ファイナンス理論

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ウォール街, 1929年10月24日

 ファイナンス理論は、経済学では驚くほど短い歴史しかない。経済学者たちは、信用融資市場の基本的な経済機能については昔から理解していたけれど、でもそれ以上の分析を特にしようとはしなかった。だから資本市場についての初期の発想は、ほとんどが直感ベースで、実務家が考案したものが主立った。資本市場の先駆的な研究、特にルイ・バシュリエ (Bachelier) (1900) のものは、基本的には理論家からも実務家からも無視された。

ポートフォリオ理論

 だからといって、初期の経済学者たちが金融市場を無視したってことじゃない。アーヴィング・フィッシャー (1906, 1907, 1930) は経済活動における信用市場の基本機能の概略を、時間の中でリソースを配分するための手段だとして説明していた――そしてそのプロセスでのリスクの重要性も指摘している。貨幣/マネーの理論を展開する中で、ジョン・メイナード・ケインズ (1930, 1936) とジョン・ヒックス (1934, 1935, 1939)、ニコラス・カルドアKaldor (1939)、ヤコブ・マルシャック (1938) もすでに、不確実性が重要な役割を果たすポートフォリオ選択理論を思いついていた。

 でも、この初期の時代の経済学者たちの多くにとって、金融市場は相変わらずまともな意味での「市場」ではなく、ただの「カジノ」と思われていた。この見方だと、資産価格はキャピタルゲインの期待は思惑によってほとんど決まっていて、だから「自分のブーツのひも(ブートストラップ)で引き上げられている」ような状態だった。ジョン・メイナード・ケインズの「美人コンテスト」のアナロジーはこの態度の代表例だ。

 というわけで、投機活動(つまり財や資産を後に転売するための購入や一時的販売)についてあれこれ著作が行われることになった。たとえばジョン・メイナード・ケインズ (1923, 1930) とジョン・ヒックス (1939) は、財の予約契約 (futures contract) は一般に、その財の期待スポット価格より低いと論じた(ケインズが「normal backwardation」と呼んだもの)。ケインズとヒックスによれば、これはおおむねヘッジをしようとする人が、自分たちの価格リスクをリスク・プレミアムと交換に、投機者にまわすからだ、という。ニコラス・カルドア (1939) は、投機が価格安定化に貢献しているかという問題を分析し、その過程でケインズの流動性選好理論を大幅に拡張した。

(後にホルブルック・ワーキング (1953, 1962) がこれに反論して、ヘッジ者と投機家との間には、動機の上で何の差もないと主張。これはこの早期の経験論的な論争につながった――ヘンドリック・ホサカー (1957, 1961, 1968, 1969) は normal backwardation に有利な証拠を見つけたし、レスター・テルサー (1958, 1981) はそれを否定する証拠を見つけた。)

 経済学者たちが金融市場や資産の値付け問題に対して持っていた「カジノ」的な見方を批判した初期の一人がジョン・バー・ウィリアムス (John Burr Williams) (1938) だ。かれは、資産価格はその資産の「内在的価値 (intrinsic value)」を繁栄したもので、それはその資産から来る継続的な将来の期待配当を割り引いたもので計測できる、と論じた。この「ファンダメンタルズ」的な考え方は、アーヴィング・フィッシャー (1907, 1930) の理論や、ベンジャミン・グレアム (Benjamin Graham) のような実務家の「価値投資 (value-investing)」アプローチともしっくりくるものだった。

 ハリー・マーコウィッツ (Harry Markowitz) (1952, 1959) は、この「ファンダメンタルズ」的な考え方は将来についての期待に依存するので、リスクの要素がからんでくるはずで、したがってジョン・フォン・ノイマン とオスカール・モルゲンシュテルン (1944) が新たに開発した期待効用理論がうまいこと使えるはずだ、ということに気がついた。マーコウィッツはリスクとリターンのトレードオフ関係という文脈での最適ポートフォリオ選択理論を組み上げて、リスクを減らす手段としてポートフォリオの分散化という考えに注力した――そしてこれが、現在では「モダンポートフォリオ理論 (Modern Portfolio Theory)」または単純に MPT として知られるものの始まりだった。

 すでに述べたように、最低ポートフォリオ配分の考え方はそれ以前にもケインズヒックスカルドアが、その貨幣/マネーの理論の中で考えていたことだった。だからジェイムズ・トービン (James Tobin) (1958) が貨幣/マネーをマーコウィッツの理論に追加するのは自然な流れだった。こうしてできたのが、有名な「2 ファンド分離定理 (two-fund separation theorem) だ。トービンは要するに、エージェントたちは自分の貯蓄をリスクフリー資産(マネー/貨幣)と、リスクのある資産のたった一つのポートフォリオ(これは万人にとって同じものとなる)とで分散保有する、と論じた。リスクに対する態度のちがいは、マネーとそのリスク資産の唯一のポートフォリオをどう組み合わせるか、というだけの話でしかない、とトービンは結論づけた。

