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Paul Auster インタビュー

(『GQ Japan』1996 年春)

山形浩生
(その時の録音カセットが出てきたので mp3 にした。wmp版RealAudio。全部で 50 分くらい(あと wmp版が firefox ではうまくいかん)。)



 ポール・オースターの仕事場は、ニューヨークはブルックリンのパーク・スロープと呼ばれる一帯にある。落ち着いた静かな近隣で、煉瓦造のアパート群がならぶ感じはちょっとスノッブなボストンを思わせる。実際、文化的にも非常に由緒正しい場所で、レズビアン・コミュニティが独自の文化圏を形成しているのがこのあたり。かつてグリニッジ・ビレッジにゲイ・コミュニティが成立し、新しい文化を華開かせたように 有名どころではアンドレア・「すべて男が悪いんじゃ!」・ドウォーキンもこの近辺の住人だし、あまり有名でないところでは、拙訳『ニグロフォビア』が最近刊行されたダリウス・ジェームズも、先日までこの地区の住人だった。

「やあ、待ってたよ」 

 時に 1995 年 2 月 25 日。例によって得体の知れない理由でニューヨークの地下鉄が止まり、慌てて乗り込んだタクシーもさんざん道に迷ってくれて、インタビュー場所のポール・オースター氏の仕事場についたのは約束の 30 分遅れ。カメラマンと二人して冷や汗まみれで呼び鈴を押すと、特に機嫌を損ねた様子もなくご本人がドアを開けてくれた。180 センチ以上の長身、シャープで大きな目にアクセントのある、精悍と言わざるを得ないマスク。美男だね、ちくしょうめが。

――インタビューはお好きですか。

「いいや(きっぱり)。これはもう断言できる。相手にもよるけど『そんなのは本を読めばわかるだろうが!』というのが半分くらいと、あとあまり個人的な話をきかれるのは好きじゃない。結果的に、言えることというのは非常に限られてきて、それも実際口に出してみると、不正確で間抜けで恥ずかしい代物になってしまって……」

――(やりにくいなあ……)ベルリンに行ってらしたそうですが……

「うん、ベルリン映画祭。わたしの映画が出品されたんで……」

――「わたしの映画」と言いますと、脚本、ですか?

「一本はね。もう一本は、前の映画で知り合った連中とでつくったもので、わたしは共同監督」(得意満面)

――……監督までなさった?! 意外ですね。昔、柴田元幸氏があなたにインタビューしたとき「わたしの作品は『聞く』感じが強い」というようなことをおっしゃっていましたし、そういうビジュアルな指向があるとは思いませんでしたが。

 ポール・オースター。80 年代初期に、ニューヨーク三部作をひっさげて登場し、一躍アメリカ主流現代文学の最先端に踊り出た。かれの多くの作品で、読者はけっして人々や事件と直接対面させてもらえない。いつもそれは、手記や談話として第三者に語り聞かされる。具体的でありながら具体的でない、見えるようで見えない、真綿のはさまったような感触が。ポール・オースターのすべての作品を特徴づけている。

「確かに小説は全然ちがう。小説の語り口は、柴田氏が言ったように人々の『声』を重視したものだし。でも昔からビジュアルなものへの関心は高かったんだよ。だから必ずしもやぶから棒にというわけではない」

――ことの起こりからお話願えますか。

「発端は四年前。ニューヨーク・タイムズから、クリスマス用の短編を書いてくれという依頼を受けたんだ。ええと、何年か前に日本語にもなったはずだよ。『スイッチ』とかいう雑誌だったかな。
 とにかく、それを読んだアメリカの映画作家ウェイン・ワングが、これは映画化するのの好都合な話だというので、わたしに連絡してきた。で、まあ紆余曲折を経て、わたしが脚本も書くことになった。これが『スモーク』という映画だ。94年の春に撮影。
 で、この映画でリハーサルをしてるときに、役者たちがいろいろインプロビゼーションをやってた。それを見てて次のを思いついたんだ。キャストはほとんど同じだけど、大部分が即興という映画をね。で、これにも金がついて、やることになった。『Blue in the Face (顔面真っ青)』という映画だ。八割くらいが即興だな」

――ゲッ、何これ。出演がハーヴェイ・カイテルにジム・ジャームッシュ、それにマドンナぁ?

