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『高度一万メートルからの眺め』 連載 12 回??

アラブ圏シーシャに見る優雅な喫煙文化

月刊『GQ』 2009/2月号

要約:喫煙者に対する締め付けが厳しいが、もっとアラブ圏のシーシャのような優雅な吸い方はできないものか? 「アルク」原稿と同じネタ。


 昔はこの手の男性ファッションライフスタイル雑誌では、必ず喫煙系のアイテムが登場していたものだ。ライター、タバコのホルダー、ステップアップするならパイプや葉巻。喫煙は、ちょっとワルぶったスタイルから大人の余裕を示す象徴まで、さまざまな役割を果たしていた。

 もちろん、実際の喫煙の多くは、単なるニコチン中毒と激務のストレス発散のための覚醒剤の一種でしかなかったというのは歴然たる事実。そしていまやご承知の通り、喫煙はかなり世間的に肩身の狭い思いを余儀なくされている。そんなこともあって、こうした雑誌でも喫煙アイテムはかつてほど登場しなくなってしまっているのは、ちょっと寂しいような気もする。

 ぼくは別に喫煙者ではないけれど、喫煙に対して別に怨みがあるわけではない。どっちにしますかと言われれば禁煙席を選びはするけれど、でも別に喫煙席でも特にかまわない……というのは一昔前の話。いまは喫煙場所があまりに限られていて、そこに喫煙者が殺到するために、そうした空間はほとんど燻製ルームさながら。さすがに足を踏み入れることもままならなくなってしまった。でも、そうやって声高な禁煙派のおかげで喫煙者たちが隅に押し込められ、そのためにぼくのような、もともと気にしていなかった人々まで喫煙者を避けざるを得なくなってしまう、というのは不幸な状況だとは思う。

 でもそうした状況を招いたのも、いつのまにかストレス発散の紙巻きタバコが喫煙の主流になってしまったことが大きい。道を歩きながらでも駅でも電車でも会議室でも所かまわずスパスパ。そんな利用形態はごく最近のものだ。もともと発祥の地アメリカでは、原住民たちが宗教儀式でクラクラするために使うくらいだったのだ。日本でだって、キセルでほんの二、三服。葉巻だって、そんなに次々と吸うもんじゃない。もともとは限られた場所で、たまに少量たしなむだけの、まさにスタイリッシュで優雅な嗜好品だったのだ。が、いまはもうそういう喫煙は世界的に滅びている……アラブ圏以外では。

 アラブ圏では、そうした優雅な喫煙スタイルが残っている。シーシャと言ってご存じだろうか? あのでっかい水パイプだ。先日までいたエジプトでも、レストランや街角のカフェでこのシーシャがたしなまれている。もちろん、高さ一メートルもあるので持ち運ぶわけにはいかない。店で注文して出してきてもらうのだ。そしてそれを、三十分もかけてゆっくりとくゆらせる。仲間と談笑し、道行く人々をながめ、変な日本人が不器用に吸っているのを見つけては、話しかける。夕方から午後にかけて、カフェはそうした人々でにぎわう。

 これは普通の煙草に比べてかなり弱い。日頃煙草を吸わないぼくでも、むせずに吸えるくらいだ。でも一日にせいぜい二度ほど吸うくらいだし、一服でそんな強力なヒットがくる必要はないのだ。雰囲気も優雅だし、吸うたびにぶくぶくとガラス容器の中で水が泡立つのは視覚的にも楽しい。限られた場所で、細く長くだれでも楽しめ、ゆったりとした時間の中で優雅に過ごす——ぼくは、こういうのこそが本来の喫煙のあり方だろうと思うんだが。そう思って、一つ買って帰ってしまいましたよ。

 いま、欧州では特にトルコ系移民の多いドイツなどを中心に、このシーシャカフェが増え始めている(そして禁煙ヒステリー勢とやりあっている)。日本でもはやらないものだろうか? 喫煙派の人々がときどき喫煙は文化だと主張したがるけれど、ニコチン中毒の醜悪なチェーンスモーキングが文化でございますとは片腹いたい。でもこういうのが普及すれば、喫煙文化説だってもう少し説得力を持つんじゃなかろうか。本誌なんかがいずれ、ミニ特集でもするとなかなかおもしろいんじゃないかとは思うんだが。スタイル的にもなかなか様になりますぞ。あわせてアジアの誇るビンロウジュ噛みも採り上げていただければ……



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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