フランク・プランプトン・ラムゼイ/ラムジー (Frank Plumpton Ramsey), 1903-1930.

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 ケンブリッジの哲学者フランク・P・ラムゼイ (哲学方面では「ラムジー」と書く人も多いみたい) は、26 歳の若さで非業の死を遂げた。超一級の天才児だったラムゼイは、その若さですでに経済学への重要な貢献となる論文を三本書いていた。一本目は "Truth and Probability" (執筆 1926 年、刊行 1931年) は、主観的確率の理論を展開し(主観的)不確実性のもとでの選択を問題にした最初の論文だ。この作業は何十年も後になって、ブルーノ・デ・フィネッティ (Bruno de Finetti) とレオナルド・サヴェッジ (Leonard Savage) が完成することになる。この論文はかのジョン・メイナード・ケインズによる情報理論っぽい Treatise on Probability への反論として書かれている。ラムゼイの第二の貢献は、課税理論への貢献 (1927) だ。この論文では、有名な「ボワトー-ラムゼイ」価格づけ規則が提案されている。ラムゼイの第三の貢献は、最適な貯蓄水準に関する検討 (1928)、有名な「最適成長」モデルだ――その後これは「ラムゼイモデル」として知られるようになった。経済学への変分法の応用として最初期のものだ。

 若きラムゼイは、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの悪名高いまでに難解な『論理哲学論考』 (1922) 翻訳を手伝った。ラムゼイはこの本をレビューした最初の人物の一人だったし、ケンブリッジではこの大哲学者の論文指導教官すら務めた。1960 年のProduction of Commodities by Means of Commodities 序文における、ピエロ・スラッファによるラムゼイに対する優雅な(でも古くさい)賛辞は、周辺人物に対してこの若々しい学者がどれほど影響を与えていたかを雄弁に物語る。ジョン・メイナード・ケインズによるこんな発言が正鵠を射ているのかもしれない:「(ラムゼイが)慣れ親しんだ哲学の高見より降臨したとき、かれはほとんどの経済学者なら呼吸もできないほどの薄い大気のなかで、楽々と暮らしたのだった」 (Keynes, 1933: p.239)

フランク・P・ラムゼイ主要著作

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