「もう大成功だったよ。ベルリンでは銀獅子賞もいくつかとって。こう、ハーヴェイ・カイテルが禁煙しようとして、最後の一本を吸いに喫茶店にやってくると、そこにジム・ジャームッシュがいていろいろやりとりをかわす、というようなストーリーで、撮影は全部このあたりでやったんだ。いや面白かった」

 そういうポール・オースター氏も、次から次へとタバコを消費している。その横手の壁には子供が書いたとおぼしき「禁煙」マークが貼ってある。こちらの視線に気がついて、苦笑するオースター氏。

「娘が描いたんだよ。たまにここにも遊びにくるんだけれど、さすがにこの煙は気に入ってもらえないらしくてね」

――ご自宅は、このすぐ近くですよね。こう、敢えて別に仕事場を設けるメリットっていうのは何なんでしょうか(すいません、仕事で在宅勤務の調査とかやってるもんで)

「うん、それは仕事と家庭をきちんと分けるってことに尽きる。それともう一つは、仕事のリズムだろうね。始まりと終わりがきちんと区切れる。朝起きて、娘を学校に送ってく。それからここにきて、うんうん頭を抱える。昼にはそこの角のサンドイッチ屋で昼食。それが気分転換になって、午前中の問題が午後には解決されていたりする。夕方までまたここで作業を続けて、四時頃に家に戻る、という具合に毎日が過ぎる。非常にルーチン化されている」

 ポール・オースターと言えば、一応は現代アメリカを代表する大作家。だがその仕事場は、四畳半一間くらいの穴蔵のような場所である。天井からは裸電球がぶら下がり、窓からは隣のビルの煉瓦のかべが見えるだけ。床には、決してきれいとは言えないじゅうたんというか敷物。便所と、申し訳程度の台所、そこにコーヒーポットがあるだけ。片側に本だながあるが、本はほとんどない。ファイルと、カタログやパンフレット類が中心だ。机は、多少雑だがまあ整理はされている、といった感じ。そして袖机に、見るからにおんぼろ安物の、マニュアル・タイプライター。 オースターと山形

――ウィリアム・ギブスン以来、作家が何を使って書くかをきくのがファッショナブルってことになってますが、ずっとあの(ボロ)タイプを使ってらっしゃるんですか。

 「うん、そうだよ。というかもっと正確には、書くのは手書き、万年筆だよ。タイプは手紙と清書用。どのみちわたしはそんな書くのが速い作家じゃないから、それで十分だし、勝手知ったる手法でもあるし。それでペンで全部書きあがってから、二、三週間かけて、それをタイプで清書する」

――……

「その顔、何を言いたいかはわかるよ(笑)。確かに、手間のかかるやりくちではある。特に最後のタイプの部分はしんどい。最新作の Mr. Vertigo を書き上げた時なんか、こう、修正に修正を重ねた手書き原稿の束を前にして、これからこいつを全部タイプしなきゃならんのかと思うと心底ゾッとしたよ。『よし、これが最後だ、二度とこんな間抜けな書き方はするまい』と決心したんだが、しかしタイプに向かって、読む速度で原稿を打ってると、手書きの時には気づかなかった、読んだ時の文章のリズム感が見えてくるんだな。それでまた、あちこちもたつくところやまわりくどいところをたくさん直せた。だから、あれはやっぱりわたしにとって必要なプロセスだし、次の作品もああやって書くだろう」

――でも手書きだと、思考の速度に手が追いつかなくて、もたついて苛々しませんか。

「いやいや、そんな機関銃みたいな書き方はしないから。一日がかりでせいぜい一ページ。書いては直し、書いては直し……」

――『リバイアサン』の主人公みたいに、ですか。

「そうそう。それに、何を書くかというのもさることながら、何を書かないかというのも同じくらい重要なんだ。だから、紙に書かれた文字の量からすれば、かなりゆっくりだよね」
 そう語るかれの口調も、ひとつひとつ考えつつことばを選んでいるような、ゆっくりとした語り口である。けっして無口ではないのだけれど、うつむきながら思考を紡ぐその様子は、かれの作品とも通じるものがある。

――一日一ページとおっしゃいましたが、その速度はかなり安定したものなんでしょうか。

「多少の波はあるけれど、まあたいがいは安定している。時々、なにかこう憑かれたような状態になってたくさん書ける時もあるけれど、それ以外の時は……。300 枚の長編を書くのに、ある程度の規則正しさとルーチン性と安定したペースというのは不可欠じゃないかね」

