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山形浩生の『ケイザイ2.0』

第14 回 NGOとかNPOとかボランティアとか。


●NGOとかNPOとかいう人がいる。

 NGOはNon Governmental Organization、NPOはNon-Profit Organizationだ。非政府団体に非営利団体。非政府団体といっても企業のことは実際 には、どっちも最後のOはOrganizationだから、組織・団体なんだ。でもそれに所属 している人の特徴として、名刺を交換したりするとき必ずといっていいほど「わたし、 NGO/NPOなんです」と平気で言う。おめーは一人で組織してんのか! そして、それ が何をしているNGO/NPOなのか、こっちがきくまで話してくれない。前にある掲示板 で、NGOやってました、いう人と議論になったけど、その人は「わたしはNGOに関わっ てて科学が第三世界を抑圧していることがわかった」といった得体のしれない話ばか りしてて、結局さいごまでそれがなんのNGOなのかわからずじまい。変なの。「ぼく は株式会社です」とか「わたしはお役所です」と言うのと同じなんだ。それなのに、 当人たちはそれがちっとも変だと思っていない。

 それにはもちろん理由がある。このNGO/NPOは、システム自体がいいものであるっ てことになってるからだ。政府といえばいまや、不効率不経済利権と汚職と官僚主義 の温床ってのが通り相場だ。企業なんて、利益の出るところしかやらない守銭奴で、 儲かれば環境破壊も人権抑圧も平気な連中。それに比べて、市民たちが本当に自分で 大事だと思った課題に自主的に取り組むNGO/NPOは、何事も純粋にいいと思ったこと をやる。しかも人任せにせずに、自分たちで立ちあがってやろうってんだから、やる 気もあるし、収益あげなくてよくてボランティアも動員したりして、安上がりで効率 もいい。はずだ。ここには経済システムや行政システムから離れた、新しい社会運営 の仕組みがある! そういう期待が右も左も保守もリベラルもいたるところにあって、 だからNGO/NPOと名乗るだけで、その期待にのっかってなんか箔がつくのだ。

 そのせいもあって、NPO/NGOは増えてきているし、一部はかなり大きな力を持つよ うになってきている。こないだノーベル平和賞もらった国境なき医師団みたいに本当 にすごいところもあるし、だから今後の海外援助の方向性なんて議論をするときでも、 NPOやNGOとの連携や協力、というのは大事なテーマになっている。そしてかれらの活 動を支援するような、いろいろな法的措置(補助金や税制優遇とか)も、各国でかな り実施されたりしている。


●NGO/NPOは決して絶賛の対象ではない

 ただ海外援助の現場にいる人たちにとって、NGO/NPOは決して絶賛の対象ではない 。現地に対して何の利害もない連中が、感情論と目先の光景だけで動いて自己満足な 正義感をふりかざし、実は結果的にかえって有害なことをしている場合も多々ある。 途上国の援助の現場にいる人たちが、「なんにもわかってねーバカなNGOの連中がじ ゃましやがって」と吐き捨てるように口走る光景はよく見かけるのだ。

 もちろん、そっちの現場の人たちが常に正しくて、「バカな」NGOが常に本当にバ カかといえば、そうじゃないだろう。海外援助に限らず、国内だって無駄どころか有 害な公共工事はたくさんあるんだし。そしてNGOの人たちは、本当に善意でいろんな 活動をしているのは、おおむねまちがいない。もっとも対する現場の人たちだって、 そういう善意ならじゅうぶんに持っているんだけれど、それはまあいいだろう。

