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『高度一万メートルからの眺め』 連載 15 回??

ジョブスプレゼンはやめてくれ。

月刊『GQ』 2010/10月号

要約:最近は報告書にすることも考えずにジョブズ式プレゼンをしようとする強者がでてきて、困りますよう。


 ぼくの仕事は、いろんな調査をしてその結果を報告することだ。基本的には報告書を書き上げて納品することになる。調査の背景と目的は何で、どんな手法で調査を行い、どんな結果が出て、そこから何が言えて、したがってその会社や組織やプロジェクトがどうすればいいのか、というのを筋道だって説明するわけだ。

 これだと大規模な調査では報告書がものすごく分厚くなる。集めたデータに各種のシミュレーション、詳細な世界経済の見通し。でも何百ページもの報告書を書いても、お客さんがそれを全部読むかというと、そんなわけはない。結局どうなのよ、簡潔にまとめてよ、という話で報告書の先頭に30ページのエグゼキュティブサマリーをつけることになり、お客さん——特にその中のえらい人——はその部分しか読まない。それすら面倒くさいという人もいる。

 そうなってくると、だんだん分厚い報告書を書くのもばからしい、ということになってくる。報告書が書き上がれば、当然お客さんのところにいって報告会というのをやる。そのときにはパワーポイントで発表資料を作るけれど、その資料だけでいいじゃないか、と。もはや何百ページもの報告書を書くのはダサくて、パワーポイントの資料ですべてをまとめるのがかっこいいコンサルのスタイルなんだぜ、というわけだ。

 ぼくは古い人間なので、この発想には顔をしかめる。文章にして細部まできちんと詰めた報告書を一度は書かないと、どうしても穴が残ると思うのだ。検討すべき側面の多い調査ともなれば、パワポの箇条書きでは全部論点を押さえきるのは至難の技だ。でも、いまや会社でも一部のセクションでは、もはや長い報告書を一度も書いたことがなく、報告書というのがパワポの資料の束だと思っている世代が出てきている。

 むろん長ったらしい報告書がいいというのではない。うちの職場はお役所向けの調査も多いのだけれど、上の年代の人の一部はそれに慣れすぎてしまい、お役所言葉で形だけ整っているし細かいところはつじつまが合っているけれど、大きな論旨を見ると前提と結論がまったく同じというトホホなものを平気で書く。パワーポイント的に、箇条書きで骨子を押さえるのは重要ではある。でも、それだけでもダメなのだ。

 が、最近になってパワポ世代にもっとわけのわからんのが出てきつつある。先日も若者が、スライドに製品の写真と「2700」という数字がでかでかと書いてあるプレゼン資料を持ってきた。何これ、と尋ねたら「この製品を採用した企業がすでに2700社という意味だ」と。じゃあ頼むからそう書いといてくれよ、数字だけじゃわからないだろう、と言うと「いや、これはスティーブ・ジョブズ流のプレゼンだ、口で言うのと同じ内容をスライドに書くのは意味がないのだ」とのたまい、ジョブズのプレゼンについての本を見せてくれるのだ。最近売れてるんだってさ。

 ……いや、こんな本なんか読まなくても、ジョブズのプレゼンは初代マッキントッシュの頃から見てるけど、あれは基本はその場限りのもので、お話がついてこないと何を言いたいのかまったくわからない。でもこの資料って、報告書がわりにもなるんだろ? あとからこれを読んだ人は「2700」とだけ書かれていても、何のことやらわからんじゃないか。だいたいジョブズのプレゼンは、攻めには強いけれど守りには圧倒的に弱くて、実物製品の強さがバックにあって初めて成立しているんだから、われわれには使えない形式なんだぞ。形式だけから入るんじゃなくて、もっと中身や目的を考えようよ。この本にも、全体のストーリーと構成をまずしっかり考えて、パワポ作りなんか最後だって書いてあるじゃん。

 そう言うと、アップル大好きで早速iPadも見せびらかしているその新人はずいぶん不満そうなんだけど、いや頼むぜまったく。そう思ってしまうのは歳をとった証拠でしょうかねえ。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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