親知らず.

© 1999 Jamie Zawinski <jwz@jwz.org>
wisdom teeth.


 ここに参りましたのは、時には(ホントに時には)あなたの が実現することもあるというのをお話するためです!

 何年にもわたる歯科トラウマがついに効を奏しました。たぶんぼくの無意識は時間を逆行して、ポストトラウマ性のストレスを事前に与えてくれてたんだろう。というのも、何年にもわたる歯医者さんの脅迫に屈して、ぼくはついに親知らずを抜くことに同意したのだ。

 別に何か悪さをしたわけじゃない。だから非強硬政策がまっとうに思えた。そっちが手出ししなきゃ、こっちも手出ししないよ。みんな平和に共存できんのですか?

 「うーん。ダメです。できません」と歯医者さん。この歯をもったまま墓場に行ける可能性はほとんどゼロで(「ただしまあ、早死にしたら別ですが」)とのこと。いつか面倒を起こすようになるし、だから今のうちになんとかしときましょうよ、そうすれば感染症を起こしてるときに手術しなくていいし、さらに歳をとると、手術もどんどん危険になりますから。

 そして怪談が始まった。どうやら下あごに通っている神経があって。それが親知らずの歯根の間を通っていることもあるとか。この神経をあんまり逆なですると、下唇と舌の先っぽが完全に麻痺する。「あなたが18歳なら、この神経をつまんで部屋の向こうまで引っ張っても、すぐにパチンと戻るんですけどね。でもその先はもうどんどん弱くなります

 快復にはどのくらいかかりますか? 数日だけれど、でももちろんホントにひどい状態になったら数ヶ月かも――「たとえばうっかりアゴの骨を折ったりしたらそうなります」。いやはや、話がどんどん楽しくなっていくじゃあございませんか。「そしてもちろん、歳を取れば取るほど可能性も悪くなっていきますよ。ホントだったらもう 10 年前に抜いておくべきだったんですけどね

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 タメイキ。わかったわかった。降参です。というわけで予約を入れる。いつもの歯医者さんは、実際に手術をやる別の歯医者さんに紹介状を書いてくれた。その時は、彼女は外科ができないからそうしたんだろうと思った。でも実はできた。あとで聞くと、単に、ぼくの口という大問題をうまくこなせる自信がなかったとのこと。そして相手の歯医者はこう言った。「あのセンセイから紹介状がくるときは、まちがいなくおもしろいヤツなんですよー

 で、バリウムをくれて、前の晩と当日の朝にのめという。 レイヴンはぼくをあちこちに連れ回し、その番はずっと子守をしてくれた(前に彼女の 手術のときの借りがあるというのだ)。だからぼくが病院についたときには、すさまじく気分はよかったけれど、それでもまだちょっと不安だった。

「点滴にかける前に、笑気ガスを使いますよ。窒素はやったことありますか?」
「はい」
「医療で? 遊びで?」
医療で
「それは結構。遊びでやった人は、これに過大な期待をしてがっかりしがちなもんで」

 それからぼくのうでに張りを刺して、なにやら得たいの知れないものをぼくの体内に注入した(針を刺すときに気をそらせようとして、ちょっとした小技も使ってくれた――刺すときに、だれかが腕に冷水をかけると、針を刺すのに気がつかないらしい。気をそらすわけね!)

 そこへお医者さんが入ってきて、こんにちわと言ってこう訊いた:「さてここでクイズ。今日は何本の歯を抜くでしょうか?

 ぼくは答えた。「四本。なんでですか? 今くらいでみんな忘れるとか?

 歯医者曰く「ええ、ちょうど今くらい、はい

. . .

 まぶしい光。騒音。

 車椅子のちっちゃなフットレストに足を乗せようとして格闘。

 車の中――まぶしい光! 消してくれ!