 しかし一方で、ぼくたちは善意だからというだけで人を信用しちゃいけないのも (もちろん)知っている。残念なことだけれど(なんて、別に残念でもなんでもない けど、そう書いておくとよい人に見えるだろう)、いい人だけれどなにもできない (あるいはかえって足を引っ張る)無能な人はたくさんいて、仕事は有能にこなすけ れどついでに悪いことをする人もいて、どっちがいいかといえば圧倒的に後者だ。そ して前者の人に、迷惑だからやめてくれ、と説得するのは至難のわざだというのも知 っているだろう。じゃまだと言われてわかるようなやつは、もともとじゃまなことは しないのだ。そうでない連中は、じゃまだと言うと自分の善意が否定されたと思って むくれたりするし、「人がせっかく親切にしてやってんのに!」とか怒るし、その相 手をするだけで面倒で、さらにこんどは役にたってない連中がたってる連中に「じゃ まだ」なんて言いだして、収拾つかなくなる。

 NGO/NPOもそうらしい。ボスニア、ルワンダ、チェンチェンでも、紛争や災害があ れば、ヤミ商人とジャーナリストどもといっしょに、そこに自薦他薦のNPO、NGOが数 百機関単位で押し掛けるそうだ。その多くはほんの10名にも満たない機関で、役にた つことは何一つできない。でも、それで「われわれはボスニアで活動して、戦争の悲 惨さをまのあたりにしまして云々」と言えるようになって、しばらくやっているとな んかでっかいヤマでもあてられるかもしれないし、いずれテレビくらいには映るだろ う。

 さらには露骨に悪いのもいる。有名な例では、スーダンには奴隷を買うNGO/NPOと いうのがいる。売られているかわいそうな奴隷を買ってあげて、解放してあげましょ う、というわけ。もちろん、奴隷商人にしてみれば、こんないいお客はいない。ふつ うは売れないようなダメ奴隷でも(いやむしろそのほうが)、こいつら喜んで買って くれるもん。というわけで奴隷商人の上得意客になり果てて、やめさせたいはずの奴 隷取引の延命に手を貸す結果となって、他の団体からガンガン非難されているんだけ れど、かれらは自分たちがいいことをしていると確信しているから、聞く耳持ちやし ないのだ。いやぁ、すごいなあ。でもその人たちの様子が想像つくだけに、笑えない よね。


●政府外郭団体となにがちがうの?

 そしてここからわかる大きな問題。政府は、納税者に対して責任を負う。アカウン タビリティってやつがある。企業なら、株主に対して責任を負うし、収益があがらな きゃ倒産だ。監督省庁のしばりもある。効率的な運営をするインセンティブがあるし、 極端に変なことはできないような、監督のシステムが一応はあるんだ。

 ところがNPOやNGOって、だれに対しても何のアカウンタビリティもない。やりたき ゃなんでもやりほうだい。もともと効率が悪くたって関係ないところだから目標が達 成できなくったって、「精一杯がんばったから」ですむ。批判されても、耳を貸す義 理なんかない。同じ思いこみをもった人たちが突進してしまえば、それを止める方法 はないに等しい。

 さらにおもしろいこと。世界のNGOを調べてみると、その活動資金の半分以上は、 各国政府から出ているんだって。あれ? NGOなのに、なんで政府からお金が? それは世界的にいま小さな政府をめざすのがはやりで、その中でいろんな業務をアウトソースするのがはやりだから。それを企業 にやらせると、癒着だなんだってうるさい。NGOと協力してやってます、というとなんか政府としてもカッコがつくんだ。

 でも、それじゃNGOとかNPOとか言ったって、ふつうの天下り財団みたいな政府外郭 団体となにがちがうの? なーんにもちがわない。財団、社団、町内会にPTA、みん な非営利、みんな非政府。そしてもちろん、代々木民青(っていっても知らないか、 最近の子は)みたいな政治団体とか、あるいは創価学会みたいな宗教団体だってそう だ。実はNGOやNPOは、本質的にはみんなが騒ぐほど目新しいものじゃないのかもしれ ない。昔ながらの団体と同じような力学にさらされているんだろう。さっき、NPOやN GOに税制優遇や補助金という話をしたけれど、もちろんそうなったら、隠れ蓑NGO/NP Oなんかボコボコ湧いてくる。いかがわしい変な連中がいっぱい出てきているらしい。

