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New Life Style

HB 2001.6 表紙
Harper's Bazaar 日本版 9 号(2001 年 06 月)

山形浩生



 新しいライフスタイル。いまさら何か新しいライフスタイルなんてものがあるのか、という気はしないでもない。もちろん、ライフスタイルなんてピンキリで、明日から山にこもって仙人修行をするのもライフスタイルの大きな変化だし、そうかと思えばペットを飼ったり鉢植えの植物かなんかを部屋におくくらいでもライフスタイルの変化でござい、という話しにはなる。でも、まあ大きな形での人生の過ごし方は、もうだいたい出るものが出尽くしてしまっただろうと思う。この日本でさえも。ワーカホリックも、モラトリアムも、趣味に生きるのも、おたくも家庭に生きるのも、プーも愛人ライフスタイルも、出るものは一通り出た。あとはそれをどう選ぶか、というだけの話ではあるんだが(そして日本ではどれを選んでも大差なさそうだ、という話しではあるんだが)……

 いまの日本でいやなのは、こういう選択がなかなかとりかえしのつかない、かなり決定的なものだということだ。ぼくが欧米の毛唐ども(の恵まれた部分ではあるけれど)を見ていて、本当にうらやましいと思うことがある。それは、連中は人生でいっぱいやりなおしがきく、ということだ。仕事でもいい。遊びでもいい。結婚でもいい。しばらく一つの仕事について、やめて(あるいは失敗して)、そしてそれが何のハンデにもならずに次の仕事に移れる。一年遊んで、それからすぐに仕事に戻れる。ぼくはあれがうらやましい。

 たぶんそれができないということは、いまの日本でいろんな意味で無駄を招いていると思うのだ。二十代前半で、人生の決定的な方向性を決めなきゃいけないということ。そしてそこで失敗すると、自分の価値をかなり下げて就職マーケットに戻らなきゃいけないということ。就職が怖いという人がいるけれど、それは仕事そのものが怖いというよりも、それでその先が決まってしまうことの怖さだ。そして失敗が許されないか、失敗したらその失敗をずっとハンデにして生きなきゃいけないということの怖さでもある。

 モンゴルにいたとき、羊もいないいなかの道を、イギリス人が自転車で走っていて、いっしょにいたモンゴル人たちは爆笑していた。いまの日本でそれをやろうとしたら、それはもう完全な背水の陣だ。その後の人生がかなり制約されることは覚悟しなきゃいけない。でも、そのイギリス人はぜんぜんそんな様子ではなかった。一年くらいふらふらするのもいいかな、という程度の話しだ。やりなおしがきくというのは、そういうことができるってことだ。そして欧米人の文化的なパワーというのも、そういうでたらめなことを一生の中で数年やっても何の影響もない、そういうところからきている。

 日本でも、それが実現しそうな気配はないわけじゃない。いま、不景気で労働市場がちょっと流動的になっている。これをきっかけに、少しやりなおしやすい環境ってできないかな、と思う。同時に、結婚や出産の高齢化で、優柔不断が認められる年齢は高くなってきている。いずれ、それに対応したライフスタイルの変化、というのも起きるんじゃないか、とは思うのだ。

 同時に、それを決定的に推進するものといえば、それはテクノロジーの変化だ。クローンが手軽にできるようになったら。それにともなって変化する生命観は、どんなライフスタイルをもたらすだろうか。そしてたぶんそれよりもインパクトが強い進歩として、寿命がもっと延びたら、ライフスタイルは決定的に変わるだろう。百年生きられないのを前提に送る人生と、二五〇年生きることを前提にする生き方とは、確実にちがってくるだろう。あと百年余計に生きられることになったとき、あなたは何をしたいと思うだろうか。何をしようと思うだろうか。そのとき、人は確実に人生にやりなおしを求めるだろう。そのときに人が選ぶライフスタイルに、ぼくは興味がある。そしてそれより重要なこととして、そもそもあなたはあと百年余計に生きたいと思うだろうか。それとも、どこかでそれを意図的にやめたいと思ったりするのだろうか。

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