経験論と計量経済学 (Empirics and Econometrics)

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なんかグラフ

 ウィリアム・ペティ卿が 17 世紀イギリスにおいて経済データを記録して(作り出して)以来、経験的/実証的な研究はずっと重要な役割を果たしてきた。その理由は二つある。経済学者に よれば (1) データを慎重に検討することで、経済学的な洞察が得られる (帰納的アプローチ)(2) 既存の経済理論が、その主張と経験的データとを比べることで、立証/反証できる (理論的アプローチ)、ということだ。でも経済学者全員がこの 2 つの理由に賛成とは限らないし、片方に賛成の学者がもう一つには反対することも多い。

 帰納的アプローチには長い歴史がある。ジェヴォンス (1875, 1884)はデータからビジネスサイクルが黒点周期に影響されているという証拠を集めようとした。ジュグラー (1862) は財務や金融データの表から信用に基づいたサイクルがあると考えた。また H.L. ムーア (1914, 1923) は帰納的アプローチを使って気象や星に伴うサイクルがあると論じた。

 けれど理論研究も行われた。データを需要曲線にあてはめようとする試みは、17 世紀のダヴェナントジェンキンにまで遡る。これはワルラスの需要方程式にデータをあてはめようとした、あの H.L.ムーアの得意技だった。コロンビア大学でのムーアの学生たち、例えば ヘンリー・シュルツや P.H.ダグラスが、これを 1930 年代まで続けている。イギリスの A.C.ピグー とドイツのヤコブ・マルシャックも同じような研究をしている。

 その後まもなく、もう一つの展開がコロンビアで起こった。ウェスリー・C・ミッチェルのもとで、ビジネスサイクル分析の帰納的アプローチが復興したのだ。帰納的アプローチはもちろん ドイツ歴史学派とアメリカ 制度学派両方によって支持されてきた。でもこれについて系統的な研究をやったのは、W.C. ミッチェルと彼の National Bureau of Economic Research (NBER) だけだった。主なテーマは、ビジネスサイクルをどう計るか、ということだった。ミッチェルの NBER には、例えばアーサー F. バーンズ、ジョン・モリス Maurice クラーク・, サイモン・クズネッツ、 フレデリック C. ミルズ、 Rutledge Vining、ソロモン・ ファブリカント, レオナード P. Ayres や他の アメリカ 制度 学派のような著名な経験的経済学への貢献者がいた。ビジネスサイクルの計測と分析も、当時はあちこちで人気があった。ハーバードパーソンズブロック 、モスクワの コンドラチェフ 、ベルリンの Wagemann、ルンドのアケルマンウィーンモルゲンシュテルンキール研究所などでもこのテーマの研究が行われている。

 当然ながら、ビジネスサイクルの経験的記録や分析はあらゆる種類の経験的データ集計分析にまで波及した――特に国民所得計算集計(産出、投資など)が大きい。これは NBER のサイモン・クズネッツ、イギリスのコリン・クラーク の重要な業績となった。 R.G.D. アレン やアーサー・ Bowleyが膨大な家計データ集計に取りかかったのもイギリスだった。

もちろん経験的なデータが出てくるのに並行して、ビジネスサイクルの理論分析も出てきた。例えばJ.A.シュムペーター、 D.H.ロバートソン、 A.C. ピグー、G.ハーベルラーなどによるものだ。でも彼らは二番目の「理論研究」を完全に採用したとは言えない。そう認められるほどきちんとした統計推論手法を使っていないからだ。

 NBER の研究は ジョージ・Yule, Eugene Slutsky、Ragnar Frisch そして一番有名どころとしてチャリング・C・クープマンスたちに厳しく批判された。これによって理論的アプローチが復活し、これがいま一般に言われる計量経済学となった。この理論的アプローチが初めてビジネスサイクルに適用されたのは、ケインズ一般理論』が登場した後、ヤン・ティンバーゲンによる研究だった。ケインズは比較的入手しやすい色んな数字(消費、所得、投資など)の単純な関数関係を提案してティンバーゲンを刺激した。ティンバーゲンは線形回帰分析など統計方法を用いて、ケインズが提案した相関のパラーメータを推計した。ケインズ自身はティンバーゲンの方法をあまり喜ばなかった。「黒魔術」に毛が生えたようなものだと考えたからだ (ケインズ, 1933)。 ケインズによるティンバーゲン批判は、フリッシュホーヴェルモーアレンマルシャックランゲたちによる一連のティンバーゲン計量経済学に対する批判的再評価の波における、最初の一斉射撃にすぎなかった。

 これに奮起して、トリグヴェ・ホーヴェルモー (1944)は有名な計量経済学への「確率論的アプローチ」を提唱した。これは計量経済学における一大飛躍で、その後コウルズ委員会が一斉にこれに対して支持の声を挙げた。これによって、定式化された初期の教科書的な計量経済学ができあがったわけだ。ある意味で、ホーヴェルモーの研究は昔の計量経済学者たちが事実上主張してきたことではあった。でも、それを確固たるものにしたのは ホーヴェルモーだ。クープマンス主導のコウルズ委員会 と、古参の NBER 制度学派たち(Rutlege Vining が筆頭) との間の手法論争は、1947 年から 1949 年まで続き、その結果として確率的理論研究が経験論的経済学での支配的な理論として確立した。

 計量経済学ブームがやって来た。コウルズ委員会 の研究は連立方程式系の推計手法を発達させた。たとえばケインズのマクロ経済学に関するKlein-Goldbergerモデルなどだ。でもこれをやるには、かつてムーアシュルツらの初期研究をひどく悩ませた、識別問題 (identification problem) をなんとかしなければならない。この問題を正式に解決することが、コウルズの初期の重要な課題だった。

 マクロ経済学の Klein-Goldberger モデルは、経験主義的研究と政府計画のための大規模構造モデル――例えば レオンチェフの input-output システムなど――を補完する存在となっただ。 モジリアニ とそのお仲間たちは別の大規模マクロモデル、いわゆるMPSモデル(これはその開発に協力した機関、つまり M.I.T.、ペン大、Social Science Research Council (SSRC) の頭文字をとって命名されている)を編み出した。 こういうモデルは、本当に正しいか調べるよりはむしろ政策立案者たちの力になることを考えて作られたものだ。

でもCowles の分野が順風満帆というわけじゃなかった。 Herman Woldはこういう大規模モデルの同時手法を非難した。 代わりに再帰的あるいはせめて一部だけでも再帰的なシステムを支持したのだった。これは時系列手法についてもっと慎重な分析を必要とした。リチャード ・ ストーンは、需要に関するいくつかの先駆的な経験的研究を行った昔気質のデータ分析者だが、かれも批判的だったし、オスカール・モルゲンシュテルンも同様だった。ロビンズ卿がさらに広範な批判をした。ロビンズは経験論的な理論検証について、手法的な見地から批判糾弾した――これはオーストリア学派の方向性でもあった。そして最終的に、 ロバート・ルーカス (1976) が最も有名な批判を発表した。大規模モデルの構造パラメータはとりわけ政策に用いられるときには一定だと想定されている。でもこれは新マクロ経済学理論の本流になりつつあった理論の主張とは一致しないのだ、と彼は主張したのだった。 別の一連の論文で ルーカスは新しい計量経済学の方法論を述べた。それが時系列の計量経済学だ。

経済学における草創期の経験論的研究者たち

初期のマクロ計量経済学:市場レベルの計測と推計

初期のマクロ計量経済学: ビジネスサイクルの計測と国民所得計算

理論計量経済学

大規模モデル

時系列計量経済学

計量経済学に関するリソース


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