――うーん、しかし一方で、〆切に追われて書く人もいるでしょう。いわゆる「〆切駆動型作家」というヤツですか。

「……そういえばそうだな。うん。そういう作家もいる。しかし、わたしのスタイルではない。マラソンみたいなものだ。止まるのは難しいけれど、ペースを変えるのも難しい。たとえば、夜まで仕事を続けるだろ。すると、翌日はもう全然何も書けない。それと、夜まで書いていると、頭が全力疾走状態になってしまって夢の中にまで出てきてつらい。仕事はどっかで区切りをつけて、あとは無意識に作業をさせるようにしないと。〆切、というのも……わたしの場合、書きあがるまで完成しないし、そういうものではない」

――確かに、非常に着実な執筆ペースを守ってらっしゃいますね。年にほぼ一冊。

「うーん、でもそれはそう見えるだけのことで、というのも、何も刊行してもらえなかった時期がかなりあって、その時期に書きためた、いわば受注残がたくさんあるわけだ。だから実際に書くペースのほうは、二、三年に一冊。とはいえ、『最後の物たちの国で』は十五年かかってる。『ムーン・パレス』も十五年かかってる。だからものにもよる」

――『最後の物たちの国で』は、あなたの他の作品とくらべてまったくちがった雰囲気というか世界を持っているように感じます。抽象性が低いというのか、他の作品とちがって「作家」が出てこないせいないのかよくわからないんですが。十五年かかったとおっしゃいましたが、生まれ方とかで、何か他と際立って違った点というのはあるんでしょうか。

「そもそもあの作品は、書き始めたのが他のどの作品より先なんだ。それが一つ。それと……うん、確かにきみの言う通り、あれには独特のトーンがある。他のわたしの作品とくらべて、もっと詩的な小説だと言っていいかな。でも、だからといって、一回限りの鬼っ子というわけじゃない。これまたわたしの中の一部ではあるし、これから育てて探求していきたいと思っている部分なんだ。Mr. Vertigo も、これまた別のタイプの作品ではあるけれど、でもそうした部分の発現だと思いたい。わたしの作品群の中で『最後の物たちの国で』と並んで詩的小説というサブジャンルをつくるものだと思う。他の地に足のついた小説群とは別系統の。
 作家としては、作品に幅を持たせたいとは思っている。いろんな系統のがあって欲しい。同じことばかりやっているわけにはいかないからね」

――本の裏表紙についている書評なんかを見ますと、『最後の物たちの国で』を読んだ人はみんな、それぞれに勝手な国のイメージをそこに見ようとしますよね。

「うん、あれが SF だというとんでもないコメントまでもらったよ。あの本は歴史に基づいた現在と過去についての小説であって、未来の話とはほとんど関係がないのにね」

 余談ながら、SF には長いディストピア小説の伝統があり、『最後の物たちの国で』のような作品も比較的無理なくそうした文脈におさまる。未来の話が出てこないから SF でない、というもんではない。が、閑話休題。

「しかし、それ以外の反応は比較的穏当なものだったと思う。あの小説はフィクションの部分よりは、現実の歴史的な記録から借りてきた部分がかなり多いんだ」

――個人的には、スターリン時代のソ連がモデルになっているように思うんですが……

「うん、あと第二次世界大戦もあそこにある。あれを読んだ反応として一番悲劇的だったのは……あの本を、サラエボの劇団が入手したんだ。かれらにとっては、あそこに描かれているのはまさに日々の現実そのものだったんだね。それでかれらは劇をつくった。それが昨年の秋にサラエボで上演されて、バネッサ・レッドグレーブがすごくそれに入れこんでて、わざわざ出向いて語り手のアンナ・ブルーム役で出たりもした。で、この劇団はその後各地に招待されて、西ヨーロッパ各地をまわったんだけど、ああいう形で自分の作品と対面するというのは、感動的だった。十月にベルリンで観たけれど、自分の作品が、ああいう形で自分に戻って来ると、作家としては……何と言っていいかわからない。こう砕け散るような衝撃的な、shatteringな体験だった。本そのものは、かれらがああいう状態になる何年も前に書かれているのに」

