おとぎばなし:ぐろぉばる金融

A MONETARY FABLE


Paul Krugman
山形浩生 訳



 むかしむかし、世界には通貨がたった一つしかありませんでした。その名はグローボ。その運営も、なかなかのものでございました。ぐろぉばる準備銀行(通称グロ銀)は、アラン・グローブスパン議長の指導のもとで、世界が不況におちいりそうになればぐろぉばる通貨供給をふやし、インフレのきざしが見えてきたら、発行量をおさえたのです。後世の人々はこのグローボの時代を讃えて、あれこそ黄金時代だったと述懐したものです。この仕組みはビジネスマンには特にお気に入りでした。世界中どこでも面倒なしに売り買いできたからです。

 しかしながら、この楽園にも困った点がございました。ともうしますのも、グローボを慎重に運営すれば、世界全体としては好況・不況のサイクルをおさえられたのですが、世界の部分ごとではそれができなかったのです。だから金融政策に関して、しばしば利害の対立が起きてしまうことになりました。あるときのグロ銀は、ヨーロッパとアジアが不況寸前なので金融緩和の方向に動きます。が、こうしてお金があふれると、アメリカではものすごい投機ブームが生じてしまいました。あるいはまた別のときになると、グロ銀は北アメリカのインフレをおさえるので、金融引き締めをするしかなくなりますが、これはラテンアメリカでの不況を悪化させるばかり、という結果になってしまいます。そして各地域はこれに対して、打つ手はまったくありませんでした。

 そうこうするうちに、なにもできないのでみんなイライラしてきました。そしてグロ銀が政策上の失敗をやってしまい、深刻な世界的不況を防ぎきれなかったときに、この体制は崩壊してしまいました。各地域は自前の通貨を導入することとなりました。ヨーロッパはユーロを導入し、ラテンアメリカはラティーノ、北アメリカはグリンゴ、などなど。でも、こういう各地域の通貨はどう管理するのがいいのでしょうか?

 最初、お役人たちは通貨を自由に取り引きさせる度胸がありませんでした。そこでラティーノをグリンゴに換えるには、政府の許可がいることにしました。そしてその許可は「適切な」輸入の時にしか認められませんでした。でもしばらくすると、このやり方ではメリットのある貿易も減ってしまうし、汚職のはいりこむ隙もたくさんあることがわかってきました。一つ、また一つと、世界の地域は通貨の自由兌換へと戻ってきました。が、まだ通貨が不安定になるのはこわかったので、それぞれの政府は外国為替市場で売買をして、為替レートを安定させようとしました。

 しかし嗚呼なんたることでしょうか、この方式もふたを開けてみると、深刻な問題があったのでした。というのも、世界単一通貨から複数の地域別通貨に移行したそもそもの理由は、政府が必要に応じて不況に対応できるように、それぞれ独自の金融政策を持たせるためでしたよね。でもある国が、不況対策でお金を刷りながら、一方で同時に外国為替市場で通貨の価値が下がらないようにする、というのは不可能です。通貨の切り下げをすれば、競争力はあがります――たとえば 1 グリンゴを、1.2 ラティーノから 1.5 ラティーノに下げることはできます。でも、ラティーノがほかの通貨に自由に交換できるようになったら、通貨切り下げをちょっと匂わせただけで、弱い通貨に対してものすごい投機を引き起こします。

 では、どうすればいいのでしょうか。

 一つのやりかたは、為替レートを安定させるのをあっさりあきらめることです。そんなのは市場に任せておけ、と言って。ただ困ったことに、経験的に見て市場は、この任にはえらく無能だったのです。たとえばユーロとグリンゴの為替レートは、貿易上の必要に応じて決まってくると思うでしょう。つまり、北アメリカ人が、ヨーロッパの品物を買うのでグリンゴをユーロに変えて支払いをしたり、あるいはその逆が起きたりするわけですね。が、すぐにわかってきたのが、市場に巣くっているのはおもに投資家だということでした。この人たちは、株式や債券を売買するために通貨を売り買いするわけです。そしてこういう投資需要はとても不安定だったし、かなりの部分が投機だったので、為替レートも不安定になってしまいました。もっとひどいことに、みんな通貨の価値そのものまで投機のタネにするようになってしまったのです。結果として、為替レートはえらくはね回り、企業はもう自分の海外資産や負債の本当の値打ちがわからなくなって、大きな不確実性を抱えることになってしまいました。

 政府の中には、これはかわいそうではあるけれど、でもそれに見合うメリットはあるんだ、と決めたところもありました。たとえば北アメリカは、為替レートを安定させるために国内目標を犠牲にしたくありませんでした。ですからグリンゴの価値については、知らぬ顔の半兵衛を決めこむことにしました。もちろんこれは、小さな通貨ゾーンよりも、大きめの自立した経済のほうがやりやすい政策ではありました。でも、そういう小さな通貨ゾーンでも、自由為替レートのもとで繁栄しているところはありました。カンガルーははね回ってばかりでしたが、オーストラリアの経済はとても好調です。そしてしばらくの間、ほとんどの経済学者は、変動為替相場というのは、確かに不完全ではあるけれど、でもほとんどみんなにとって、まあまあうまく機能するもんだと信じるようになりました。

