日本の流動性トラップについて:追記

FURTHER NOTES ON JAPAN'S LIQUIDITY TRAP

Paul Krugman

山形浩生 訳


 日本の流動性トラップについてのぼくの文 (翻訳「日本がはまった罠(トラップ)」)はあちこちで読まれて引用されているけれど、マスコミの記事やぼく個人のやりとりから判断すると、この分析の一部は十分に理解されていないみたいだ(これは一部、ぼく自身にも責任がある。あの論文は少し堅苦しかった――そしてある点でちょっとまちがっていたし。これについては以下で説明する)。というわけで、みんなに聞かれた質問の答えを。

1. で、政策的には何をしろと?

 多くの人はどうやら、ぼくの論文が単に「日本はむちゃくちゃ金を刷れ!」と言ってるだけだと読んだらしい。たしかにぼくは過去にそう論じたこともある(What is wrong with Japan?邦訳「日本さん、どうしちゃったの?」 )し、そういう政策が悪いとはぜんぜん思わない。でも、いまのぼくは「日本のはまった罠(トラップ)」の分析から、どんなに大きくても「現時点の」金融拡大はたぶん効果がないと考えている。必要なのは、信用のおける形で「将来の」金融拡大を約束することにより、インフレ期待をつくりだすことだ。

 日銀はどうやってそんな約束をすればいいだろう。自然なやりかたとしては、長期的なインフレの目標値を設定することで、その目標を達成するためにはなんでもするぞ、という意志を表明すればいい――基本的には、たとえばニュージーランドやイギリスがやっているようなインフレ目標設定と同じだけれど、その目標は「理解が得られるほど低く」ではなく「理解が得られるほど高く」になるわけだ。すぐに出てくる質問は、どのくらい高くすればいいの、そしてどのくらいの期間にわたって? ということだ。そして答えは一言で「わかりません」なんだけれど、でもこの点は目下作業中。見当だけれど、たぶん必要なインフレ率はそんなに高くない。ただし、みんなそれがかなり長く続くと考える必要がある――たとえば、4% のインフレが 15 年続く、というような話だろうかね。

2. なぜこれがうまく行くと思うわけ?

 こんな思考実験をしてみてよ。日本が 1980 年代にあんなに律儀に価格安定を追求せず、結果として 90 年代に入ったときには、根っこの期待インフレ率が 5% くらいあったとする。期待インフレが 5% あったら、金融政策で必要なだけ需要を増やすのは造作もない。名目金利ゼロになれば、実質金利はマイナス 5% で、そうなったら貯蓄が避けられ、投資が促進されて、そして――はいはいその通り――円安が加速しただろうけど、円安の話はまたあとで。

 だから日本が 1980年代にインフレ期待をなくそうとあんなにがんばらなければ、今のような問題は起きなかっただろう。実は日本の経済危機は、経済の歴史上でいちばんすさまじい自殺点だったりする。日本の政策担当者がこんなひどいことになったのは、部分的にはかれらが正しいことをやろうとしたからなんだ。

 でも、この思考実験は、日本が過去からインフレ期待を引き継いでいたらどんなによかったか、ということは示しているけれど、なぜそれが過去からくる必要があるの? 将来、必要なインフレを供給しますとまじめに約束することで生じるインフレ期待だって、まったく同じ結果をもたらすはず。

3. 日本の病状ってのは、いろんな構造問題のせいじゃないの?

 日本の構造問題? もちろん山ほどあるに決まってる。でも、それはいろんな意味で、ぼくの議論とはほとんど関係ないんだ。

 こういう言い方をしてみようか。日本はいま、強いデフレ圧力にさらされている。金融政策はすごく拡大指向なのに、こういう事態になってるんだ。なぜこんなことになるんだろう。いわゆる「マネーの中立性」仮説――つまり、ほかの条件が同じなら、価格水準はマネーサプライに比例するという想定――はぼくの知る限りあらゆる金融理論の中心にある。これには条件はついていない。つまり、マネーサプライが物価をあげるのは「企業の負債が少ないときに限る」とか「サービス部門の規制緩和が進めば」なんていうことはどこにも書いていないわけ。ときどきつける唯一のただし書きは、価格は短期的には変わりにくい(硬直的である)ので、金融引き締めはデフレではなく不況を引き起こし、金融拡大はインフレではなく好況を産み出すことがある、というくらい。でも、ぼくの知る限りでは、金融政策とは無関係に経済がどうしようもないデフレにさらされるのを説明する構造議論なんか、一つもない。

 でも先日の論文でぼくが指摘したのは、マネーの中立性についての伝統的な記述にくっついた、見すごしがちな脚注のことだった。厳密にいえば、マネーの中立性はマネーサプライの恒久的な増加にだけあてはまる。一時的なものと受け取られる金融拡大は、ある状況下――というのはつまり、市場をクリアする金利がマイナスの時――には価格水準をあげるにはまったく何の役にもたたないし、価格が硬直的なら、産出を増やす役にもたたない。要するに、金融政策は本当は無力ではないんだ。効果がないのは、それが続くとみんなが思ってないせいなの。だからその裏返しで、金融拡大の継続を信用できる形で約束できるなら、それはデフレの特効薬として必ず効く。

