ほとんどのソフトウェアライセンスは、ユーザがそのソフトを使ったり、調べたり変えたり、配布したりする自由を制限するようにつくられているんだ。GNOME プロジェクトや、フリーソフトコミュニティ一般では、そういう制限は倫理に反していると思っているので、そういう制限なしの高品質ソフトをつくろうとしてがんばっている。これがぼくたちの言うフリーソフトだ。これまではフリーソフトというのは、以下の 3 種類の自由を認めるソフトのことだった:
プログラムがどういう仕組みかを調べて、自分のニーズに適合させる自由
ソフトをコピーして再配布して、まわりの人と共有する自由
プログラムを改良して、その改良を公開してコミュニティ全体にメリットをもたらす自由
もっと最近になると、ライセンス条項で 4 番目の自由が制限されるようになりだした。それは、ソフトを使う自由だ。ソフトウェアライセンスは著作権法に基づいていて、著作権法というのは配布だけを扱っていて使い方には触れていないので、利用の自由は言うまでもないことだとぼくたちは思っていた。だからこれまでのフリーソフトの定義には、利用の自由は明記されていないけれど、でも考え方としては当然それが入っているわけだ。
原註: ごめん、以下の部分は翻訳だとわかりにくいかもしれない。英語は、「無料(フリー)のビール」というのと「自由(フリー)な言論」というときに、同じフリーということばを使う珍しい言語だ。これがフリーソフトの話をするときに、いささか混乱を引き起こしている。
フリーソフトというのは自由の問題であって、お値段の話ではない。この考え方を理解するには、これが「自由(フリー)な言論」のフリーであって「無料(フリー)のビール」ではないと考えてほしい。フリーソフトコミュニティは、ソフトを売ったり、プログラマが生計を立てたりするという考え方にはまったく反対していない。商業ソフトにも反対していなくて、独占ソフトに反対しているだけだ。詳しくは http://gnu.org/philosophyの論文を読んでね。
GNOME プロジェクトでは、GNU General Public License (GPL) と GNU Lesser General Public License (LGPL、昔の名前は GNU Library GPLだった)を使うことでユーザの権利を守っている。このライセンスは、ちゃんと弁護士のアドバイスをもらって、コピーライトならぬ「コピーレフト」をつくりだすように慎重に書かれている。コピーレフトというのは、著作権がついた作品で、ずっと自由に再配布可能であることを保証しているもののことだ。これは、そのソフトへの変更や派生物も GPL の対象になることをはっきりさせておくことで実現されている。
メインの GNOME アプリケーション(そしてライブラリのいくつか)は GPL のもとにある。コアの GNOME ライブラリはほとんどが LGPL を使っている。これはほかのフリー(あるいは独占)ソフトライセンスを使った GNOME ソフトもつくれるようにしつつ、しかもこのライブラリに制限がつかないようにするためだ。