 ソファの上――え、なに? 触るのやめてくれよ! 「このクスリを飲むのよ!」口の中のこいつはなんだ? 乾いたスポンジ? ガーゼ? あ、おれのベロか。干からびるとこんな感じだとは知らなかった。どうも、クスリを自分で飲み込むまで、彼女は思いっきりのどの奥までそれをつっこんでくれたみたい。「ネコのほうがなんぼか楽だったわ」と彼女。

 次の記憶は、すさまじい痛みで目をさましたところ(その晩遅くかな? 翌日? まるでわからない)。 もほとんどあけられず、頭には冷凍した豆の袋がしばりつけてあった。

 痛み止めにヴィコディンをくれたけれど、いいかよく聞けよガキども、ヴィコディンには娯楽的な要素はまるっきりないぞ。実際に痛み止めをするかはさておき、副作用はないも同然でそれもたまにしかない。一錠のんだらグズで間抜けな気分になるけれど、グズで間抜けであることについて うれしくなったりは一切しない。二錠飲んだら、三〇分以内に意識がなくなる。というわけで、基本的にその週はこの調子だった――意識がなくて薬漬けのぼんやり状態、起きるのはヨタヨタ便所にいったり、いまや冷凍と同時につぶれてぐしゃぐしゃの豆を、冷凍庫の新しい袋と交換するときだけ。それと腫れを止めるのにはアイビュープロフェン(多くの人が予想したような、リスみたいな腫れ方はしなかった。豆に万歳三唱)。

 数日たって、ソファのかどにもたれていると(頭を上げておかないと腫れるでしょ!)、すばらしい新体験。ヴィコディンを飲んで、うとうとしかけて、眠りかけたとたんに、ひきつけて咳き込みながら目をさます。呼吸の仕方を忘れたみたいだ。眠り欠けるとすぐに呼吸が止まって、それで目が覚める。

 そこで医者に電話した。するとこう言われた。「起きてるときに息ができるなら、眠っても息はできます。単にパニックしてるだけです」もちろんそんな言い方じゃなかったし、とっても親切ではあったけれど、でも要するにそういうことだ。「次からは一錠だけにしてください」と言う。一時間ほどで呼吸の仕方を思い出したので、たぶんぼくの思いこみだったんだろう。

 で、痛みね。でも最悪だったのは、絶対最悪、苦痛よりひどく、バカクスリよりひどかったのは、あのろくでもないフルーツスムージー! 最初の何日かはよかったけれど、でもいやぁ、この先一生フルーツスムージーが飲めなかったとしても、ぼくは何一つ文句はない。

 ジューサーにバナナを入れる。オレンジジュースを数カップ入れる。プレーンヨーグルトをスプーン何杯か。粉末タンパク質をスプーン一杯。めまいが収まるまで、食器棚に頭をもたせて休憩。ボタンを押す。液状になるまでブーン。注ぐ。味としてはそんなに悪い混合物じゃないんだけれど、でも断じて食料に非ず! ぼくはもう飢え死にしそうだった! 理論的には、これだけで生きていけるけれど、ぼくの胃は賛成してくれなかった。「ステーキをこちらに送ってくれませんかねえ」とたえずせっついてくる。「少なくともパンくらい? クラッカーでも?」

 数日後、もうちょっと固いものを試してみることにした。ハマスを、食パンの真ん中からちぎったすごく柔らかいパンに塗る。こいつは大間違いだった。ハマスに入ったスパイスが縫い目の下に入り込んで、目がくらくら。

 刺身! これは大丈夫だった。前歯だけでじゅうぶんに小さな固まりに切り刻めたから、丸ごと飲み込めた。でも、すごくゆっくりしか食べられなくて、だから本当に食べた気がしなかった。そして米は問題外(小さなにはまる危険があって、そうなったら大事だ)。

 一週間ほどして、アシュレーとその仲間たちがぼくを家から引きずり出して、MOMA美術展オープニングことレイヴに連れて行ってくれた。予定の最初は夕食だ。そこにすわってメニューを読もうとしていると(薬漬けだと読むのもなかなかむずかしい)、さっき飲んだフルーツスムージーは何の役にも立っていないと気がつく。こんだけ食べ物があるのに、ぼくが食べられるものは何一つない。待った。スープ! 特性スープがある! スープなら食える!

