Valid XHTML 1.0!

ニューヨーク物見遊山・現代小説篇

(『GQ Japan』 1995 年秋あたり)

山形浩生



 空港からのバスを下りると、そこはグランド・セントラル駅だった。ニューヨークを舞台にした三文小説は、よくそんな始まり方をする。われわれもここから見物を始めよう。ここはドス・パソス『マンハッタン乗換駅』だし、ウィリアム・バロウズ『映画ブレードランナー』のクライマックスの舞台でもある。建物としても味わい深いし(そうでもないか)、容積率移転の初期事例として都市開発史上でも有名。建物だけでなく、その上空の何もないあたりもしっかり愛でるのが通である。

 背後にそびえる旧パンナム・ビルは、今や生保屋さんのメット・ライフビルだ。「パンナム・ビルが云々」というのは無数の小説や映画に登場する。教養ある人は、ここでアメリカの産業構造の変化とか、航空産業の規制緩和の是非とかに思いを駆せて欲しいな。

 それはさておき、グランドセントラルからは、地下鉄のSラインでタイムズ広場に向かおう。こいつはこの二駅の間だけを走るシャトル路線。毎度思うんだが、これって誰が乗るんだ? トマス・ピンチョンの名処女作『V.』で、ヨーヨー人間プロフェインが一日中往復するのがこの路線だ。われわれもそのひそみにならって、もう一往復くらいしてみるのも面白いかもしれない(なんてわけねーだろ)。

 飽きて地上に出ると、そこはタイムズ広場。一番マンハッタンの中心に近い存在かもしれない。付近の 42 丁目沿いに散在するストリップ劇場には、かつてキャシー・アッカーが出演していた。どれかは知らない。想像をたくましくしてないで、中の様子も是非見ておいていただきたい。

 ここからは、また地下鉄に乗ろう。タイムズ広場を通る地下鉄は何本かあるけれど、レッド・ラインで北に向かう。この線は、セントラルパークの南西角のコロンバス・サークルを通り、セントラル・パークの西側を北上する。スティーブ・エリクソンの名作『黒い時計の旅』で、別の二十世紀に生きるヒトラー爺さんがチンピラにいじめられるのが、この地下鉄内のコロンバス・サークル近辺。チンピラたちは、ヒトラーの帽子を盗ってリンカーンセンターで下りる。ここも一応の観光名所だが、われわれはそのまま北上を続けよう。ヒトラー(別の世界の)が住んでいた77丁目も通り過ぎて、向かうは 116 丁目のコロンビア大学。

 このあたりは、一九四〇年代半ばにニューヨークでつぼみをつけ始めた、ビート文化の前哨地だった。もっとも、それが華開くのは六〇年代サンフランシスコの地でのこと。四〇年代にはビートなんてことばすらなかった。十七歳の若きギンズバーグが、まだ作家になるつもりすらなかったバロウズが、後にかれと結婚し、やがて射殺されてしまうジョーン・ヴォルマーが、そしてジャック・ケルアックが、なんとなく知的スノッブ集団をつくっていたのがこのあたり。いずれも、コロンビア大の落ちこぼれ連中を介してのつきあいである。かれらの社交場はブロードウェイと 114 丁目のウェストエンド・カフェや、ブロードウェイと 118 丁目のチャイルズなど。前者は健在で、今でもコロンビアの学生のたまり場として当時の雰囲気をとどめている。かれらのコミューンのようなアパートは420 W.119th にあったが、もちろん今では何の面影もない。

 そこから A ラインでずっと北上すると、マンハッタンのてっぺんあたりにあるのがメトロポリタン美術館の分室クロイスター。ジム・キャロルは『マンハッタン少年日記』のラストで、ここを見つめながら(ゲロを吐きつつ)「純粋になりたい」と思うのである。

 そこから少し下ってブロードウェイがウェストエンドと合流するあたり(とそこのホテル)は、ポール・オースター『シティ・オヴ・グラス』に明示的に登場する数少ない場所だが、行って何があるわけじゃない。オースターはそういう作家ではないからね。街の雰囲気も荒んでいるし、長居はしたくないから足早に立ち去る。

