ウィリアム・ヒューウェル (William Whewell), 1794-1866.

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Portrait of W. Whewell

ケンブリッジの鉱物学者、道徳哲学者、神秘家、教育者、博学者。ある同時代人曰く、「科学 (science) は彼の強み、博識 (omniscience) がその弱み」。イギリスの歴史学派リチャード・ジョーンズと仲良しだったが、ウィリアム・ヒューウェルは目にした経済理論を数式に置き換える作業に没頭した (1829, 1830, 1850)——これは同時代人たちには、あまり快く思われなかった。でもヒューウェルは、ジョーンズの帰納手法を原理的には支持していたのだった。1850年の論文で、数学的な需要曲線をデータに当てはめようとしたり交易における均衡を導いたりしたことで、一部の人はかれを原-限界論者だとしている。

 ヒューウェルはまた、現代科学哲学の父とも言われる。1830年代の『ブリッジウォーター論集』執筆者の中では最も有名だ。これは王立科学協会による、宗教/神秘主義と科学(当時は「自然神学」と呼ばれていた)を結ぶ論文集だ。おおざっぱに言うと、ヒューウェルの基本的な議論というのは、世界についての知識が得られるのは、そこに発見可能な「根源的」で一様な科学法則があるからだ、というものだった。ヒューウェルはこれが、そうした一様性をもたらす神の存在の証拠だと考えた。世界の根底にある科学法則は、まさに神が天地創造に使った「アイデア」なのだ、というわけだ。それを一歩進めたヒューウェルは、科学がそうした法則を「発見」することで、神の設計の壮大さに関する理解に近づけるが故に、それ自体が神の行いなのであると論じた。

 これほど宗教がかっていないときのヒューウェルは、帰納理論で有名だ(おかげでもっと演繹的だったジョン・スチュアート・ ミルと大論争を演じた)。ヒューウェルは人間の心と物理現象の「共有」という議論を使って、演繹的なアイデアは必然的に実証的な意味で「真実」なのだ、と論じた。心と世界は同じ原理によって同期しているので、人間の直感と実証的な証拠は同じ結果に到達しがちなのだ。有名な例を使うと、ヒューウェルは¥(2 + 1 = 3¥) だというのを、それがトートロジーだとして受け容れなかった (つまりコンディリャックとジェイムズ・ミルが言うように、「¥(2 + 1¥) というのは¥(3¥)の定義だ、ということ)し、またそれが実証的な事実だからという理由(ジョン・スチュアート・ミル的に言うと、「経験によれば何かの三倍は、何かの二倍と一倍に分解できる」という議論)でも受け容れなかった。むしろヒューウェルは、¥(2+1¥)が¥(3¥)に等しくないことは考えられないが故に、したがって¥(2 + 1 = 3¥)なのだと論じた。実証的な証拠は単にこの自然な直感を裏付けるだけで、その原因ではないのだ、という。

 ヒューウェルはまた有能な教師でもあり、ケンブリッジのトリニティカレッジ再編に重要な役割を果たした。ヒューウェルは1848年にケンブリッジの入試に「道徳科学」や「自然科学」を入れるのに批判的だった。また造語の才能も優れていた。たとえばファラデー以来電気化学で使われてきたpositive/negative (プラスとマイナス)の電荷とか、「科学者 (scientist)」「物理学者 (physicist)」ということばでさえ、現代的な意味での用法はヒューウェルによるものだ。

ウィリアム・ヒューウェルの主要著作

ウィリアム・ヒューウェルに関するリソース


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