新マルクス学派(ラディカル政治経済)The Neo-Marxian Schools (Radical Political Economy)

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Crushing Capital -- striking Renault workers, Paris, 1968

 両大戦の間の時期には、マルクス経済学の理論的作業はちっとも進まなかった。大戦の間の現実的な政治経済問題、ファシズムの台頭、アメリカ(とその他)の「赤禍」、マルクス理論の社会学と哲学への拡大、ソヴィエト主導によるマルクス主義の何たるかの再定義などによって、あまり理論的作業は進みようがなかった。実は 1940 年頃には、ほとんどの人(特に英米人)は、マルクスが経済学者だったことすら忘れ果てていた!

 1940 年代に、カール・マルクスをまともに経済学者として捕らえた、えらい経済学者による英語の文献が登場してきた――特にモーリス・H. ドッブ (1937, 1946)、ジョーン・ロビンソン (1942)、ポール・スウィージー (1942) が大きかった。続いて、影響力の強い論文がもう二本、ポール・バラン (1957) とエルネスト・マンデル (1962) が、やっとマルクス経済学を経済学の地図に戻し始めた。

 スウィージーとロビンソンの研究は、マルクスの価値理論を復活させたことで特筆に値する。これによって、昔のマルクス派を悩ませた「変換問題」も復活することになった。ジョーン・ロビンソン (1942) は特に動じた様子もなく、マルクス経済学は労働価値説なんかうっちゃってしまえばいいと論じた――これはオスカール・ランゲ (1935) がかつて推奨していた動きだ。

 スウィージーはこれに反対した――そして有力な経済学者の一部、たとえばロナルド・ミーク (1956), フランシス・セトン (Francis Seton) (1957)、置塩信雄 (1963)、アンドラス・ブロディ (1970)、ポール・A. サミュエルソン (1971)、森嶋通夫 (1973)、ウィリアム・J. ボーモル (1974), Domenico Nuti (1977) Anwar Shaikh, Gerard Dumenil (1980), Duncan Foley (1986) など多くの人々が、マルクスの価値理論の形式的・論理的基盤に取り組もうとした。でも、ピエロ・スラッファ (1960) による古典リカード体系の研究の登場で、マルクスの労働価値説はもっと一般化した新リカード派理論に取り込めるんじゃないか、と示唆する人もでてきた (たとえば Ian Steedman, 1977)。

 スウィージーの 1942 年の本はまた、資本主義崩壊に関する バウアーモデルを提起し、これはその後、エヴシー・ドーマー (Evsey Domar) (1948) やジョセフ・スタインデル (Josef Steindl) (1952)、ニコラス・ジョルジェスク=ロゲン (Nicholas Georgescu-Roegen) (1960) によってもっときちんと定式化された。フェルドマンの 2 セクター成長モデルも、アレクサンダー・エーリッヒ (Alexander Erlich) (1953) とエヴシー・ドーマー (Evsey Domar) (1957) によって復活させられ、その後あちこちでバリバリ使われるようになる。

 アメリカのポール・バラン (1957) と、後にはバラン&スウィージー (1966) の両研究は、西側資本主義経済における戦後の大経済発展にあわせたもので、昔のマルクス派たちが予測した「危機的な不況」説を否定するように見えた。マルクスの収益率逓減の法則は、どうも機能していないようだった。バランとスウィージーが提案したのは、独占資本主義の状況では、価格が「利益上乗せ(マークアップ)」によって決まるので、収益率は逓減したりしない、という説だった。結果として、危機の「源」は、余剰が増えることになる。独占資本主義のもとでは、外部に需要の源と、利益の見込めるような投資先が必要だ。これにより、独占資本主義は、競争資本主義よりもっと強引に拡大を求めるようになる。これを根拠に、バランとスウィージーは独自の帝国主義理論と、中心=周縁依存理論を編みだし、これによって今日の世界の経済未発達問題を説明できると述べた。

 フランスでは、エルネスト・マンデル (1962) が危機の源として、剰余の増大ではなく、コンドラチェフ長期波動による利益率低下の法則を使おうとしていた。かれの主張では、収益率は蓄積の率を決め、蓄積の率が波動を生み出すのだ。

 バラン。スウィージー、マンデルの創始した路線は、時には「新マルクス学派」とか、単に「ラディカル政治経済学」と呼ばれ、1960 年代と 1970 年代には洪水のような研究を生み出した。主要な刊行媒体は New Left Review, Monthly Review Press, そして後には Review of Radical Political Economy だった。

 新マルクス学派の「傍流」はたくさんあって、それぞれマルクス学派の主題や結論の多くを引き継いではいるけれど、これらは古典マルクス派理論の厳密な応用と思っちゃいけない。ここでは、ラウール・プレビシュとアンドレ・グンダー・フランク (Andre Gunder Frank) による開発経済学の「従属学派」、そしてイマニュエル・ウォーラーステインと関連した「世界システム」学派、そしてデヴィッド・M・ゴードンやサミュエル・ボウルズ、ハーバート・ギンタスたちと結びついたラディカル政治経済学を挙げるにとどめておこう。独立した (まったく関係ない) 学派が「分析的マルクス学派」で、通常はジョン・E・ローマー (John E. Roemer) とジョン・エルスター (John Elster) と関連づけられ、マルクス派の命題の一部を伝統的で手法論的な個人主義に還元しようとしている(つまり効用最大化合理的エージェント等でマルクス主義を説明しようというわけだ)。

 また、マルクス経済の戦後の発達では、影響力がとても強いのに、英語市場に入り込んでいない外国の成果がある。たとえば日本のマルクス経済学は、長いこと伝統的な研究の源泉にもなった――というか、日本の学会では、一時はマルクス経済学こそが「正統」だった。森嶋通夫都留重人以外にも、宇野弘蔵置塩信雄伊藤誠なんかは特筆に値する。フランスのレギュラシオン学派 (ロベール・ボワイエ (Robert Boyer)、ミシェル・アグリエッタ (Michel Aglietta)、, アラン・リピエッツ (Alain Lipietz) 等々) はその基盤がもうちょっと多様で、アプローチとしてはポストケインズ派に近い。

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