 マーコウィッツ/トービン理論は、あまり実用的じゃなかった。具体的に言うと、分散化の便益を算定するためには、実務家たちは資産のあらゆるペアについてリターンの共分散を計算しなきゃいけないことになる。この実用面での問題を解決したのが、ウィリアム・シャープ (William Sharpe) (1961, 1964) とジョン・リントナー (John Lintner) (1965) の資本資産価格モデル (Capital Asset Pricing Model, CAPM) だった。この理論は、すべての資産と一般的な市場インデックスとの共分散さえ計算すれば同じ結果が得られるよ、ということを示している。必要な計算力は、これで一気に減った(「ベータ」というやつだ)ので、最適ポートフォリオ選択は、実際に計算可能なものとなった。実務家も間もなく CAPM を使い始めた。

 CAPM はやがて、リチャード・ロール (Richard Roll) (1977, 1978) の論文で経験論的に批判を受けることとなった。かわるものとして提案されたものの一つが、ロバート・マートン (Robert Merton) (1973) の「intertemporal CAPM (ICAPM)」だ。マートンのアプローチと、合理的期待という前提は、資産価格についての Cox, Ingersoll and Ross (1985) の偏微分方程式 ( partial differential equation) となり、さらにそこからほんの一歩進んだだけの、ロバート・E・ルーカス (Robert E. Lucas) (1978) の資産価格づけ理論となった。

もっとおもしろい代替案が、スティーブン・A・ロス (Stephen A. Ross) (1976) のアービトラージ値付け理論 (Arbitrage Pricing Theory, APT) だった。ロスの APT アプローチは、CAPM のリスク vs リターンによる論理を離れて、アービトラージ(裁定)による値付けという発想を徹底的に利用し尽くした。当のロス自身が指摘しているように、アービトラージ理論による理由づけは、かれの理論独自のものじゃなくて、むしろほとんどあらゆるファイナンス理論の根底にある論理や手法として唯一最大のものだ。以下の有名なファイナンス理論がロスの言わんとするところをはっきり示している。

 フィッシャー・ブラック (Fisher Black) とマイロン・ショールズ (Myron Scholes) (1973) 、およびロバート・マートン (1973) の有名なオプション価格理論は、アービトラージ的な理由づけを大きく使っている。直感的に言って、あるオプションからのリターンが他の資産でできたポートフォリオで再現できるなら、そのオプションの価値はそのポートフォリオの価値と同じであるはずだ。さもないとそこにはアービトラージの機会が生じてしまう。アービトラージ的論理は、M・ハリソン (M. Harrison) と デヴィッド・M・クレプス (David M. Kreps) (1979)、およびダレル・J・ダフィー (Darrell J. Duffie) と Chi-Fu Huang (1985) が多時点 (つまりは「長生きする」) 証券の値付けを考えた時にも使われている。このすべては、新ワルラス派理論にも流れ込んできて、資本市場がある場合の一般均衡(完全、不完全の両方)理論ができた。これを開発したのはロイ・ラドナー (Roy Radner) (1967, 1968, 1972), オリバー・D・ハート (Oliver D. Hart) (1975)をはじめとする大勢の人々だ。

 企業の資本構成は企業の価値にまったく関係ないという有名なモジリアニ・ミラーの定理 (またの名を "MM") もまた、アービトラージ的な論理を使っている。このフランコ・モジリアニ (Franco Modigliani とマートン・H・ミラー (Merton H. Miller) (1958, 1963) の理論は、もともとアーヴィング・フィッシャー (1930) が考案した「分離定理 (Separation Theorem)」の拡張版だと言える。フィッシャーは要するに、完全で効率的な資本市場では、企業家の所有する企業の生産判断は、企業家自身の期間をまたがる消費意志決定とは独立したものであるべきだ、と論じている。これを言い換えると、企業の収益最大化計画は、その所有者の借入/貸し出し判断には影響されない、つまり生産計画は資金調達計画とは無関係だ、と言っているわけだ。

 モジリアニ=ミラーは、この発想をアービトラージの論理を使って拡張した。企業を資産として見れば、二つの企業の資金調達がちがっていても、その生産計画さえ同じなら、両者の市場価格は同じはずだ、というわけ。そうでなければ、そこにはアービトラージ(さや抜き)の機会ができてしまうからだ。結果として、アービトラージのおかげで、その二つの企業の価値は資本構成がどうであってもまったく同じだということになってしまう。

効率的市場仮説

 ファイナンスにおける二つ目の大事な研究路線は、資産価格(株価)の経験的な分析だった。とっても困った発見として、資産価格はランダムウォークにしたがうようだ、ということがあった。もっと具体的には、すでにルイ・バシュリエ (1900) (商品財価格について) が発見し、後にホルブルック・ワーキング (1934) (各種の価格時系列データについて) やアルフレッド・コウルズ (1933, 1937) (アメリカの株価について) やモーリス・G・ケンダル (Maurice G. Kendall) (1953) (イギリスの株価や商品財価格について) が確認したように、資産市場においては、時系列的な価格変動にはまったく何の相関性もないらしかった。