 さて、そもそもこういう状況をつくりだしたのは、日本の構造上の問題なんだ、という議論があるかもしれない。そうかもしれないね。構造問題を手早く解決できるような手だてがあるんなら、そりゃ結構。でも、そういう手だてがないんなら、デフレに対抗するには金融政策がまだ必要なんだ。それに、必要な実質金利がなぜマイナスなのかはどうでもいいことだ。理由はどうあれ、それがマイナスである限り、金融政策が有効性を持つためには、金融当局が長期的なインフレを認めると思われなきゃならない。

4. 財政出動だっていいんじゃないの?

 財政支出の拡大は、確かに経済に需要を送り込む方策の一つではある。そして日本のどうしようもない惨状と、どうすればうまくいくか本当にはっきりしないということとをあわせて考えるなら、インフレへのコミットと同時に財政支出を拡大したほうがいいとは思う。

 でもぼくは、財政出動だけでは有効かどうか疑問だと思う。その理由は3つある。

 まず、日本の消費者が本当に「リカードの中立命題」みたいなものを示すとしたら、政府支出による乗数効果はまったくない。ぼくの先日の論文は、この点で実はモデルの意味するところをまちがえて書いている(これはいいモデルの印でもある――モデルの方がときには自分より賢いというわけ)。本当に意味しているのは、現在の消費は現在の政府支出にはまったく反映しないということだ(お望みなら、オイラー条件に縛られている、と言ってもいい)。だから、公共事業はその公共事業費の分だけ消費を増やすにとどまる――それ以上はまったくなし。

 ということで、第二の論点にやってくる。日本の長期的な財政状況はいささか不安なものなので、毎年のように巨大な財政赤字を続けてなんとか経済を上向かせるというのでは困ってしまう。そして強力な乗数効果がない以上は、経済がますます深く不景気にすべり落ちるのを防ぐには、まちがいなく巨額の赤字が必要になってしまう。財政出動一発が長期的な効果を持たないんとすれば。

 そしてそれが第三の点だ。財政支出による刺激が持つ長期的な意味について、真剣な議論はあまりないけれど、多くの人がほとんどの人はだいたい「pump priming」のようなことを念頭においているはずだ(実は、アメリカでも日本でも、pump priming ってのが何のことか見当のついてる人はほとんどいない。「ジャンプスタート」と言ったほうがピンとくるだろう)。要するにこれは、経済がひとたび動き出してしまえば、信用が回復して、支出を下支えしてやる必要はなくなる、ということだ。さて、これは事実かもしれないんだけれど、でもその証拠はあまりない。少なくとも、日本には構造的にマイナスの実質金利が必要とされていて、それがあと数年は続くという可能性は本当にある。ということは、経済は巨額の財政刺激を受け続けなきゃならないか、あるいはインフレを維持しなきゃならないということだ。

5. デフレを片づけるだけでいいんじゃない? なぜインフレまでいく必要があるの?

 ぼくの提案しているこたえというのは、デフレをなくすだけという選択肢はないってこと。日本は――流動性トラップにはまった経済すべてと同じく――マイナスの実質金利が必要なんだから、実質的にインフレが必要なんだ。いささかパラドックスめいた結論は、ぼくたちがいま目撃しているデフレというのは、経済がインフレを達成しようと努力している結果なんだということだ。ぼくはこれが事実だと思う。日本は、将来にくらべて今の価格を低くしようとしているんだ。経済が完全雇用を実現するためには、将来の価格水準はいまよりも絶対に高くなる必要がある。だから、デフレがいやなら、インフレ期待をつくる必要がある。

 はっきり言っておくけれど、ぼくは結論ありきではじめて、それを正当化するようなモデルをでっちあげたんじゃない。ぼくがやったのは、まずは非常にオーソドックスなモデルからはじめた――強硬な反ケインズ主義者や価格安定論者が大好きなようなモデルだ――そして、それがいまの日本でみられるような、金融政策の機能不全をどうすれば生み出せるか考えてみたんだ。すると出てきたのが、インフレ必要論だった――蛇足ながら、これにはぼく自身も驚いたんだよ。もしこの結論を受け入れたくないって言うなら、これにかわるモデルを提供してくれるか、そうでなければ、あなたが反対してるのは分析に基づいてのことじゃなくて、単に山勘でものを言ってるだけだってことだ。

6. 本当に大事なのは、金融機関の不良債権処理じゃないの?