 おっかなびっくり(でも見かけは平然と)、そこからセントラル・パークに入ろう。適当に池のボートなんぞに乗るのも面白かろう。ウィリアム・コツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』で、大先生がスーパーホットドッグ使命を果たすべく居眠りして溺れるのがここでのこと。真似しないように。ついでにホットドッグの屋台に声をかけて、でっかいパラソルを売らせることができたら、立派なホットドッグの騎士である。

 グッゲンハイム美術館にメトロポリタン美術館。欝陶しい家庭にうんざりした女の子が、家出してメトロポリタン美術館で暮らす児童小説があったけど、あれは何だったっけ。もう忘れてしまった。でも、素敵なお話だった。どちらもいちいち思いだせないほど無数の小説のバックドロップ。ちなみに、ワタシもガキの頃は、毎週ここで絵を習ってました。そーゆー伝統ある場所です。入り口の大階段前に並ぶプレッツェル屋台は、かの和田慎二の『スケバン刑事』にも登場。お懐かしや。

 泊まりはやっぱチェルシー・ホテル。ウィリアム・バロウズも、アーサー・C・クラークも、ケルアックも、みんなここに長期滞在している。一応、ここで死んだシド・ヴィシャスとナンシー・スパンゲンを偲んでロウソクを献じるのがアレだが、まあそこまでしなくてもねえ。ちなみにクリントン大統領の娘チェルシーの名は、ジョニー・ミッチェルの歌を経由してこのホテルに由来しているという。泣かせますねえ。古びた中級ホテルで、結構安いけれど、なんとなく雰囲気が淀んでいるような気がするのはぼくだけだろうか。それとも、長期滞在者が年寄りばかりだからだろうか。

 さらに南下を続けよう。ドナルド・バーセルミの名短編集『口に出せない習慣、奇妙な行為』収録の「バルーン」で、マンハッタン南部を覆い尽くす巨大な風船は、14 丁目あたりからふくらみ出す。が、かれもまた、具体的な場所で話を展開する作家ではない。

 8 丁目を 6 番から東に向かうと、途中に現代アメリカ黒んぼ作家のホープ、ダリウス・ジェイムズの『ニグロフォビア』に登場するプレイハウスがある、というか、あった。「ロッキー・ホラーショー」を十年以上にわたって上映し続けた映画館で、ファンたちの芸で名高かった。現在は閉鎖されて売りに出ているが、一向に買い手がつく気配がない。ふびんな。

 そのまま5番街に出ると、右手のつきあたりがワシントン広場。でっかな門が目立つので、映画ではしょっちゅう見かけるし、小説でも何の気なしによく出て来る。『ゼロ・デシベル』のマディソン・スマート・ベルが、『ワシントン・スクウェアなんとか』とかいうチンピラが群れる長編を書いていて、全編ここが舞台。どんな小説かは、読んでないから知らない。

 ブロードウェイに出たところでちょっと北に戻ると、巨大な古本屋ストランドがある。ここの本に埋もれて迷ったまま出てこれなくなる小説があったような気もするが、忘れた。その斜向かいの「フォービデン・プラネット」では SF 作家がよくサイン会をしたりする。ぼくがウィリアム・『ニューロマンサー』・ギブスンの実物を見たのは、今のところここが唯一の場所。

 作家の実物と言えば、ちょっと南の角をまがったボトム・ラインは見逃せないポイント。ここにウッドストック時代のコミックバンド、ザ・ファッグスが出演した時、会場はどこからともなくあらわれたヒッピーの残党で埋め尽くされ、あたりがアナクロっぽい雰囲気で盛り上がってきたとき、いきなり会場が妙なざわつきかたをして、入ってきたのは何と本物のアレン・ギンズバーグ! おおっ! というわけで、あたりは一挙に六〇年代したのである。うー、あれは怖かった。ギンズバーグはこの近所の7丁目の住人だから、何かと顔を出すらしい。

 先を急ごう。セント・マークス・ストリート(8 丁目)にあったセント・マークス書店は覗いておこうか。いい本屋だし、ここらのランドマーク的な存在でもある。最近、ちょっと離れた角に移転した。2番街に出て北の方を見ると、10 丁目の角に見えるのがセント・マークス教会。草間弥生『聖マルクス教会炎上』のアレである。ビート連中が、いっぱしの作家になってからここで朗読会をしたり、その他イベントには今でも事欠かない。

