ケネーが経済学に興味を持つようになったのは 1756 年で、田舎出身であることを活かせるんじゃないかと、ディドロとダランベールの『百科全書』に何本か寄稿してくれと言われたためだ。ケネーはマレシャル・ド・ヴォーバン (Maréchal de Vauban)、ピエール・ド・ボワギルベール (Pierre de Boisguilbert)、リチャード・カンティリョン (Richard Cantillon) の著作に没頭して、これらの内容を全部混ぜ合わせて、やがて有名な経済理論がだんだんとできあがってきたのだった。
1757 年、かれはミラボー侯爵(大ミラボー)に会った。大ミラボーは、初のケネーの信奉者となった。続いて メルシエル・ド・ラ・リヴィエール (Mercier de la Riviere) とデュポン・ド・ヌムール (DuPont de Nemours)、その他数名。1758 年にケネーは『経済表』(Tableau Économique) を書いた――これは有名な、経済セクター間の所得の「ジグザグ」フロー描写で知られる。この『経済表』はケネーのドクトリンを説明するもので、重農主義一派の基礎文献となった――そしてこれは、マルクス、スラッファ、レオンチェフ、現代一般均衡理論などの、多セクター投入産出体系の先祖となった。
(具体的にはケネー『経済表』分析を見てね)。
ケネーは、農業こそが produit
net (純生産、あるいは生産コストを上回る産出余剰)の唯一の源だという原則から話を始める。かれは、製造業や商業は「不毛」だと論じた。それはこれらの産業では(かれの見方では)産出の価値は投入の価値に等しいからだ。ケネーによれば、土地だけが投入よりも多くのものを生み出す。そして国の富は、その純生産の規模によるのだ、というのがケネーの議論だ。
ケネーは、当時まだフランス宮廷で力を持っていたコルベールの重商主義ドクトリンを否定した。ケネーから見ると、これらは農業ではなく産業や商業の支援にばかりかまけていたからだ。「自由放任」主義支持者のヴァンサン・ド・グルネー (Vincent de Gournay) に影響を受けて、ケネーは農業生産を律していた多くの中世的規制を撤廃して欲しいと願った。そうすれば経済は「自然状態」を実現できるからだ。経済の自然状態というのは、経済セクター間、ひいては社会階級間のバランスのとれた循環フローで、純生産を最大化するものだと考えられた。この概念において、ケネーは人間の血液循環と人体のホメオスタシス(恒常性)とのアナロジーを見て取った。
ケネーはさらに、 1766-8 年には Journal de
l'agriculture, du commerce et de finances や Ephémérides du
Citoyen などに、 M.N., M.H., M.A., M. de Isles, 等々のペンネームを多数使って、ものすごい数の経済論文を執筆する (時にはこうした筆名同士で自作自演の誌上論争までやった)。一番明快なのは、1766 年の
formule 論文だろう。でも、ケネーのアイデアにもっと体系的な雰囲気を持たせたのは、ケネー体系に関するミラボー
(1760, 1763) や メルシェル・ド・ラ・リヴィエール
(1767) 、デュポン・ド・ヌムール (1767) などによる紹介、コメント、解説だろう。この人たちのケネー崇拝ぶりは、盲信もいいところだった。
"First" 1758 Edition (Tableau with base of 400l.,
accompanied by Remarques sur les variations de la distribution des
revenus annuels d'une nation; manuscript; no printed copy found): Fascimile,
Text.
"Second" 1759 Edition (the Tableau with base of 600l.accompanied by Extrait des oeconomies royales de M. de Sully):`
Fascimile,
Text
(another copy)
"Third" 1759 Edition (the Tableau with base of 600l.accompanied by Explication du tableau ecoomique and an
expanded and footnoted Extrait des économies royales de M. de Sully)
Further editions contained in Mirabeau
(1760: Pt. 6; 1763), Quesnay (1766a, 1766b, 1767) and DuPont
de Nemours (1767). (the Estrait retitled Maximes
générales du gouvernement économique d'un royaume agricole)