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イノベーション

HB 2001.8 表紙
Harper's Bazaar 日本版 9 号(2001 年 06 月)

山形浩生



 イノベーションとかイノベーターって言うと、ある日そのイノベーターくんが神田川のほとりを歩いていたり、あるいは実験室や研究しつつ頭をかきむしったりしている時に、ふとリンゴが落ちてきたり、メタリカ(モーツァルトだっけな)の曲が頭の中で鳴り響いたり、木漏れ日がまぶしくちらついたりして、急に頭上にアセチレンランプが点灯して、そして中間子や二股ソケットや、インターネットやら電話やらテレビやら、これまでとはまったくちがったものが着想されて、そしてそれを見たまわりの人たちが「おおおっ!」とどよめいて拍手をする、というような、そんな感じの印象だと思うのだ。段階的にじわじわと改善していくのは、ふつうはイノベーションちっくじゃない。バカなビジネス雑誌やいんちきコンサルがよく、「企業は自己変革を遂げなければ生き残れない!」とか言って「改善ではなく革新を! Improve より innovate を!」なんて言うんだ。

 でも、実際のイノベーションって、思いつきだけでどうにかなるような、そんなものじゃないんだよね。周囲のいろんな発展が相互にささえあって、はじめてその分野での革新的な何かが生まれる。いろんな細かい発展が、うまく結びついたときに初めて「イノベーション」と言えるものが生じる。

 ビジネスの話でもそうだ。半世紀前、日本製品は安かろう悪かろうの代名詞だった。日本製品は、高度なアメリカ製品のチープな猿まね量産品ということになっていたし、実際にそうだった。でも日本製品は、TQCやチマチマした改良を積み重ねることで、いつのまにか安いくせに優秀な製品となった。それまで「日本製品にはイノベーティブなところがなくて、小手先の改良ばかりだ」と悪口を言っていた人たちも、どこかで認めざるをえなくなってきたんだよね。小手先の改良の積み重ねが、真にイノベーションと言えるだけの変革になったということを。

 そしてたぶん、これからのイノベーションっていうのは、そういういろんな人がやる小手先の改善の積み重ねという部分が、ますます高くなるんじゃないかと思うんだ。

 これを書いているとき、Linuxっていうソフトの開発総大将リーヌス・トーヴァルズが来日中だ。この人は、このソフトの中核部分をつくって、それを公開した。それに世界中のいろんなプログラマが、思い思いにボランティアでちょっとした部分を自分なりに追加したり、改良したりしている。リーヌスは、それをとりまとめることで、市販ソフト以上のすさまじい品質のソフトを造り上げた。「古くさい既存のものの焼き直し」という悪口はいまもあるけれど劣性になりつつある。そして他の分野でも、イノベーションがこういう目に見える形での協力の積み重ねで生じる場面は増えると思うんだ。そして、そこにぼくたち凡人のちょっとした努力が、目に見える形で寄与する場面も。インターネットやいろんな通信環境の改善は、それを確実に後押しするだろう。

 もちろん、すべてのイノベーションがそうなるわけじゃない。イブ・サンローランの昔の服とか、本当に戦慄するような感動がある。ああいうのは、烏合の衆による改良では絶対にできない……かどうか、実はわからない。ある天才数学者は意地悪で、数学上の発見をしても黙っていて、他の人が定理を発表すると「それはオレが四年前に証明済みだもんねー」と言っていじめたんだとか。で、かれの遺稿にはその手の未発表定理が山ほどあったんだけれど、でもその頃までにはほとんどすべてが、ほかの天才でない数学者たちがよってたかって発見済みだったんだって。天才のひらめきといえども、実は凡人たちの努力の積み重ねとそんなに遠くはないらしい。

 だからぼくたち凡人も、これからの世界のイノベーションに微力ながら(でもはっきりと)貢献できる可能性というのを無視しちゃいけないのだ。その可能性をちょっとでも実現させようとすることで、たぶん世界は確実に(よかれ悪しかれ)変わっていくのだ。

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