 ビレッジやソーホーの細かいところは飛ばすから、適当にうろついとくれ。先日何十周年だかを迎えたCBGBをかすめて南下。バワリーは、かつてウィリアム・バロウズが住んでいた通称バンカーの所在地。正確には 222 バワリー。もうなくなっているかもしれない。ヘンリー・ミラーの悲惨な処女作『モロク』も、ここらで始まる。さらについでに、ウィリアム・コツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』で、大先生がラブ・コーラス合唱団のリハーサルをするのが、このバワリーの聖ナンシー教会。そこからちょっと北東に 8 丁目まで戻ると、大先生がその合唱団用に家出少女たちをリクルートするトンプキンス広場に出る。ワシントン広場との雰囲気の差は明白だろう。

 ずっと西に戻ってトライベッカの 77 ホワイト・ストリートは、一部では伝説的な MUDD クラブのあったところ(らしい)。キャシー・アッカーの短編「一九七九年のニューヨーク」は、店の中には入らず、外で行列と服装チェックの様子を見物し続ける。この店はもうない。七〇年代後半から八〇年代初期のニューヨークのクラブシーンを代表する他のクラブも、多くは姿を消した。当時を知っている人に言わせると、今のニューヨークは見る影もないそうだけれど、まあぼくだって当時のNYなんか知りゃしない。マキナニーの処女作『ブライト・ライツ・ビッグ・シティ』の主人公が語り始めるのは、あるいはこの店の中だったかもしれない。

 ウォール街までくると、また雰囲気は圧倒的にかわるけれど、ここは不思議と小説にはなりにくい所だ。とはいえ、ぼくのファイナンスの先生に言わせると「ファイナンスというのも壮大なフィクションなのだ」そうなので、このあたり一帯すべてが大虚構小説の舞台という見方もあるかもしれない。そう見れるだけのアレがあればの話だけれど。

 ここらでマンハッタンを離れる。B,D,F ライン終点のブルックリンはコニー・アイランドは、ルー・リードの歌に出て来るけれど、いろいろ小説にも顔を出す。独特の衰退した荒んだ雰囲気はなんとも言い難い。そこからボードウォークを東に向かうと、ある時雰囲気がガラリと変わったのに気がつく。あたりの爺さんバアさんどもが、英語でないことばをしゃべっているのだ。ここがブライトン・ビーチ。亡命ロシア系ユダヤ人の巣窟で、ニール・サイモンの戯曲『ブライトン・ビーチ回顧録』の舞台でもある。看板も一面キリル文字。でも、街全体が住人たちとともに老いてきて、コニー・アイランドの雰囲気と妙に連続性を保っている。好きだね。

 で、最後にA,Cラインで戻って、ブルックリン側のブルックリン橋駅で下りよう。この橋を歩いて渡るのはおのぼりさんの証拠だが、ニューヨークはアプローチが見事な街だから、断固として渡る。ヘンリー・ミラーの『暗い春』などでセンチメンタルかつシンボリックな使われ方をする、ニューヨークのシンボルの一つだ。サミュエル・ディレーニのマルチプレックス小説『エンパイア・スター』では、ある意味でこの橋が地球のシンボルとなっている。

 ディレーニはこう書いている。:

「およそこの巨大なマルチプレックス宇宙には、ブルックリン橋のように、リスと呼ばれる世界が数多く存在する。それが始まりだ。それが終わりだ。あなたがたが知覚したものをどう整理するか、ある時点から別の時点へどのように旅をするのか、その問題はあなたがたに残しておくことにする」(米村秀雄訳)

 このブルックリン橋を、ニューヨークと読み換えても、あるいは小説と読み換えても、同じ事なのだと言ったら、あなたはどう思われるだろうか。われわれの駆け足の物見遊山は、この橋の真ん中でとりあえず終わる。

GQインデックスに戻る YAMAGATA Hirooトップに戻る


Valid XHTML 1.0! YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>