ネットスケープと aol.

© 2000 Jamie Zawinski <jwz@jwz.org>
netscape and aol.


 過去一年、ぼくは記者たちにいろいろインタビューされて、かなり応対がうまくなってきたと思う。でも自分がやった「おっと、ありゃ言わないほうがよかったな」的瞬間でいちばんおもしろかったのは、ニューヨークタイムズのだれかが AOL で働くことをどう思いますか、と聞いたときの自分の答えだ。だって AOL って「ネットのわざとらしくて主流なところを全部」体現しているところだから(と彼女は言ったのだよ)。AOL はこのレッテルを逃れられてるんでしょうか。ぼくはつい脳の抑制をはずしてこう答えた。

イメージの点で言うなら、AOL は相変わらず昔ながらのレッテルがついたままだと思いますよ。ぼくの友だちはしょっちゅう「jwz@aol.com」と言っては腹を抱えて爆笑しますし……

 で、もちろんこれが引用されて、ニューヨークタイムズの 一面、ちょうど折り目の下のところに出たわけだ。おっとしまった……マーカからメールがきて「お願いだからいまはクソみたいなあおりはやめてね」だと。

 ちなみに jwz@aol.com のアドレスはもう取られてるのだ。だれだかは知らない。メール出してきいてみたら?

 ネットスケープが AOL に買収されるという噂を初めて聞いたときには、どうとも思わなかった。その手の噂を聞くのは、ぼくたちにとっては日常茶飯事だから。しばらくは、アップル社がうちを買うという噂が根強かった。それから(アップルの停滞期には)うちがアップルを買うという噂もあった。それから Netcenter をスピンアウトして分社化とか。あれこれあれこれ。だから、ぼくはこの手の噂は無視するのが常になった。でも驚いたことに、こんどのやつは本物だった。

 ぼくが真っ先に心配したのは、これがぼくのプロジェクト mozilla.org にとってどういう意味を持つかということだった。AOL がネットスケープをどうしようとしているのか見当もつかなかったから、まともな予想はたてられなかったけれど、でもぼくはその機会をとらえて、 mozilla.org 創設時以来わかってもらおうとしてきたことを強調しようとした。つまり、mozilla.org は必ずしもネットスケープとは結びついていない、ということだ。ソースがフリーだと言うことは、プロジェクトはだれであれ、手をあげてそれを動かしたい人のものだってことなんだ。

 この意味で、AOL の一件は mozilla.org にとってはよいことだった。これまではこのメッセージを人に聞いてもらったりわかってもらったりするのはとってもむずかしかったからだ。いま、やっとメディアは「ネットスケープ」というつもりで「もじら」と言ったり、あるいはその逆をやめるようになってる。

 ぼくは mozilla.org の立場を改めて説明する文書を公開して、最悪シナリオもそこで検討した。AOL がオープンソースやブラウザソフト開発に何の関心がなくても、もじらは今までどおりフリーだ、と。すると翌日、AOL の CEO であるスティーブ・ケースから、勇気づけられるようなメールをもらった。それも公開したけれど、でもその前に、それが本当にかれからのものかを電話で確認した……だってそれまでスティーブのメールアドレスは知らなかったし、スクリーンネームを何やらもっともらしいものに換えただけの、どこかの AOL ユーザのいたずらに引っかかったらかなりいきだおれるだろうから……

 でも、mozilla.org の将来はさておき、AOL がネットスケープを買収という事実は、とっても気が滅入る。

 この買収は、ネットスケープの重役たちがついに匙を投げた、ということだ。ネットスケープはもう、自前じゃやってけないということだ。あたりさわりなく言えば、ネットスケープがつまずいて、生き残るために別のところに活を入れてもらう必要があったということだ。あたりさわりあるように言えば、ネットスケープは自爆して、死んで、敗北して、いまやパーツが競売にかけられたってことだ。

 ある意味で、AOL に身売りしたのは、関係者にとってはいちばんいい結果だったんだろう。負けた会社に残されたほかの道に比べれば、ということだけれど。買収が発表されるまでは、過去一年のネットスケープの株価は 20 ドル台半ばから前半だった。でも、それ以前はずっと株価が高かったから、つまりほとんどの社員は「水面下」――つまりストックオプション(新興企業が従業員をしばってときにすさまじい見返りをもたらすこともある黄金の手錠)は文字通り一文の値打ちもないということだ。社員がオプションを行使できる価格は、株価より高かったから。

 AOL に身売りしたことで、ネットスケープ社員はみんな NSCP 株を AOL に換えてもらえた。AOL 株には値段がついてる。だからネットスケープ社員は、これまで数年がんばったことに対して、多少の金銭的な見返りが得られたわけだ。ほかの手としてはなんだ? ネットスケープが負けたという決断をくだして、バークスデールが単に辞職しただけだったら、賭けてもいいけどネットスケープの株価は底知らずだっただろうし、だれも何の見返りも得られなかっただろう。

 ぼくはジム・バークスデールが好きだし、大いに尊敬もしている。しっかりした、賢い、正直な人だと思う。そしてぼくのような立場にいる人は、かれみたいな立場にいる人について、そんな印象をあまり持ちがちじゃない。ぼくみたいな人物にとって、ほとんどの CEO はうちゅーじんだ。でもジムはちがう。かれは、ぼくが信用したほとんど初めてのビジネスマンだ。そして、かれがネットスケープの自立性をあきらめたのは残念なことだ。もしかれがこれを機能させられないと判断したなら、ぼくもそう判断するだろうから。