――……それに比べると脳天気な話かもしれませんが、『シティ・オブ・グラス』のコミック版なんてのが出てしまってますね。とはいっても、見たときは悪い冗談だと思いましたが、実際に読んでみると異様な出来のよさで……

「うん、驚異的だろう。あれを仕切ったのは、ナチズム風刺コミック『MAUS』をやったアート・シュピーゲルマンで、昔からの友達なんだ。最初に話を持ってこれらたときには面食らったけれど、まああいつのやることならまちがいはあるまい、ということで OK を出したんだ。どんなものが出来上がるか興味もあったし。結果はきみの言う通り」

――あのピーターが椅子にじっとすわってほとんど支離滅裂な独白にふけるあたりなんか……

「……感心させられたよね」

 『シティ・オブ・グラス』登場人物ピーターは、純粋言語を探し求める父親によって子供時代を一室に監禁されて過ごしたため、通常の会話能力を欠いている。このため、あちこちからかき集めてきたような、繰り返しの多い断片的な借り物のことばで語る。それをアーティストのデビッド・マツチェリは、ピーター自身が次々に変身を遂げる形で表現し、原作の借り物めいたせりふの雰囲気を見事に描き出していた。

――作家になる、という決断はどこかではっきりあったんでしょうか、それともなんとなく?

「かなり昔からものは書いていたよ。発表してない小説とか、その後、詩や評論に移ってきて……しかし、自分なりの書き味ってものを見出だしたのは、ごく最近のことと言っていいだろう。
 なんとなく書くようになる、というのはありえないと思う。どっかで意識的な決断があるはずだ。わたしだってそうだ。だってまあ、ろくでもない稼業だからね、これは。だれも積極的に作家になれなんて勧めたりはしない、それどころか、みんなやめとけって言うのが普通だろう。十八歳で、文無しの人間がいて、詩を書くというのはとうてい現実的な処世術ではないわな。若い物書きというのは、掲載拒否と、無関心と、貧乏の総攻撃にあってるようなものだ。これよりひどい仕事といったら、役者しかない。作家はだれにも読まれなくても書けるけれど、役者はだれかに役を与えてもらわないと何もできないからね。
 まあそうやって、淘汰されてくんだろうね。二十では、みんな作家になりたがる。三十まで続ける人間はそのうちごくわずか。四十、五十となるにつれてどんどん減っていく」

 ちなみに当のオースター氏、現在四十七歳。

――あなたの作品が訳され始めたときに日本で出ていた意見として、「そりゃこういうのはアメリカ人にとっては目新しいかもしれないが、ヨーロッパにはいくらもいるじゃないか」というのがありました。いくらもいるかどうかはさておき、どうでしょう、ご自分では、自分をアメリカ的な作家とお考えでしょうか、ヨーロッパ的とお考えでしょうか。

「うん、いや、そういう制限をつけるような考えかたにはちょっと驚かされる。あれはアメリカ的とかこれはヨーロッパ的とかね。まるで日本作家はこういうふうにしか書いてはいけない、とでもいうみたいに。しかし、そんなのはばかげてる。そもそも文学というものの始まり以来、作家たちは常に相互に影響を受け、与えあってきたんだ。イタリアのソネットなしにシェイクスピアのソネットはありえなかった。フローベールなしにジョイスはありえないし、ジョイスなしにフォークナーはありえない。フォークナーなしにガルシア=マルケスはありえないし、ガルシア=マルケスなしにはトニ・モリスンはなかっただろう。みんなちがった国からきて、お互いに影響を受け、それを変化させてきた。言語そのものだってそうだ。現代英語はいろんな言語の混成だろう。だからこの世には、そういう純粋性ってものはないし考えるべきでもない。
 実際、現代の世界の問題の多くは、そういう多様性を否定しようとする人々が引き起こしていると言ってもいいんじゃないかな。それは旧ユーゴスラビアでもそうだし、あるいは今のアメリカ共和党議会が提出している、移民制限の法案なんかもそうだし、本当に恐ろしい。
 わたしは寛容さというものを信じている。もっとも一方で、寛容さというのは、『だれも真実というものを持っていない』ということを前提としているわけだけれどね。でも、絶対的な真実というものをだれかが主張し始めると、圧制が始まるんだ。絶対的な真実とか、いろんなものをきれいに二分しようという試みとかは、長期的には絶対に無益なものだと思うね。小説の世界であっても、あるいは現実の世界であっても」

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