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山形浩生の『ケイザイ2.0』

途上国の修理屋さん(商用ソフト)と先進国の修理屋さん(オープンソフト)
−−自動車メンテ、フリーソフトと好奇心


text: 山形浩生



 またまたバングラデシュだ。まあ一ヶ月で何が変わるはずもないのだけれど、相変わらずの自転車リキシャとオートリキシャと、すさまじい中古車の大洪水。走ってる車はどれも、黒い排気ガスをあげながら、バリバリ壮絶な音をたてて走っている。
 これは発展途上国ならどこでも見られる光景だ。メンテナンスという考えがすっごく薄いのだ。あまり整備しないでひたすら酷使して、こわれたら捨てる。道端にはそういうスクラップ車がいっぱいうち捨てられていて(もちろん部品はとれるだけとられている)、もう何カ月もそこにあるんだろう。ほこりをしこたまかぶっている。
 もちろん道端とかに修理屋さんはいる。でも、いろいろ部品を替えて、とりあえず動けばいいやという発想でしかやっていないみたい。車の持ち主のほうも、時間をかけて完璧になおしてもらうよりも、手早くいい加減になおしてもらって、ちょっと調子が悪くても動くならそれで仕事をして稼いだほうがいいと思うらしい。
 さらにある人の話だと、こういう症状にはこうして対応、という経験的な療法はできるんだけれど、それを各修理屋さんが秘伝ノウハウとして抱え込んで、公開しない。だから全体としての技術水準が上がらないし、結果として平均的なメンテ水準も低いまま。
 なぜだろう。先進国なんかでは、ある程度の基本的な技術基盤というのはみんな共有されている。腕のいい整備士さんもいれば、悪い人もいるし、ノウハウの差は多少あるけれども、まあそんなに極端ではない。大事な整備情報があれば、(まあものによるだろうけど)ある程度は共有されていく。みんな(ユーザさえも)車の基本的な仕組みについては知っていて、それが一定の整備水準を達成する役に立っている。そしてそれによって、最終的にはみんなが、調子のいい車という形で恩恵をこうむっているわけだ。


◆公開すると、絶対に進歩するの?

 さて、この途上国の修理屋さんが、たとえばマイクロソフトをはじめとする、隠すことで成立している商業ソフトの世界で、後者の先進国の整備屋さんが、公開することで成立しているオープン・ソースやフリーソフトに対応する世界だというのはすぐにわかるだろう。
 ぼくはなぜかLinux が好きだし、フリーソフトは面白いと思う。だからこの例からすぐに、さあ結果をごらんなさい、やはり商業ソフトではいつまでも停滞したままで、公開と共有のフリーソフトのほうが先進国のように高度の技術的発展をとげられるのです、と論じたい誘惑にかられる。でも、必ずしもそういうわけじゃない。
 公開すりゃいいの? バングラの修理屋さんだって、ある程度の修理情報は公開されていて手に入る。なぜそれが活用されていないんだろうか。公開された情報を利用する資質って何だろう。それってどう考えればいいんだろう。わからない。公開すると、絶対に進歩するの?わからない。ただ、その可能性がある、くらいしかいえない。
 一方、ここの修理屋さんが、代を重ねるうちに、高度に発展した秘伝の修理技術体系をつくりあげて、それが部分的には先進国の整備方法よりもいい結果を生み出すことだって、ないとはいえないのだ。文化相対論者が、西洋医学はダメで伝統医術がすばらしいとかいう世迷い言を言って、それはただのバカ丸出しなんだけれど、でも伝統医術が西洋医学の見つけていない治療法を見つけている可能性はそれなりにある。
 さらに、個別ユーザには、これはすぐに大きな影響がでる話じゃない。フリーソフトに対して、どうせ一般ユーザは自分でソフトなんか書いたりしないからソースが公開されたって関係ないという議論があって、それはまったく正しいのだ。同じところから出発したとき、秘伝修理屋さんと公開修理屋さんではそんなに大きな差はない。秘伝のほうが、秘伝のある分だけ優れているかもしれない。そして差がついてきたあとも、秘伝になれて、そういうもんだと思えば、それで特に困ることもないだろう。黒い煙は上がってるけれど、車はとりあえず走る。それを使って仕事もできる。


◆本当に肝心なことは、何一つわかっていない

 だから、いまあちこちで取りざたされる、フリーソフトVSマイクロソフト、という図式は、実はかなり微妙な議論だったりする。今の論争は、反マイクロソフト的な関心でゆがんでいるところがあるけれど、ほんとうに問題になっているのは、そういう技術や知識のありかたをめぐる思想の違いで、おそらくは昔からいろんな場面で似たような議論が展開されてきたんだろう。西洋科学と技術は、公開を選んで、それは異様に大きな成果を挙げてきた。でも、それはあらゆる場合に成り立つんだろうか?
 もちろん希望はある。情報が公開されても、それを使う資質が問題だ、とちょっと書いたけれど、確かに公開してみると、それを受け入れて発展させようという動きは、なぜかわからないけれど出てはきているんだもの。
 たとえばLinuxという変なものがあって、多くの人にとっては大して役にも立たないし、直接なんの関係もないんだ。でも何人もの人が、面白そうだな、と思って、ちょっと触ってみようかな、なんて思う。中を見て、どうなってるのかな、と思ってしまう。別にそこから新しいものをすぐに作るわけじゃない。でも、そう思ってしまうこと自体が、結局は技術的な一般水準を上げて共有文化を発展させるんだろうな、というくらいは見当がつく。
 なぜみんな、そんなことをするんだろう。よくわからない。なぜぼくは、あなたは、Linux だのFree BSD だのに惹かれて遊んだりするんだろう。わからない。そして日本や欧米でも、そういう好奇心を感じて行動に移る人と、そうでない人が歴然といる。なぜなんだろう。まったくわからないのだ。ただ、そういう人がいるかいないかで、公開文化が成立するかどうかの大きな分かれ目になることだけはわかるのだ。それって、ユニバーサルなものなんだろうか。それもわからない。こっちにきて、いろんな人にLinuxのCDをあげたりしてるんだけれど、どうだろう。ここの人は、そういう好奇心を感じてくれるだろうか。それとも、もっと生活に余裕がないとそもそもダメなんだろうか。ぜんぜんわからない。そういう本当に肝心なことが、実は何一つわかっていなかったりするのである。



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