイギリスも、第一次大戦直後の不動産投機に支えられた、インフレ性の好景気を経験している。どちらの国でもこの好景気のあとには、やっかいな不況が待っていた。でも、アメリカはそこからまもなく復活して、大繁栄の10年間を大恐慌まえに経験したのだけれど、イギリスの不景気はぜんぜん終わらなかった。失業率は、戦争前は平均して4%かそこらだったのが、10%以上のところにがんこに居座りつづけた。これが最近の日本とパラレルな状況なのは明らかだよね。日本も1980年代後半の「バブル経済」が8年前にはじけてこのかた、いっこうに回復してこない。

 

 

の問題について考えたほとんどの人のあいだでは、長期にわたるイギリス経済力の相対的な下降は、構造的な弱さと大いに関係している、というのが一致した見解だった。たとえば石炭や木綿などの伝統的産業へ依存しすぎている、階級支配の教育システムが技術者や経営者よりもむしろ紳士の生産のほうにあいかわらず精を出している、ビジネス文化が家族経営から近代株式会社へ移行できていない、など。(ケインズはまわりくどい言いかたを知らないので、こう書いている。「財産や経営権の譲渡に関する世襲主義が、資本主義の指導力の弱さと愚鈍さの原因である。第三世代(訳注:おじいさんのものを相続してる孫たち)の人々によって、あまりにも多くが支配されすぎている」)

  同じように、この問題を考えるすべての人は、最近の日本は構造的に深い問題を抱えている、という見解で一致している。たとえば伝統的な重工業から脱するのに失敗している、教育システムが進取よりもむしろ服従に力点をおいている、ビジネス組織が大会社の経営者を市場の現実から絶縁させている、など。

  でもこの種の構造的問題って、高い失業率につながらなくちゃいけないものなんだろうか? 低成長への対抗策としては失業もしかたがない? 非効率な物価の代償が不況なの? 当時のケインズはそうは思わなかったし、ぼくらのうちで彼のと似た考えかたをする人たちも、そうは思っていない。不況とは一時的な痛み止めによって戦えるし、またそうやって戦うべきなのだ、というのがぼくらの主張だ。構造的問題にはぜひとも取り組もう、けれど消費者と投資家が買い物しつづけるようにお金を刷って、労働力を無駄にするのも防ごうじゃないか、というわけ。

 

の提案への反対意見のひとつは、そんなの利益より害のほうが大きいに決まってる、というものだ。1920年代における偉人賢人の方々が信じるには、イギリスの回復への本質的な前提条件とは、戦前の金本位制の復活だった。戦前のレート、すなわち1ポンド=4.86ドル。この目標は達成する値打ちのあるもので、もし賃金と物価の実質的な下落――つまり全般的なデフレってことだ――を招いたとしてもしかたない、と信じられていたわけ。だからデフレ回避のために1914年から起こったポンドの切り下げは、明らかに無責任なやりかただったんだ。

  もちろん現代ではうってかわって、歴史的金融ベンチマークの名においてデフレをとなえるのは無責任だと見られがちだ(ちかごろの香港は合衆国ドルに対する通貨の固定レートを守るために、事実上のデフレ政策をしてるけどね)。でも、正統派信者が経済分析の論理よりも優位に立ってるのはむかしと同じ。日本の場合は、「調整インフレ」を故意につくりだすことによる回復戦略をめぐって、知的でおもしろい議論もかわされている。でも偉人賢人の皆様方ときたら、価格の安定がだいじでインフレはいつだって悪いものだってこと、よーくご存じなんですもの。

 

れど、スキデルスキーの本でぼくがほんとに驚いたのは、高い失業率を良いものだとする通俗的な見解が、1920年代に幅をきかせていたことだった。失業とは余分が修正され、秩序が回復したしるしなのであって、経済を元通りふくらませようとして成功しても、それはやはりまちがいなのだ、というわけ。そしてこれとそっくりそのまま同じ議論が、いまなされている。ふだんは穏健なとある日本人エコノミストがぼくに言うには、「あなたの提案では、あの連中がむかしと同じことをやり続けるのを許すことになりかねないんですよ。不況でやっとこさ変化が起きようっていう、まさにそのときだってのに」。

  つまり、今日の日本において――そしておそらく明日のアメリカにおいても――不況から脱けだすのにマネタイズしちゃいけない理由をめぐる議論のうらがわには、痛みは良いもので、より強い経済をうち立てるには痛みが必要だ、という信仰があるんだ。さて、最後はケインズに決着をつけてもらおうか:「こんなものをまともな提案だと思ってしまう人がいるということ自体が、我々の経済問題運営に対する深刻な批判なのである」

 


このサイトに関して

このコラムの常連読者はわかるだろうけれど、今回のコラムでは、いまもつづけられている議論の一部について書いた。ふつうの状況ではなぜお金を刷れば不況が解決するのか、なぜ日本がわざとインフレ政策をうつ必要があるのかについては、SlateのぼくのコラムSetting Sun「経済を子守りしてみると。」を見てね。より専門的な解説がほしければ「日本がはまった罠」「日本:まだはまってます」をどうぞ。不況のことを何やら以前の浪費に対する罰だと見るような傾向を、ちょっぴりちがったかたちで知りたければ、SlateのThe Hangover Theoryを見て。
「スキデルスキー、ケインズとポストケインジアン」専門のdiscussion groupはここ。スキデルスキーによるケインズの見事な伝記は、Amazon.comで買えるよ。第一巻John Maynard Keynes: Hopes Betrayed 1883-1920を注文するには、ここをクリックして。第二巻John Maynard Keynes: The Economist as Savior 1920-1937なら、ここをクリック。



ポール・クルーグマンはマサチューセッツ工科大学の経済学教授で、最新の著書はThe Return of Depression Economicsです(買いたい人はここ をクリック。邦訳「世界大不況への警告」はこちら)。彼のホームページからはこれ以外にも彼のいろんな論文やエッセーがリンクされてます。

イラスト:Robert Neubecker


注:

最近、Barron's誌の「編集者へのe-メール」でやりとりしたことがあったので、『救世主としての経済学者』の以下の小話にはかなり笑わせてもらった:

1931 年、フリードリッヒ・ハイエクはケンブリッジ大学で講演を行い、大恐慌への彼なりの対策について説明した――「最も迅速なる対処法は、人々がもっと貯蓄をして投資が回復するようにすることである」(中略)ハイエクの提案を迎えたのは完全な沈黙だった。が、観客の中にいたリチャード・カーン(ケインズが独自のアイデアを展開するのを手伝った人々)は、自分がなんとか沈黙を破らなければと思ったのだった。そこでかれはハイエクに尋ねた。「つまりあなたの見方ですと、私が明日でかけて新しいコートを買ったら、それは失業を増やすことになるわけですか?」 「その通り」とハイエクは答え、三角形だらけの黒板のほうに向き直った。「でもそれを説明するにはとても長い数学的な議論が必要になります」

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