アルバン・ウィリアム・フィリップス (Alban William Phillips), 1914-1975

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 アルバン・ウィリアム・フィリップスは、戦後経済学における有名な(または悪名高い)、あの「フィリップス曲線」のフィリップスだ。有名な 1958 年論文でかれが見つけた、インフレと失業についての関係は微妙なものだったが、十分に示唆的だった。フィリップスの当初の研究は、1861-1957 年の賃金変化と失業の関係を示したものだった。そして分析も、失業と賃金上昇の周期的な動きをに関するものだった。1861-1913 年で見ると、ある水準の賃金上昇と失業に対して反時計回りの動きが生じ、1948-1957 年だと時計回りになり、その中間 (1918-39) では振動する:1918-21 は時計回りで、1921-25 は反時計回り; 1926-33は時計回り; 1934-43 年は反時計回り。1958 年論文は、こうした発見を曲線に当てはめた。すると次の式が生じた: \[g_w + 0.9 = 9.64 U_t^{-1.39}\] あるいは \[ln (g_w + 0.9) = ln 9.64 - 1.39 ln U_t\]

ただし \(g_w\) は名目賃金成長率、 \(U_t\) は失業率だ。フィリップスも指摘したように、失業と名目賃金成長の間には負の相関がある。ここから、フィリップスの名を冠した曲線のだいたいの形が出てくる。

 だが話にはまだ続きがある。フィリップスの発見をもっと広い文脈において、賃金上昇を物価上昇(インフレ)の代表指標と見なして、そこに需要プル型の説明をつけたのはリチャード・リプシー (1960) だった。一方、カルドア (1959) は「コストプッシュ」型の説明をとった。ポール・サミュエルソンとロバート・ソロー (1960) はリプシー版の説明を採用し、産出とインフレにはトレードオフがあるという政策的な結論に突っ走った。

 当のフィリップス自身は、こうした論争にほとんど興味を示さなかった。それまでの人生が波瀾万丈すぎて、この程度のものはおもしろくもなんともなかったのかも知れない。ニュージーランド生まれのフィリップスは、16 歳からニュージーランドの鉱山で働き、そこで電気工学を学んだ。1937 年にイギリスに移住してから、すぐに第二次大戦に従軍して、日本軍の捕虜となる。終戦で釈放されてからロンドンに戻り、LSE の社会学部に入学した。すぐに経済学に手を出して、工学的な技能を活用して有名な「フィリップスマシン」を作った——1950 年論文で述べたケインズ派による経済の仕組みを水力システムとして表したものだ。間もなく LSE 統計学部の教授陣に加わったが、1967 年にオーストラリア国立大学教授となる。

 フィリップスの後年の研究は、おもに最適制御理論や時系列技法を計量経済学に応用することだった。確率微分方程式における移動平均モデルやパラメータ推計技法に関する研究は、ごく最近になってやっと遅ればせながら認められつつある——それを先導しているのは驚いたことに、かのフィリップス曲線を葬り去ろうとしたニュークラシカル学派だ!

アルバン・W・フィリップスの主要著作

アルバン・W・フィリップスに関するリソース


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