トマス・ホッブス (Thomas Hobbes), 1588-1679.

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ホッブスの肖像

 自然法哲学者のトマス・ホッブスは、ヨーロッパの歴史で最大の激動期の一つに暮らしていた――結果として、かれの理論が人間の本性について徹底的に悲観的なのも、まあしょうがないか。

 マームズベリーの近くに生まれ、貧しかった国教会牧師の父親が早くに亡くなってしまったので、若きトマス・ホッブスは裕福な叔父さんに育てられた。14 歳の時にオックスフォードのモードリン・カレッジに入学して、5 年後に学士号を取っている。1608 年には、デヴォンシャー伯爵であるウィリアム・キャヴェンデイッシュの息子の家庭教師になった。おかげで古典に没頭する時間ができた。アリストテレス学派の、言葉の曲芸みたいな思想に嫌気がさしたホッブスは、歴史家ツキジデスの熱心な信望者になっていった(ホッブスは、彼の本を 1628 年に訳出した)。1610 年に最初のヨーロッパ遊学を終えた後で、フランシス・ベーコンと知り合いになる。でも科学的な世界観に鉄鋼するのは、やっと 1630 年になってから、ユークリッドの『幾何学』に惹かれたのと、ヨーロッパ大陸の旅行中に、ヨーロッパの科学者(特にメルセンヌ神父の仲間)たちとつるんだ後のことだった。

 ホッブスは特に、ガリレオが力学の視点を逆転させたことに魅了された。ビュリダンとは逆に、ガリレオは物体の自然状態は運動していることであり、静止していることではないと主張していた。物体は、止められない限りずっと動き続ける、と彼は論じた。1636 年にガリレオに会った後、ホッブスはこの考えを総合的な社会哲学にあてはめようとした。彼はそれを3つの部分に分けて構想することにした。1 つ目は「物体論」であり、彼はこれを動きの原則と関連づけようと思った。2 つ目は「人間論」で、人はどうして(感覚や欲望や食欲などに刺激を受けて)動いている物体として見なされるのか、また人間は外部の運動にどう影響されるのかを示そうとした。3 つ目は「市民論」で、こうしたダイナミックな人間の相互作用が、物体の政治力学に与える結果を提示しようと思った。

イギリスの国王と議会の対立が深刻になってきたので、ホッブスは著作の発表順序をひっくり返すことにした。1640 年に 「法学要論」を出版したが、これには「人間論」と「市民論」の概略が含まれてあった。かれの著作は議会派の要求に反対して王党派を支持しているように思われたため、ホッブスは危害が及ぶのを恐れて、その年の終わり頃にパリに亡命し、11 年間も隠れて生活していた。ホッブスは再びメルセンヌ神父の仲間に入って、しばらくは若き亡命王子の数学家庭教師を勤めたが、その王子は後にチャールズ2世となった人物だ。

1642年には、ホッブスの「市民論」が刊行されたが、この本では、彼の理論体系の第三部について、さらに詳しく整然とした分析にが展開されている。でもそれがイギリスではちっとも評判にならなかったので、ホッブスは新たな論説を書き始めたが、今度はもっと地に足の着いた形で理論を説明しようとした。そして出来た本が「リヴァイアサン」(1651) だ。

「リヴァイアサン」(1651) はまちがいなくホッブズの傑作だ。ホッブスの主張では、人間は生まれつき善良なのではなく、生まれつき自己中心的な快楽主義者だ――「あらゆる人間の自発的な行動の目的は、自分に何らかのいいことがある、ということだ」。人の行動を決める動機は、自然の状態のままでは、愚昧な私利私欲に導かれるのだから、見張っておかないと実に破壊的な結末をもたらしかねない。しっかり抑えつけないと、人は内的な動機に動かされて、お互いに激突しあうだろう。ホッブスは人間社会が「自然状態」――市民国家や法の規則が何も無い状態――にあったらどうなるかを描こうとする。その結論は悲しいものだ。そんな人生は「孤独で、貧しく、卑劣で、残酷で、短いものになり」、「万人がお互いに戦争状態となる」

それでも、皆が平等で(道徳的な意味ではなく、肉体的な条件において)、生き延びることに対して情熱的な愛情(自然権)を持ち、そしてある程度の合理性(自然の法則)を持つなら、こうした競合する力の間の均衡状態としての、まともに機能する社会が現れて来るだろう、とホッブスは結論した。理屈は簡単だ。万人の自然権は、自分以外のあらゆる人に対する暴力を正当化する。だから自分が生き延びるために、人々は暴力をふるう権利を放棄することに同意するようになるだろう。でも、そうなるとお互いの間に緊迫した不安定な均衡状態が生じてくる。どれか一つの集団が、暴力はふるわないという当初の約束を破ったとたん、ほかのみんなもそれを破って、また戦争状態に逆戻りしてしまうだろうから。

