スクリーンセーバー宣言



PointCastが嫌いだ。

 実装が、じゃなくて、その発想がむかつく。

 遙か昔、コンピュータの暗黒時代、スクリーンセーバーにはまともな機能があった。それはホントにスクリーンを救ってくれるものだった。こっちが動いていないのを検出してスクリーンを暗転させることで、画素を焼きつきから守ってくれていた。

 でも、賢いハッカーの性として、スクリーンセーバーは 進化を遂げた。焼きつきを防ぐには、単に画素がつきっぱなしになっていなければいいだけなのがわかったからだ。画像が動いているだけで、画像が表示されていないのと効果は同じだ。

 最近では、実はスクリーン保護はもうほとんど必要ない。最近のカラーディスプレイ用ブラウン管は、ほとんど焼き付きを起こさないからだ。でもスクリーンセーバーは、その効用主義的な起源にもかかわらず、新しいメディアを興隆させることになった。 コンピュータアート流通の場として。

スクリーンセーバーは、目を休めるものだった。ちょっとしたかわいいハックで、自分のコンピュータを映画の中のコンピュータみたいにするものだった。スクリーンセーバーはアート、純粋単純にアートだった。

 というか、昔はそうだった。スクリーンセーバーには何か純粋さがあった。ほかならぬこのぼくも、Berkeley Systemsがこれほど意図的に明白に余計なものでしかないもので商売を成り立たせてるということにショックを受け(そして大喜びした!)。

 そこへきました PointCast。ようやくだれかが、創造性を嘆かわしいほど欠落させて生まれてきた連中にスクリーンセーバーを売りつける方法を見つけたわけだ。右脳がまったくないせいで頭がいつも左に傾いてる連中:MBAども、MIS マネージャーどもに。

 やれやれ。

 文字入りの箱があちこち動いて、それがコマーシャルを流してよこすというのが――コマーシャルだぜ、まったく――きれいな色 や、おもしろい幾何学的な 図形よりおもしろくて、本質的にクールだと思ってる連中がこの世に本気で存在してる、というのは実に悲しいことだと思う。

 いずれきみの会社の 中間管理職のだれか (たぶん一日三回くらい、ソロボヴィア郊外の新任セールスマネージャーに歓迎のメッセージを、やはりみんながお互いに知り合わないと、なんてことを言うやつだろう)が、使われていないときにきみのデスクの画面を彩るのはどんな企業スポンサー付きフィードになるべきかを決めたりするようになるだろう。こいつはたぶん、廊下にならぶ「企業的に正しい」アート作品なんかを選ぶのとおなじやつになるだろう。ほら、滑空する ワシとか空飛ぶワシとか木の枝にとまって勝ち誇ったように太陽を見つめる ワシとかの絵。あれを選んだやつよ。

 じきに、読者を広告主に売り渡す仕事をするのは雑誌だけじゃなくなる。きみの上司もその一味になる。これは映画の中のタイアップ広告と同じくらいむかつく技術革新だ。思いつかないほうがいいことってのも世の中にはあるのだ。

 そしていちばんアホくさいのが、こういうすばらしいデータをいろいろ表示してくれるのが…… まさに人がそこにいないときなんだぜ! まぬけさ加減でいったら、まさに車のドアのちょうつがいを後ろ側につけたのと同じくらいの代物。もちろんぼくがこれまで働いてきたあらゆる場所のマーケティング部門のゾンビどもみたいな連中なら、たぶん一日中スクリーンセーバーを眺めて、この会社をつぶして逃げ出すにはどうしたらいいか夢見てるだけなんだから、これってまさにそういう連中をターゲットにした代物なのかもしれないけど。

 Fight the power! スクリーンをテキストでもって保護(セーブ)するなかれ、なぜならそれは、ダークサイドへと続くすべりやすき坂道なのだから!

(c) 1996 Jamie Zawinski <jwz@jwz.org>
A Screensaver Manifesto.
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