 一方でいろんな政府機関でも、収益性がなさそうな部分が出てくるとすぐに「ここ はNPO/NGOにやらせようか」とか口走るようなところが一部でてきている。そうそう 都合よくこっちのやってほしい仕事だけホイホイやるNPOが出てくるもんか、と思う んだけれど、わからん。いまの状況だと、適当にエサをぶらさげればなんでもやっち ゃうNGO/NPOくらい、すぐに出てくるかもしれない。

 そうなってくると、いま賞揚されているようなコモンズたちのボランタリーな発意 によるすばらしきNGO/NPOという図式は、たぶんかなり急速に崩れるだろう。いや、 もともとそんなものはなくて、脳天気な学者や市民運動家がさわいでいただけなのか もしれないけれど。


●NGOやNPOの引き起こす大惨事が世界のあちこちで頻発する?

 ぼくが及ばずながらも協力しているフリーソフトとかオープンソースとかいう話が ある。あれはハッカーたちがどうして一文の得にもならないフリーソフトを書いたり するのか、という話だ。つまり、金とか権力とかに関係ない新しい人々の組織モデル になる。として、このNGOやNPOにかなり注目されちゃったりしているのである。でも、 フリーソフトの場合は、そういう変なことにならない評価のための仕組みがある。ま ず、結果についてだいたいだれにでもわかるきちんとした基準があること。えらそう なことを言ったって、善意だって、ダメなコードはダメなコードだし、だめなドキュ メントはダメだ。仕事ぶりはすべて結果にあらわれてくる。そしてもう一つは、フリー ソフトでは使えないやつは簡単に切れる。

 でもNPO/NGOと呼ばれるものでは、このための仕組みは存在しない。パフォーマン スは評価されない、明確な責任のしばりはない、非効率でも認められる。通常これは、 腐敗と堕落の温床だ。そしていずれは利権が発生し、場合によっては利用され、さら に自己目的化してゆく。NPOやNGOだけがそこから逃れられるはずもないだろう。この プロセスを実にきちんと描いているのが、小林よしのりの名著『ゴーマニズム宣言ス ペシャル:脱正義論』だ。これはまさに、あるNPO/NGOの発生から一つの終わりに至 るまでの克明な記録だ。どうすればこういう末路をのがれられるのか? いや、いま の小林よしのりに対する批判があるのは知っているし、この『脱正義論』についても、 ここがあそこが、という細かい指摘があるような話も聞いている。実は小林が権力闘 争に負けて云々、という説も聞いている。が、それは全体を揺るがすような話ではな いし、重要じゃない。なんなら固有名詞を全部伏せて読んでもいい。一般にNGO/NPO に対する期待というのは、まさに小林よしのりが期待し、そして幻滅していった、こ の「『個』の連帯」というやつなんだ。それをきちんと動かすにはどうしたらいいん だろうか?

 で、今後日本でも、当然ボランティア活動を支援しましょうとか、NGOやNPOを優遇 しましょう、という話は出てくる。いますでにある。でも、こういうことを考えると、 それはどこまで正しいことなのか、よくわからない。特権にともなって、きちんと義 務をつけなきゃならないだろう。財団みたいに、所轄官庁を決めるか? どこかに報 告義務でもつけるか? かなりゴリゴリに活動に制約をつけるか?  コーディネーションだって考えないといけない。でも政府のしばりを強くしちゃった ら、そもそものNGOの意味がない。するとどこがどういうふうな形でコントロールしていけばいいんだろう。

 わからない。SPCの一種みたいな扱いにして手綱をかける手はあるかもしれないけ れど、でもわからない。ただ、今後しばらくはNGOだのNPOだの言う声は高まるし、そ れがいろんな場面に引っ張り出される機会も多くなるのはまちがいない。ボランティ ア賛歌もいまより一層高まるだろう。そしてたぶんいずれ、今後10年くらいのうちに、 思いこみで暴走しちゃったNGOやNPOの引き起こす大惨事が世界のあちこちで頻発する んじゃないだろうか。



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