 もちろん日本は、がんばって銀行をきれいにしなきゃ――ひどいのはつぶすか、少なくともいまの株主を追い払って資本を入れ直して、売っぱらわなきゃ。日本はまちがいなく、アメリカの S&L を片づけた RTC の巨大なやつを必要としている。

 しかしそれはそれとして、それでマクロ経済の問題が片づくだろうか? アメリカのS&Lの問題は、連中が貸さなかったことじゃない。むしろ、貸しすぎたってことだ。日本の銀行でもたぶんそうだと思う。アメリカがひどい金融機関をつぶすのになぜあんなに急いだかといえば、連中の赤字がつもればつもるほど、他人の金でばくちをうつインセンティブが大きくなったからだ。でも、ということは、ダメな銀行をきれいにすれば、少なくとも最初は貸し出しが減って、だから需要も下がるってことだ。だから結果としてそれは、不況を悪化させることになるだろう(ちょうど、90年代初期のアメリカでの住宅金融危機の後かたづけのときみたいに)。

 ここで唯一話をややこしくしているのは、最近の日本がどうやら、近い将来にダメな銀行をつぶすだろうと予想される段階に入ってきたってことで、だからそのせいで銀行はなんとかそれを切り抜けようと、貸し渋りをしてるってことだ。伝統的な見方をすれば、クレジットクランチが過去1年かそこらで生じてきていて、このクレジットクランチは、政府が銀行の精算を終えたら解消されるだろうってことになる。でも、そうなっても結局、状況は一年ほど前と同じところに戻るだけのことだ。銀行をきれいにしたところで、それが最終的に需要を強く刺激してくれるとはぜんぜん思えない。最終的どころか、何の刺激になるとさえ思えないな。

7. そんなことしたら、円はどうなる!?

 インフレ政策は、確かに円安政策だ。それがどうしたの?

 いまおそれられているのは、円が落ちたら、人民元も落ちて、そうなったらいたるところで我も我もの大切り下げ合戦が起こって、信頼が崩壊する、ということだ。こういうおそれを完全に否定しきることはできない。短期的には、資本の流れは確かにすごく変動が激しくて、だから世界を支配するロンドンの 29 歳トレーダーどもが何かを事実だと思ったら、それが数日間か数時間かはそれが現実になったりもするだろう。

 でも、ちょっと一歩下がって、もっと基本的なことを考えてみよう。仮に円がもう 30% 下がって、日本以外のアジアの通貨が 10-15% ほど切り下がって、実質為替レートはおおむね同じのままになったとしよう。そんな大惨事になるだろうか? 市場が、対ドルレートの低下それ自体をひどいものと思ってる場合だけだね、そんなことになるのは――でもこれって、まさに循環論法だ(自己実現性の通貨危機が生じる世界では、必ずしもまちがってはいないけれど、でも必ずしも正しいものでもない)。

 アメリカの政策の根っこにある特殊な考察というのは、円安は人民元の切り下げにつながって、それで市場不安をかきたてるいろんな効果が生じる、というもの。これまた、そうかもね。でも人民元がたとえば 30% 下がったとしても、日本以外のアジア(中国を含む)がそれよりずっと小さい切り下げをすれば、コスト競争力はまちがいなく十分に回復する。何がそんなにいけないわけ? みんながおそれているのは、人民元が切り下がるときには、とんでもない規模で切り下がるはずだってことらしいね。でも、どうして?

 ぼくもこういう議論を完全に切り捨てたいとは思わない。でも最終的には、世界第二の経済の政策が、トレーダーたちの気分や中国の都合なんかにどこまで左右されなきゃならないのか、というのを考える必要がある。忘れないでほしいんだけど、中国なんて市場価格でみれば、日本の経済規模のほんのかけらにすぎないんだよ。

8. これってえらくイカレた無責任な考えじゃないの?

 日本の流動性トラップの問題を考えるにあたって、ぼくはなるべく知的な人質をたくさん提供するようにしてきた――できるだけ古典的で、オーソドックスなアプローチを採用するようにしてきたということ。「日本がはまった罠(トラップ)」は、マクロ経済学での流動性トラップに関する一般論を論じた学会論文として十分に読めるんだ! ところが結果として、このきわめて格式張った分析から出てくる避けがたい結論ですら、過激なものに聞こえてしまう。ある経済(原理的にはどんな経済でもいい――日本はたまたま分析のきっかけになった事例にすぎない)が流動性トラップに入ったら、そこではインフレ期待が必要になる。

 さて、オーソドックスな経済分析が、オーソドックスでない政策上の結論を示唆したら、どうしようか。いままで通りの知恵にしがみついてもいい――たとえそれが機能してなかったとしても。あるいは、いままで通りの知恵はいままで通りの状況に対応するためのものなんだと考えることもできる。そしてまったく新しい種類の経済的な疾患に直面しているときには、きっちり詰めた思考の結果は真剣に受け止めるべきなんだ。


付記:下西知行氏より、一部誤訳の指摘をいただきました。ありがとうございます。


Translated by YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)