それならば、人間社会が平和に安定して続くためには、社会契約に中にある作り物――「リヴァイアサン」――を織り込む必要がある。このリヴァイアサンというのは国家だ――絶対君主制でも民主的な議会制でも構わない。大切な点は、国家は暴力と絶対的権威を独占的に与えられるということだ。それと引き替えに国家は、その絶対的な権力を行使して平和な状態を保証する(正常な行為から逸脱した者を罰するとかして)。国は自分の絶対的な権力が、市民たちが自発的にそれを放棄してくれることに完全に依存しているということを知っているから、国家の側としてもその権力を濫用しないインセンティブがある。もちろん、濫用しない保証はない。でも濫用すれば、国家としてはそれがどんな結果をもたらすか覚悟しなきゃいけないわけだ。

ホッブスの説の面白いところは、道徳だとか、自由、正義、所有権といった概念には、自然な意味とか、本質的な意味とか、永続的な意味なんかまったくない、という点だ。これらはひたすら社会が作り上げたものでしかない。戦争と社会的無秩序を押しとどめるために、リヴァイアサンが法や制度を通じて作りだし、押しつけるものだ。歴史が示すように、どんな価値観も永遠ではなく、周囲の状況が変われば少しずつ変化するのだ。

とりわけホッブスは、法そのものは完全に力によって支えられている、と強く指摘する。実力ある強い権威を後ろ盾に持たない法なんて、まともな意味での法とは呼べない。だからホッブスは「法実証主義 (Legal positivism)」の創始者の一人とされている。つまり、法が正しいと言うものはなんでも正しい、という立場だ。「不正な法律」なんてのはただの名辞矛盾でしかない。

この議論を当時の状況にあてはめてみると、議会派の反乱は、チャールズが王様だった時には違法になる。でもチャールズ一世が処刑されたとたん、今度は議会派への反抗がすべて違法になる。ホッブスにおいては、力が正しさを決め、力こそが正義だ。国家は――どんな体制であっても――市民の平和を維持できる限り、常に定義からして正しいということになる。

フランス亡命中の王党派に裏切り者呼ばわりされたホッブスは、「リヴァイアサン」刊行直後にイギリスに帰り、国務会議の前に出頭した。その後まもなく、かれは哲学三部作の残る二巻――『物体論』(1655) と『人間論』(1657) を刊行。

ホッブスはおおむね、ロンドンでひっそりと暮らそうとしたけれど、すぐに延々と続く論争に次々と巻き込まれることとなった。まずはデリーの司教ジョン・ブラモールとの自由意志に関する論争(1654, 1658, 1682 を参照)。1655 年にホッブスは、円の面積は積分で導けると主張。これには数学者のジョン・ウォーリスが反論してきたので、ホッブスはそれに反撃、一連の論説 (1656, 1657) を刊行し、ウォーリスと彼の「新奇な」数学分析を非難した。1661 年に、攻撃範囲を広げてロバート・ボイルとできたての王立協会にまで広げた。「ホッブス氏の考え」(1662) でかれは休戦を宣言した。

1660年の王政復古の後で、チャールズ二世はホッブスを相談役にして年金を与えた。1666 年のロンドン大火の後、英国の下院はホッブスの「リヴァイアサン」を発禁リストに加える議案を出してきた。この議案は、王様の介入で貴族院を通過しなかったけど、今後著作を出すときにはまず自分に精査させろと王はホッブスに言った。ホッブスはこれに従ったので、彼のその他の政治的な著作物は、死後出版となった。そのうち二冊は特筆に値する。1681 年の「イングランドにおける哲学者と法学徒との対話」ではコモン・ローに攻撃を加え、国王大権を擁護した。1682 年の「ビヒモス」は、長期議会(1640 年にチャールズ一世が召集し、1660 年まで続いた清教徒革命期の議会)と清教徒革命についての、挑発的な歴史記述だ。晩年には、自伝の執筆とホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」の翻訳をしていた。

 ホッブスは一般に、17 世紀の「自然法」哲学者で最も有力な人物とされていて、その後のイギリスの政治・社会・経済理論にすさまじい影響を及ぼした。ベンサム効用主義にはホッブス流の快楽主義の要素がある。当然ながら、対立する自己利益の間の社会的近郊という発想は、アダム・スミスの中に実に露骨に出ている(でもスミスは、その快楽主義的な動機づけの部分はあまり認めたがらなかったけれど)し、その後の現在にいたる経済学の中にも生きている。道徳や社会規範の内的な創発と進歩に関する最後の部分は、ヒュームハイエク の両方にパクられている。

 ホッブスの対極にいたのがジョン・ロックともっと楽観的な フランス思想家たちの系譜、特にジャン=ジャック・ルソーとかれのイギリスの分身とも言うべきウィリアム・ゴドウィンだ。

トマス・ホッブスの主要著作

トマス・ホッブスに関するリソース


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