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山形浩生の『ケイザイ2.0』

第9回 「魔法のおなべ」ではまだまだ不満なのだ
text: 山形浩生



●エリック・レイモンド、期待の新作論文「魔法のおなべ」

 フリーソフト・オープンソース??自由ですばらしいじゃないか。うんうん、すばらしいお題目ですね。新しい金銭以外のオルタナティブな社会システムのモデルだ!はあそうですか。そういうこと言うやつに限って、自分は何も貢献してねーんだよな。名声目当てでみんなが開発? それもすばらしい。なんとかもおだてりゃ木に登るってやつね。

フリーソフト・オープンソースの話がかなり普及してきてもう二年というところだろうか。その間にいろんな人が、一部のフリーソフトの成功に刺激されて、かなり勝手な夢物語の大風呂敷を広げてきた。でも最終的に、フリーソフト・オープンソースの議論というのは、これまでとてもあぶなっかしい土台の上に立っていた。しょせんは手すさびの暇つぶし開発だということ。趣味の連中が暇つぶしの片手間にやってるようなソフトが、信頼できるんだろうか。

もちろん、すでにある程度の水準に達したものについては、いろんな使い方があるだろう。でも、新しいものがLinuxやApache並に育つ保証は?それができるためには、いまの「たまたま暇なハッカーが集まってきました」モデルではダメだ。商売がいろんな形でフリーソフトを金銭的にサポートできる仕組みが必要だ。そうじゃないと、フリーソフトはサステイナブルではないことになる。


●フリーソフト・オープンソースのビジネスモデルとは・・

フリーソフト・オープンソースは、自立できるんだろうか。エリック・レイモンドの新作論文は、この疑問に答えるはずのものだった。昔は、フリーソフト・オープンソースは、そもそもなぜ存在できるのか、成功できるのかすらみんなよくわかっていなかった。なぜハッカーは、フリーソフトなんかに協力するのか?そしてなぜそれが高品質を達成できるのか? こうした疑問に『伽藍とバザール』『ノウアスフィアの開墾』の二論文でとても明快な答を与えたのがエリック・レイモンドだった。そしてかれの第三作は、まさにこの上の疑問に答えるはずのものだった。フリーソフト・オープンソースのビジネスモデルとは何か?

だからこの論文は、みんなが注目して期待してた。ぼくも含め。そしてそれが六月末に出て、まあお約束だし個人的にも興味があったから、シャコシャコと数日かけて全訳したのがこの「魔法のおなべ」だ。

が……訳し終わって、何度か読み返して、ぼくはこの論文が不満なのだ。これではまだ足りないのだ。

ああそうだ、以下の文章は、この論文に読者が一通り目を通したということを前提にしている。もし話が通じなければ、一回ざっと「魔法のおなべ」を読んでから、もう一回読み直してほしい。

で、不満の原因の一つは、前の「ノウアスフィアの開墾」みたいなぶっとび方がない、ということもある。前作はすごかった。たかがフリーソフトを論じるのに自分がひっぱり出されようたぁ、ジョン・ロックもティヤール・ド・シャルダンも、墓の中でひっくり返っちまってるだろう。それにくらべて、この論文は地に足がつきすぎている。が、まあそれは愚痴というもんだ。実際のビジネスの話なんだから、地に足がついていて結構毛だらけ。さらに、議論のいくつかは鋭い。パッチの値段なんかだれもわからない、というあたりとか。共有地の悲劇があてはまらない理由とか。

でも結局のところ、ぼくはこの論文がフリーソフト・オープンソースが維持可能だってことを説明しきっていないと思う。それが不満なのだ。そしてそれが説明しきれていない大きな理由は、かれがオープンソースについて持っている大前提である。つまり、オープンソースにすると、みんながよってたかってデバッグしてくれる、という前提だ。

ESRがあげている、オープンソースの条件というのは、次のとおりだ。

(a) 信頼性、安定性、スケーラビリティがとても重要な場合。(みんながデバッグして信頼性をあげてくれるフリーソフトが有利)
(b) デザインや実装の正しさが、独立ピアレビューでしか検証できない場合。(みんながチェックしてくれればまちがいも見つかる)
(c) そのソフトがその利用者のビジネス展開を決定的に左右するような場合。(一社独占されると、その製品がうち切られたりするのがこわい)
(d) 共通のコンピュータ・通信インフラをつくれるとき。
(e) その核となるメソッドが公表されているとき。

特に最初の2つに注目。いずれも、ソースを公開すればみんながそれをよってたかってデバッグしてくれたり、追加機能をつけてみてくれたりする、という前提がなければ成立しないわけだ。が、そうなるだろうか? すでにぼくたちは大きな反証を手にしている。Netscape の Mozillaだ。


●Netscape の Mozillaは成功なのか?

 エリック・レイモンドは先日のインタビューで、「いや、mozillaは成功だった、あれはnetscapeが10年たっても残るというのを市場に納得させることで、市場シェアを維持するのが目的だったんだ、別に新しいリリースなんかなくてもいいんだ」と語っていた。

でもこの議論は変だ。そもそもの話を考えてみると、mozillaのオープンソース化の決め手は、エリック・レイモンドの論文「伽藍とバザール」だという。「伽藍とバザール」にそんな、シェアの維持がどうしたという話が一度でもあるか?あそこにあるのは、みんなでデバッグしてその結果をすぐリリースして、という開発サイクルの話ではないの。

そして、Netscape の魂胆がどうだろうと、問題なのは、ソースコードを開発してもそれが「すぐにリリース、みんなでデバッグ」のサイクルには入らなかった、ということだ。それが実現できないのであれば、エリック・レイモンドの言っている「オープンソースのメリット」というのは、実はかなり怪しいものになってしまう。

みんなが開発に参加しなかったのは有償のMotifライブラリが開発に必要だったからだ、というのがESRの議論だ。ふんふん。でもそれも変だ。コードがあるだけで(しかも未完成の!)、市場はnetscapeが不滅だと判断して、シェアが維持されたんだという。でも一方で、もしmotifが必要なくらいでだれも開発に参加しないなら、どうして市場はそれを見て「ああ、ネスケは不滅だ」と思うんだ?みんながあまり開発に参加していないなら、ネスケの将来は担保されていないじゃないか。

mozilla についての議論はやはり、あのハロウィーン文書でマイクロソフトが(しかもESRのノウアスフィア概念を使って!)展開している議論のほうが鋭いのではないか?現場の人の、苦渋に満ちた回想のほうが、実態に即しているのではないか?そして、mozillaほどみんなのよく使う、関心もあるであろうソフトに人が集まらないのなら、フリーソフト・オープンソースでうまくいくソフトってのは(そしてESRがこの論文で語っているような形で維持可能な)ソフトっていうのはなんなんだろう。それはついぞ明らかにならないんだ。

というわけで、ぼくはこの論文について、あまり満足していない。大事な論点のいくつかは、この論文でカバーし終えているだろう。事後的には、「ああ、このオープンソース・プロジェクトが成功したのはこの条件があったからだな」と、この論文をもとに言えるだろう。でも、もう一段必要だ。どういうソフトが、オープンソースにすると成功するのかを、もう一段つっこんで考える必要があるんだろう。とりあえず、ぼくはいま、「魔法のおなべ」の不満点や疑問点をまとめて、反論めいたものをつくっている。それをもとに(それとそれをESRにぶつけてみて)、もうちょっと考えてみよう。まだまだ、わかっていないことはあまりに多いのだ。



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