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ヒーリング

HB 2001.1 表紙
Harper's Bazaar 日本版 4 号(2001 年 1 月)

山形浩生



 それでいいのだ、とあなたは言うのかもしれないけれど。とりあえずそのとき気持ちよければいいのだ、とあなたは言うのかもしれないのだけれど。それがあくまで目先のことだけで、実は問題は一向に片づいていなくて、ふと目を上げた瞬間にさっきまでのあらゆる悩み事が全部またもやふりかかってきて、同じことのくり返しなのはわかっていて、その「ヒーリング」と称する物が本質的な意味ではちっともヒーリングでもなんでもない、気休めで、問題の先送りで、ひょっとすると問題を見えにくくするだけのものかもしれないのに。

 それでいいのだ、とあなたは言うのかもしれない。気休めといえば、たとえば星占い。人はいろんなものにすがろうとする。ミルチャ・エリアーデという宗教学者がいて、かれは星占いについてこう語っている。むかし、人は自分が天とつながっている、星の世界とつながっていると確信していた、と。そのつながりを書いたのが神話だった。人は星にいろんな物語をみて、そしてそれが人間たちの世界とどう結びついているかを、長い時間をかけて書いてきたんだよ、と。

 いまは、その結びつきがなくなってしまった。人は、宇宙の片隅の宙を漂う岩のかたまりのうえにいるだけで、天はそこにあるだけで、星はでっかい水素爆弾。それでも、人はなんとかその失われた天との結びつきを求めようとする。自分と、星々の世界とがつながっているんだと信じようとする。だからこそ人々は、星占いにすがるんだよ、とエリアーデは説明している。信じてはいないんだけれど、それでも信じたいという絶望的なあがき、それが星占いの流行なんだ、と。

 うまい説明だと思う。応用もきくし。もちろん、日本で血液型占いがはやるのは、日本の社会がとても強い血縁重視の社会だったからだ。いま、家族がこわれ、人は都市でたった一人で暮らしている。だからこそ、いくら科学的、統計的に否定されても、人々は血液型信仰にすがる。自分の血に、ただの医学的な意味以上の、人との結びつきを保証してくれるなにかを見たいからだ。

 でも、エリアーデのこの説明は、とっても悲しい説明でもある。ニューエージの人たちがはまる、いろんなバカなヒーリングがある。クリスタルが大流行したこともあれば、アロマセラビーだの、薬草だの、イルカだの。それを切り捨てるのは簡単なんだけれど……でも、それは単にバカなんじゃない。仙人たちが、岩や森や海を通じて世界の本質と結びつこうとしたように、人間の力がおよばぬ自然や神の力と結びつこうとしたように、いまの人たちも、岩や、植物や、動物や、海や、そんなものとなんとか一体化できないものか、と必死で模索している。自分とこの世界との、あったはずの結びつきをみんな悲しいほどいっしょうけんめいに探している。自分の位置づけを、必死で求めている。そしてそれが不合理であればあるほど、人々はますます切実にそれにのめりこむ。

 これが本当に正解かどうかはもちろんわかりっこないのだけれど、もし結びつきの回復こそがヒーリングなんとかを含む信仰の求めるものなら、究極のヒーリンググッズは、たぶん携帯電話の発展形になるだろう。

 もしもし。そこにいますか。あなたはどこにいますか。わたしはここです。ここにいます。あなたはそこにいるのですか。

 そう言い合うとき、人々は実にうれしそうだ。いまわたしは新橋にいるよ。いま家を出たところだよ。いまは札幌だよ。それを知って、知らされて、なにができるわけでもない。でもそこに人は、目に見えないかたちで、自分たちが結びついている。不思議な力が、自分を見つけてくれて、自分だけにメッセージを伝えてくれる。そのとき人は、世界の中に、自分の場所があり、目に見えない形で自分が世界と結びついているのを、ほんの一瞬でも実感するのかもしれない。そしてそれによって、ちょっとだけ癒される、のかもしれない。携帯電話をもっていないぼくには、よくわからないことではあるのだけれど。

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