 バークスデールは最近、 白鳥の歌を公開した。そしてその中で、まあ予想どおりバラ色の絵を描こうとする。この文書で、かれはネットスケープの社員総会で何度か繰り返したことを述べている。かれは「すべての成功したビジネスというのは吸収合併をくぐりぬけるものだ」と言ってから、いくつか例をあげる。鉄道群、自動車会社群、電話会社(複数形じゃない)、テレビネットワーク群。これって要するに、泥棒男爵どもだわな。20世紀のでかい人間性剥奪、創造性締め落とし型独占企業体だ。

 ぼくに言わせれば、これ以上に気が滅入る比喩としてジムが使えたものといえば、ネットスケープをアメリカ先住民国家と比較するような代物だけだろう(「すべての偉大な文化は吸収合併をくぐりぬけるものだ……」)

 ジムにこの話をしたら、かれは AOL の相手方はぜんぜん「人間性剥奪」なんかじゃなくて、楽しい創造的な人たちだよ、と答えた。でもそれはなんというか、ポイントをはずしてる。問題は人じゃない。組織なんだ。

 組織は、それを構成する人で決まるという人もいる。でもそんなのはウソだ。全体は、部分の総計よりずっと大きくて、まったくちがった代物だ。ぼくたちが社会として、世界運営のために発明したシステムは簡単なものだ。それは少数のルールしかもたないゲームだ。人は駒をボードに置いて、ねじをまいて手を離す。要するに、ここで効いてくるルールはすべてお金がらみだ、ということだ。根っこにある理屈は、人々に社会に価値を提供させるには、そうすることがかれらにとって一番利益が大きいようにすればいい、ということだ。でも、それはあくまで意図にすぎない。メカニズムは、こんなに曖昧じゃないのだ。そのメカニズムとは、お金だ。

 企業は別に邪悪じゃない。この手の擬人化は不適切だ。企業は、邪悪になるには頭が悪すぎる。邪悪になれるのは人間だけだ。企業はただの メカニズムだ。人はそれに影響を与えられるけれど、でもおおむね企業はルールにしたがうだけ。

 公開企業においては、CEO が判断を下すときに株主利益を最大化することだからという理由ではなくそれが正しいことだからという理由で何かをやったら、かれは首になるし、身ぐるみはがれるほどの訴訟にあう。これは忘れないでおこう。それがルールなんだから。

 利益だけで動いてるわけじゃない人間にとって、このゲームで勝つには、企業メカニズムが自分のために追求する目的と、自分の目的(それがなんであれ)がうまく並ぶように、自分の目的を選ぶことだ。たとえばきみの目的が「おもしろい仕事をすること」なら、それをやるいちばんいい方法は、「お金をたくさん儲ける」という目的を果たそうとして自分の興味あることを見ている企業を見つけることだ。

 そして時には、勝つ唯一の方法はそもそもゲームに参加しないことだ。

 AOL は大規模な 検閲をやる。その理由は、別に連中が道徳的に高水準だからじゃない。あなたにとって何がいいかを連中が知ってるからでもない。検閲をやるほうが儲かると思ってるからだ。顧客の大半がそれを求めていると思うからだ。ばかげてるって? よく考えてご覧。かれらは自分たちを「家族指向」のサイトとして位置づけたがってる。現実世界のかなりの人々にとって、インターネットは唾棄すべきゴミ捨て場で、無礼で意地悪で邪悪な人々や児童ポルノ愛好家や、犬とコーマンきめてる人間の写真まみれの場所でしかない。連中が AOL を使うのは、それがインターネットに対してもっと穏やかで優しい面を示すからだ。連中は、AOL が自分たちを安全で清潔にして置いてくれると思うから AOL を使う。

 さて、そういうものが本気でほしい人は、それはその人の勝手だ。だれかが検閲 ISP を敢えて選ぶとか、自分のマシンに検閲ウェアを入れてインターネットのおっかない連中を閉め出したいなら。別にぼくは文句ない。

 でも、世界が変わって、AOL がいまよりずっとすさまじく成功したら? 独立の検閲なしの ISP がもはや化け物みたいな AOL と競合できなくなって、結局インターネットに接続する現実的な方法が、AOL みたいな巨大な国際インターネット企業を通すことだけになったら? もしあらゆるインターネットアクセスの選択肢のなかで現実的なものが「家族指向」のものだけだったら? 自分のウェブページを(帯域幅やコスト上の深刻な問題なしに)公開できる現実的な方法が、AOL とか @Home のサーバでだけで、そしてそこでなにかを公開したかったら連中の 「サービス規約」に合致しないといけないことになったら? これってつまり、ガキでも大丈夫なものしか公開できないってことだよ?

 これは考え過ぎかもしれない。そうであってくれればいいと思う。でも検閲なしのアクセスや出版が、そういうものを求める人がすこしでもいれば提供されるものだと思ってるなら、Barnes and Noble が独立書店をほとんど 壊滅させて、Blockbuster Video が個人ビデオ屋をほとんど壊滅させたことを思い出してほしい。そしてBlockbuster の方針として NC-17映画は貸し出さないことにしているってことも。ここで言っているのは、ポルノの話じゃない。単に、子ども向けじゃないというだけの映画だよ。

 AOL は、コンテンツの中央集中とコントロールを目指してる。インターネットのいいところすべて、テレビとインターネットを分けるものすべては、個人に力を与えるってことなのに。

 ぼくは、そういうものすべての消去につながりかねない動きの一部になりたくないんだ。

Jamie Zawinski, 31-Mar-1999


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