『高度一万メートルからの眺め』 連載 15 回??
月刊『GQ』 2011/04月号
要約:宗教政治の話はしないほうがいいというけれど、ときどき聞かれるし、できるようにしておいたほうがいいよ。
最近、甘い見通しで引き受けた、新分野の大きなプロジェクトがにっちもさっちも行かなくなり、関係者に頭を下げまくって中止した。
話としては非常に興味深いプロジェクトで、概略を聞いた瞬間にとびついたのだけれど、実際にやってみると先行調査もほとんどなく、市場の情報もまったく公開されていないものばかりで、関係機関にヒアリングをしても非協力的なことおびただしい。そして最後にあてにしていた情報源から、難しいという回答をもらうに至って、もう先のめどがまったくたたなくなり、中止するしかなくなってしまったのだった。
当然ながらお客さんにそれを説明しなくてはならなかったわけだが、その前日までは何とかしてプロジェクトを成功させるべく「いや大丈夫です、ああしてこうして、これまでの遅れは必ず取り戻せますから」と弁明していたのに、一夜明けたら「やっぱり無理です」と言うのは、久々に冷や汗が流れ、胃が縮こまる体験ではあった。プロジェクトをこんな形で、こちらから中断することになったのはもう十年ぶりか。
幸い、かなりつらい状況だということはそれまでの経緯からお客さんも理解しておられ、心配してくださっていたところだったから、継続困難を伝えても「やっぱりそうか」という反応であまり怒られなかったのが、ほっとすると同時に悔しくもある。プロジェクトが走り出したばかりで、まだやりなおしが効く段階であったことも幸いした。
というわけで教訓としては、損切りは早めに、ということと、土地勘のない分野には手を出すな、守備範囲をきちんと守れ、ということになるのかもしれない。今回も、何人かからそれを言われた。
そして、それは自分でもときどき思うことではある。このくらいの歳になると、もう決まった縄張りがあって、その中でだけ安定して飯が食えるようになっていたいなあ、と思うし、やろうと思えばそれは可能ではあるのだ。
でも実際それをやっている人を見ると、ぼくはあまりしっくりこないのだ。どこかで現状に安住しきって、存在そのものが弛緩してくるような感じがする。そしてだんだん視野が狭くなって状況が変わったときに対応しきれず、最近の北アフリカ諸国の独裁者たちのように、一気に突然何もなくなってしまうんじゃないか。たぶんベン・アリもムバラクもカダフィも、今まさにそういうキツネにつままれたような気分だと思うのだ。かつてリゾート開発が華やかだった頃や、通貨危機前のアジア不動産開発の頃にそれを味わった身としては、そういう状況は是非とも避けたいな、という気持ちがあるのだ。
そんなわけで、知らない分野でもあれこれ食いつくようにはしているし、興味本位で入ったものがおもしろい分野へと発展した例も多いので、後悔しているわけじゃない。
それでも、リスキーなやり方ではあるし、それには必ずこうした失敗がつきまとう。そのたびに、「もう変な仕事には手を出すまい」と思いつつ、未だに一向にこりずに、一月もするとまた目先の変わった話にとびつくようになるのはわかっているんだが……