 ワーキング=コウルズ=ケンダルの経験的な発見は、経済学者たちの猛反発と不信にさらされた。価格が需要と供給の力で決まってくるなら、価格変動は、市場がはけるように特定の方向に動くはずで、ランダムであるはずがないもの。でも、この結果にみんなが反発したわけじゃない。多くはこれを、「ファンダメンタルズ」派の理論がまちがっている証拠だ、と考えた。つまり、やっぱり金融市場というのはホントに荒っぽいカジノで、だからまともな経済学的考察の対象にはならない、というわけ。またこれを見て、ほれ見ろ、伝統的な統計手法なんてのは、そもそも何もまともに説明できんのだということが証明されたぞ、と勝ち誇った。もっと強力な時系列分析手法を使ったクライブ・グレンジャー (Clive Granger) とオスカール・モルゲンシュテルン (1963)、およびユージン・F・ファマ (1965, 1970) の研究も、同じようなランダム性が結果として出てきた。

 大ブレークスルーは、ポール・A・サミュエルソン (1965) とベノワ・マンデルブロ (1966) によって実現された。サミュエルソンの解釈によれば、ワーキング=コウルズ=ケンダルの発見は、金融市場が経済学の法則に従わないことの証明なんかじゃない。むしろそれが、あまりに見事に従っていることを証明している! 基本的な考え方は単純だった。もし価格変動がランダムでなければ(つまり予測可能なら)、利益に貪欲なさや抜き業者は、その予測を利用できるような形で資産の購入や販売するだろう。サミュエルソンとマンデルブロは、ここから名高い「効率性市場仮説」(EMH) を提案した。つまり、もし市場がきちんと機能していたら、資産についてのあらゆる公開情報(一部のバージョンでは非公開情報も)はすぐにその価格に反映される (ここで「効率的」というのは、単にエージェントたちが手に入る情報を全部使っているというだけの意味だということに注意。それ以外の、たとえば生産におけるリソース配分みたいな各種の経済効率の話とはぜんぜん関係がない)。もし価格がランダムで、つまり予測不可能に見えるなら、それは投資家たちがちゃんと仕事をしているということだ。すべてのさや抜きの機会はすでに目一杯利用されてしまっているわけだ。

 「効率的市場仮説」を有名にしたのはユージーン・ファマ (1970) で、後にこれは新古典派マクロ経済学の合理的期待仮説につながった。でもこれは、多くの実務家のお気に召さなかった。価格変動のパターンを見ることで資産価格を予測できると信じていた「テクニカル」トレーダーや「チャート」家(罫線師)はカンカンだった。EMH はこの人たちに、市場を出し抜くことはできないよ、手に入る情報はとっくに価格に織り込み済みなんだから、と言っていたわけだ。また、一部のファンダメンタルズ派の実務家もこれを嫌った。効率的市場の発想は、「情報」や「信念」に基づいている。だから少なくとも原理的には、噂や誤情報や「群集の狂乱」に基づく投機バブルの可能性を排除できないのだ。

 もっと困ったことに、EMH は経済学者たちもいやがった。EMH はたぶん各種の理論の中でも経験的な基盤のしっかりしたものだけれど (ただしロバート・シラー (1981) の批判も参照)、でもはっきり確立した理論的足場を持っていないようだからだ。すべては、ある一つの批判の前に崩壊してしまうように思える。つまり、すべての情報がすでに価格に反映されていて、投資家たちが完全に合理的なら、人は自分の手持ち情報を使って利益を挙げることができないどころか、そもそもまったく取引が起きないかもしれない! 合理的期待の持つこの変な矛盾する意味合いは、サンフォード・J・グロスマン (Sanford J. Grossman ) とジョセフ・E・スティグリッツ (1980) 、およびポール・ミルグロム (Paul Milgrom) とナンシー・ストッキー (Nancy Stokey) (1982) で実証された。この反論を直感的な形で述べ直すとこうなる(いささか単純化しすぎだけど):効率的市場仮説は、要するに「ただ飯なんてものはない」と言っているわけだ。道ばたに一万円が落ちていたりはしない、なぜかというとそんなものがあったら、だれかがすでに拾ってしまっているだろうからだ。したがって道ばたを見下ろしたりするのは無意味だ(特に見下ろすのにコストがかかるなら)。でも全員がこういう考え方をしたら、本当に道ばたに一万円が落ちていても、だれもそれを拾わないことになる。でも、もしそうなら一万円が道ばたに落ちていることはあり得るわけで、だからみんな下を見た方がいい。でもみんながそう考えたら、みんな道ばたを見下ろして、一万円は拾われるので、振り出しに逆戻りで、道ばたにはやっぱり一万円札はない(だから見下ろしても無駄)となる。この循環論法のおかげで、効率的市場仮説の理論的基盤はちょいと弱いものになっている。

ファイナンス理論のパイオニアたち

現代ポートフォリオ理論 (MPT)

アービトラージ (裁定/さや抜き) と均衡理論

ファイナンスと企業

経験論者と効率的市場仮説

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