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『高度一万メートルからの眺め』 連載 15 回??

ドラッカーでは商売になりません。

月刊『GQ』 2011/02月号

要約:なぜ日本の経営者は経営論のお題目が好きなんだろう。いらぬドラッカー説教で商機をのがしたりしてる。


 たぶん、女子高生がドラッカーをどうしたいう本が売れたせいだと思うんだが、本誌を含め世の中のビジネスマン向け雑誌その他を読むと、各種の識者が、ビジネスの古典を読めといって、ドラッカーとか昔の経営者の教訓集とか、そんなものを奨めたりしている。うーん、どうなんだろう。ぼくはああいうのは、そんなに御利益がないどころか、むしろ有害だと思っているのだ。

 その手の代物にはいろんなお題目が書いてある。顧客重視とかビジョンが重要とか。でもそれだけじゃ何にもならない。それどころか、むしろ混乱のもとだ。探せば、どんなお題目についても、正反対のことを言っているマネジメント本は見つかる。企業は利益が重要と言う本もあれば、利益を度外視して社会に奉仕するのが重要という本もあるだろう。あれもあればこれもある。

 それは、そのお題目や型がまちがっているということじゃない。でもビジネスだって多種多様だし、持続可能な落としどころは一つじゃないのだ。アグレッシブな成長路線でいくか? 安定をめざすのか? 新しい分野に展開するか? あるいは決まった路線を死守するか? 顧客をすべて大事にするのか、それとも顧客を選り分けてある特定の顧客だけを重視するのか? そこで「常に顧客ニーズを重視せよ」なんていうお題目を読んで「うーむ深い」としたり顔をすることはできる。でもそれは本当に役にたつのか? そしてもう一つ。成功した企業の創業者が哲学を語ったりする。でもそれは、本当にその哲学のせいで成功したのか? たまたま偶然成功したために、役にたたない哲学談義ができる結構な立場になっただけでは?

 最近特にそういうことを考えるのは、アジアの某国で日本の中小企業があまり進出できていない理由を調べた報告書を読んだせいもある。その国はいま成長期にある。そして、そろそろ低品質量産体制から、少し付加価値の高い中高品質生産に移行したい。そのためには、こういう技術を導入したいという明確な目標があり、そのために日本企業と提携したがるところも多い。

 ところが、その話がなかなかまとまらない。特に、商談の最後になって日本側の社長クラスが出てくるあたりで物別れに終わることが多いそうな。なぜか? 途上国側は、社長が出てきたら、その場でもう話が決まるものだと思っている。決定的な値段や条件の詰めをして、あとは契約書に署名だと思っている。ところが、日本からくる社長はそうした現実の商売の話をせず、やたらに経営哲学だの理念だのを語りたがるんだそうだ。相手はそれにうんざりし、いつまでたっても本題に入らない、バカにされてる、二度と会いたくないということになってしまうとか。

 その光景が思い浮かぶだけに、何ともげんなりさせられてしまう。そしてその場面において、たぶん理があるのはその途上国側のほうだ。かれらは、いまそうしたお題目を必要とする段階にはいない。だって、自分の事業に対する需要も発展すべき方向性もわかっている。理念なんか持ち出すまでもないのだ。

 日本でマネジメント系のお題目がはやるのは、日本の習い事で重視される型の発想があるせいかもしれない。あるいは日本経済が行き詰まっていて、現実面でできることがあまりないために、そうしたお題目にでもすがらなくては不安なのかも知れない。でもそういう理念が意味を持つ場面と、持たない場面がある。それがわからない人は、ぼくは変なマネジメントのお題目なんかに手を出さない方がいいと思っているのだけれど。でも、それはぼくが経営者じゃないからわからないだけ、なのかな。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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