 でもそこで、世界の貧乏な地域が第一世界まがいのまねをしだしました。投機攻撃がきたときに、為替レートが変動するのに任せたのです。すると、大惨事が起きてしまったのです。キログラムがユーロに対して変動為替制になったときには、あまりひどいことにはなりませんでした。キログラムは 15% ほど下がって、安定しました。まあつまり投資家たちは、「よーし、これですんだな」と思って、その国にまたお金をつぎ込みはじめたわけです。そして中央銀行は金利を下げて、経済回復を演出できました。でもラティーノがグリンゴに対して変動為替制になったとき、投資家たちはパニックを起こしました。ラティーノは自由落下状態になって、ものの数週間で価値は半減。多くの企業はグリンゴだての債務をかかえていたので、これは金融上の大惨事でした。だから政府は、金利を 75% に上げてラティーノを安定させようとしました。こうすれば、投資家たちもお金を引き上げないでおいてくれるかな、と思ったわけですね。でも、その結果はというと、悲惨な不況でした。ということは、結果的に投資家たちのパニックは正当化されてしまったのです。

 そして同じ話が、何度も何度も舞台を変えて、繰り返し起こりました。そうこうするうちに、すべては繰り返しやってくる悪夢のように思えてきたほどで、毎回同じようなおそろしいことが起きます。まず、順調にやってきた国が、いきなり投機攻撃にあいます。その理由は、現実ではあるけれど十分手におけるような経済問題だったり、あるいは世界の裏側でおきた経済危機の心理的「波及効果」だったり、あるいはたまに、ヘッジファンドの空売りの陰謀だったりします。続いて、ぐろぉばる金融基金(GMF)からのチームがやってきて、お金を貸して御国を救ってさしあげましょう、ただしそのかわり、ものすごい不景気を確実に生むようなことをしなきゃダメですよ、と申し出ます。増税、支出削減、すさまじい金利の引き上げなど。こういう手だては、市場の信用を回復して事態を安定化させるはずでした。でも、これは経済を停滞させ、さらに国内政治も不安定にさせてしまうので、数ヶ月もすると別の危機が生まれてしまうことになります。なかには、やがて危機から回復する国もあり、これは GMF の提言がうまくいったことを実証する例として言祝がれました。でも、危機が次から次へと4年も続き、8ヶ国の経済がむちゃくちゃになって、しかもその記録がいまだ更新中となると、、世界経済はだんだんえらく危険なところに見えてきたのです。

 かわいそうなラテンアメリカ人(やアジア人やXX人や……)はどうすればよかったのでしょうか。

 経済学者のなかには、発展途上国の多くはそれでも変動為替制に移行すればいいよ、と論じる人もいました。通貨の崩壊は、実は GMF の政策がまちがっていたせいで、避けられたはずのものだ、というのがかれらの議論でした。そして確かに、かれらが正しそうなときもありました。たとえば 1999 年 1 月のとある金曜日、アマゾニアは変動為替に移行しました。当初の結果は、予想よりずっとよかったのです。為替はちょっと下がっただけで、株式市場は高騰。でも、その週末に GMF のお役人たちは、アマゾニアは金利をあげなさいと要求(かれらはひょっとして無意識のうちに、非 GMF 型の経済政策が成功したら、自分たちの過去のやり方にケチがつくのをおそれていたのでしょうか?)。月曜日に金利引き上げが発表されると、パニックがやってきました。そして、かすかな楽観論は、もろくも崩れ去ったのです。

 でもほとんどの経済学者はもっと悲観的でした。かれらにいわせると、発展途上国はどういうわけか、先進国とはちがった扱いを市場から受けているようだったのです。だから発展途上国では、変動為替制はうまくいきません。だからなんとかしようということになりました。

 あり得る答の一つは、マストにからだを縛りつけることで信用を回復することでした。つまり通貨ボードを導入することです――ラティーノすべてについてグリンゴの準備金を用意して、交換比率を絶対に変えないと宣言――あるいはこれでも足りないなら、自分の通貨をあきらめて、経済の「グリンゴ化」(またはユーロ化)をしてしまうことです。これは要するに、かつてのグローボ制の低俗版に戻るということですね。低俗というのは、グローボ制の欠点はすべてひきついで、しかも新しい問題が付け加わっているからです。というのも、アラン・グローブスパンは全世界のことを考えてグローボを運営していましたが、その後継者――グリンゴ供給を仕切るグリンゴスパン氏に、ユーロ供給を仕切るユーロベルグ氏――はもっと偏狭な配慮で動いていたからです。(そしてその配慮がちがっているため、ユーロ・グリンゴ為替レートはとても不安定で、両方の地域とたくさん貿易をする小国としては、どちらか片方に通貨をペグするのはとても困った問題でした。)さらに、ナショナリズムだってまだ死んではいません。独立国家がほんとうにプライドをかなぐり捨てて、永久に従属的な通貨を受け入れるなんてことができるものでしょうか。

 もう一つあり得る答は、為替統制を復活させて、経済が投機的な攻撃にあまりさらされないようにすることでした。こういう統制をしないほうがいい理由は、あいかわらず(いやいつも以上に)強力なものでした。が、統制を維持した国は、廃止した国に比べて、危機のときも目に見えて症状が軽かったのです。ひょっとすると、不完全な世界では、統制することによるコストも支払うだけの価値はあるのかもしれませんね。

 もちろん最悪の手だては、選択を先送りにすることでした。信用があやしげになっている通貨を高い金利で防衛し、不景気と財政危機をつくりだして、それで投資家も、次は通貨統制かな(もちろん政府は全面的に否定はしましたが)、と心配せざるを得なくなってしまうわけです。でももちろんながら、政治というのも人間というのも、ご存じのとおりのものでしかありません。ですから、ほとんどの国は危機がきても、まさにこの最悪の手をとるばかりでした。(そしてもっと許し難いのは、GMF が何度も何度も薦めたのも、まさにこの手だったのでした。)

 かくて世界は、一難去ってまた一難と、危機から危機へよたよたうろつき続けるばかりでした。そしてみんなはその先いつまでも、それはそれは不幸せに暮らしましたとさ。

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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)