「忘れちゃった、ガスパチョってなんだっけ?」とぼく。
「冷たいスープ」

 すばらしい。注文した。スープだった。冷たかった。退屈だった。でも少なくとも、バナナもオレンジジュースもヨーグルトも粉末タンパクも入ってなかった。

 そのディナーの間、いろんな人がぼくと会話しようとしていたような記憶がぼんやりと残っている。たぶんぼくがやったのはほとんど、 無表情に相手を見つめただけだったと思う。

 で、この展覧会兼パーティーに行った。アートインスタレーションはクールだったけれど、でも総じて昼間のほうが、美術館には美術館っぽい人がいて、こんな トリップしたクラブキッズだらけじゃないだろうからもっと楽しめただろう。展示の多くは音を使っていて、こういうえらく頭にくるレイバーどもがそこら中をはねまわっているとこじゃ、何も聞こえない。

 下の階で何時間か音楽をききながらうろついていたけれど、ほとんどはまるでつまんなかった。これは客と音楽がことさらひどかったせいか、それともぼくのクスリが切れてきて、痛さで機嫌が悪くなっていたからか、判断するのはむずかしい。 途中、ぼくは腹がへったとブツブツ言って、すると アンジェラが「なに寝言いってんの、いまレストランからきたばっかでしょうに!」というような路線の悪態をつきはじめた。「でもぼくは冷たいスープしか食べてない!」とぼくは反論。「ほう、それってだれのせいかしら?」「だってメニューにあるもので食えるのがそれだけだったんだよ!」「あら……」ようやく同情。だから早めに帰った。ふつうは、そういうむかっ腹モードの時には、自分を他人に体験してもらおうとは思わないのだ(ピーナツギャラリーで、「おまえはいつだってむかっ腹モードじゃないか」と思ってるキミたち、甘いぜ! 諸君はむかっ腹モードのなんたるかを知らないのである)。


 さてヴィコディンについて少々話しましょうか。これはモルヒネ、つまり阿片類の合成代替物でございます。あのすばらしい映画「 トレインスポッティング」は見た? 家で見ている人のために言っておくと、ヘロインも阿片類だ。そしてこういうその他のクスリと同じ副作用を、ヴィコディンも共有している。トレインスポッティングのある場面を思い出してほしい。場面のタイトルは「スコットランド最悪のトイレ」。

 ヴィコディンを飲むのをやめたら、レントンが言ったように「突然おれはもう便秘じゃなくなった」そしてそれ以上は言わぬが花。


 手術後一週間半して、歯医者さんに経過を見てもらいにいった。開口一番かれ曰く「麻痺は?」 最初の一日は麻痺していたけれど、その後は特になし。「よろしい。麻痺だけはなおせないんですよ」とかれ。

 歯の中で、一体で取れたやつはあったか訊いてみた。おみやげにしたいと思ったのだ。歯医者さんは笑った。「いや、もう10個くらいに割って取り出しましたよ。ほとんど残ってません」そしてレントゲン写真をいじった。「まずはここんところで半分に割って。こっちを前に引っ張り出してからもう一切れ、それから歯根をちょっと前に引っ張り出してからこいつも切り刻んで……」

 「こいつが化け物でしたね」とかれは、下の左の親知らずを指さした(上のレントゲン写真だと下の右側になる。完全に横倒しのやつ)。「普通ですと、親知らず四本ぬくのにせいぜい三〇分なんですがね。あなたのは一時間四五分かかりましたよ」

 そしてかれはこう付け加えた。「あなたの歯のこと、この先ず〜〜っと忘れませんよ」


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