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『高度一万メートルからの眺め』 連載 15 回??

真に求めるものを口に出すか?

月刊『GQ』 2011/06月号

要約:本当に求める幸福とか平和とかは、実はそれ自体を目指してはいけないのかもしれない。


 ぼくのいる会社がこないだ組織改正になって、いままである程度抽象的だった部の名前が、ずいぶんと即物的なものとなった。言うなれば、これまでは物流産業部という名前だったのが、自動車トラック製造調査部になったようなもの。社内では賛否両論で、経営陣としては組織としてのミッションとフォーカスを具体的かつ明確にした、と言っている。でもあんまり方向性を具体化することで、かえって融通が利かなくなるんじゃないか、あるいは既存の産業分類にしばられすぎるようになって、調査が固定化するんじゃないか、という声もある。どっちもそれなりに立場はあって、結局まあやってみないことには何とも言えない。

 こうした組織の名称や区分というのは変なものだし、往々にしてそれは実際の機能分類とは別の配慮で作られる。時にはそれは政治的な配慮だったり、あるいは単にポスト作りのために得たいのしれない組織を増殖させているだけだったり。前に仕事をしていたアフリカの国には、変な省庁が山ほどあった。たとえば女性子供省というのがある。まあ福祉関連の業務をやっているところなのだけれど、そういう形で女子供だけを特だしするというのは福祉の建前としていいのかどうか。あと、難民観光省なるものがあった。確かにどっちも、外から人がくるという意味では似たようなものかもしれないけど……

 だが、そうした組織命名や分類にも、ちょっと不思議なことがある。多くの組織は、直接一義的に目指すものをそのまま組織区分に採用しない。株式会社は基本的に、株主利益の最大化を狙うことになっている(この見方に異論があるのはもちろん知っているが、それをまったく目指さないという企業は通常はあり得ない)。でも、「株主利益増大部」といった部を持つ会社はない。また多くの国は国民の幸福実現を目指す、と述べる。でもそれに対して、「幸福省」というのがある国はない。唯一その名を冠した省が登場するのは、皮肉なことにオーウェルの名作『一九八四年』の超全体主義国家イングソックだ。

 これがなぜかという話を時々飲みながらして、酔っ払いどもはいろいろ説を考案するんだが、ぼくが気に入っている説は、人が本当にほしいものは、それを求めなくなって初めて得られるのだ、という説だ。悟りと同じで、人は悟りを求めているうちは悟りを得られない。それを忘れたときに初めて悟りが得られる。幸せの青い鳥は、それを直接探そうとしてもそこにはいない。他のことを一生懸命やっていて、気がつくとあるときそこにいる。

 会社の利益だって、ひょっとしたらそういうものなのかもしれない。それは直接目指すべきものではなく、品質とかサービス水準とかを目指すうちに、気がつくと実現できているものなのかもしれない。そういう話をすると、なんと美しい話だ、とみんな手を取り合って涙するときと、頼むからそういう青臭いことは言わないでくれ、と失笑される場合と両方あるんだけれど、ぼくはこれがちょっとは本質をついているんじゃないか、とは思うのだ。すると今回の弊社の、即物的な組織改正は……



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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