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なぜ経済学者の予想はほぼまちがっているのか (1998)

Why most economists' predictions are wrong. (Red Herring, 1998.06.10)

ポール・クルーグマン
山形浩生

要約:
いまは驚異的なハイテク進歩の時代のはずだけれど、アメリカは所得水準も停滞し、生産性も上がっていない。ハーマン・カーンの予想した技術はあまり実現していない。そしてみんなが知っているインターネットなど情報技術の進歩は、実は思ったほど生産性にも労働時間にも影響していないのだ。今後5-20年でその期待外れぶりはあらわになってくるはず。


みんな、いまのぼくたちが驚異的な技術進歩の時代に生きているのを知っている——だれも予想しなかったほどの急激な進歩だ。でもみんなが知っていることは本当に正しいんだろうか?

 最近図書館にでかけて、かつては有名だったハーマン・カーン『紀元2000年――33年後の世界』を借りてきた。1967年の本だ。この本がお気に入りなのは、それがあまりに楽観的な経済予測の見事な例だからだ。カーンはおそらく、かなりまともな人々の意見に基づいたんだと思うけれど、20世紀最後の三分の一で生活水準は倍増し、それなのに労働時間は激減する。彼は2000年には週の労働時間30時間、年に休暇13週間が普通になると述べている。そして過剰な余暇時間が持つ社会的な意味について考察する。この予言は実現しなかったけれど、ほとんどのアメリカ人たちは乏しい稼ぎのかりくりにいそがしくて、そんなことを気にしていられなかった。

 なぜカーンは——他のほとんど全員と同じく——こんなに楽観的だったんだろうか? それは驚異的な技術進歩を予測していたのに、それがほとんどは実現しなかったことからきている。

ロボットはいない

 カーンはおあつらえむきに、2000年までには「きわめて可能性が高い」とされる100のイノベーションを挙げてくれた。さらに「少し考えにくい」(訳注:"somewhat unlikely"。文脈と後出の記述から考えて「多少は可能性がある (somewhat likely)」のまちがい。)可能性も25個挙げている。そして実は、かなりいい成績を挙げている。きわめて可能性が高い中には、実際に起きた多くの技術的な大変化が含まれている。たとえば、ほとんどの人が家にコンピュータを持ち、それをデータベース検索と通信の両方に使えるようになると述べている。またポケット電話、ビデオデッキ、家庭人工衛星アンテナも予測している。実際、1967年以来の重要な技術的発展で、この一覧に入っていないものは一つとして思いつかない。

 彼のまちがいはすべて反対方向のものだった。彼が予測した多くの技術的な発展は、革新的な新エネルギー源、劇的に安い建設技術、海底都市などは実現しなかった。実のところ、ぼくが数えたところでは「きわめて可能性が高い」としたイノベーションのうち、実現したのは主に情報処理分野での1/3でしかない。残り2/3は実現していない。(一例を。カーンは1984年までに家庭用お掃除ロボットが実現するかどうかは怪しいと思っていたが、2000年までにはまちがいなく登場すると思っていた)。(訳注:みんなふと思ったと思うけれど、Roombaが登場したのは2002年だった。)。そして、「多少は可能性がある」に分類されていたものは何一つ実現していない——あるいは当分実現しそうにない。要するに、未来を振り返って見ると、技術は予想に比べて進歩が大きいどころか小さかったからだ。

 どうして情報技術がこれほど躍進しているのに、こんなことがあり得るんだろうか? 一つの答は、投入と産出はちがう、というものだ。コンピュータの計算力は驚異的な勢いで伸びたが、それがその有用性も同じくらい高めただろうか? いちばん目につく例としてワープロを考えよう。これは80年代末から大して進歩していない。そして知り合いの多くの人に言わせると、DOS用の WordPerfect 5.1 は、彼らの用途からすればその後の肥大ウェア群のどれよりも優れていた。(訳注:はいはい。WordPerfectというのは昔、MS-Wordと覇権を競っていたワープロソフトだったんですよ。あとDOSというのは……)

シリコンバレーのピーク

 別の説明としては、なんだかんだ言って結局のところ、しょっちゅう耳にする技術進歩は経済のごくわずかな部分でしか起きていないということだ。シリコンバレーは、アメリカ労働者の0.3%ほどを雇っているにすぎないし、情報技術全体としても雇用しているのは3-4%に満たない。もちろん情報技術の定義を広げることはできるけれど、それをやったら話が無意味になる。

 だから、大風呂敷は気にしないこと。真相はと言えば、ぼくたちが暮らしているのは驚異的な進歩の時代ではなく、技術的な失望の時代なのだ。だからこそ、未来はかつて思われていたようなものじゃないのだ。

ポール・クルーグマンはMITの経済学教授です。

未来についての考え

ポール・クルーグマンは次のように予測します。



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HTML5 Powered with CSS3 / Styling, and Semantics 2021.03.19 YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>