ロイ・F・ハロッド卿 (Sir Roy F. Harrod, 1900-1978)

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Photo of R.F. Harrod

 ロイ・ハロッドは1924年から1967年の引退まで、オックスフォード大学で経済学を教え、独自の貢献を行ってきた。1922 年にオックスフォード大クライストチャーチで講師に選ばれてから、ケンブリッジ大学で数ヶ月ほど J.M. ケインズと過ごし、その後もケインズとは親密なつきあいを続け、1951年には公式のケインズ伝を発表している。

 ヒックスミード と共に、ハロッドはケインズ一味に加わったオックスフォードの経済学者の一人だった。ヒューバート・ヘンダーソンとオックスフォード経済研究グループを創設した彼は、経済問題に対して「静的」より「動的」なアプローチを推奨したが、これはオックスフォード大の貢献と見なされ、ケンブリッジ派経済学者に受け入れられたのは後になってからだった。

 ハロッド独自の「限界収入曲線」の論文を当時のEconomic Journal編集者だったケインズが二年 (1928 から 1930) 遅らせたために、このオックスフォード経済学者はこの分野の第一人者とは見なされなくなってしまった。こうした悲しいめぐりあわせはハロッドの傷害で何度か繰り返されたた。ハロッドは独立に短期平均費用曲線の長期的包絡線を実質的に発見した (1931) が、これも認知されなかった――これは ヴァイナーの発見とされたのだった。この同じ論文で、彼は不完全競争の分析基盤をかためている――だがその栄誉を手に入れたのはジョーン・ロビンソンだった。著書Trade Cycle (1936) で発展させた見事な乗数アクセラレータモデルの栄冠は、それを数学的に表現した サミュエルソンヒックスに渡った。IS-LM モデル の方程式を記述したのはハロッド (1937) だったが、先駆者としての座は後にそれを図に描いたヒックスが持っていってしまった。1939 年の起業家行動に関する論文――利潤最大化行動に自然淘汰または「進化的」メカニズムがあるという記述を行った最初期のもの――はほとんど無視され、後に アルチアン(1950) がそれを提案することになる。

 やっと彼の名前が多少は知れ渡った発見が、ハロッド (1939) 「動的理論に関するエッセイ」だった。この発想は現代 成長理論の嚆矢であり、エヴセイ・ドーマーが追従したが、今度こそハロッドの名前もモデルに残った。それが「ハロッド=ドーマーモデル」だ。1948 年の著書Towards a Dynamic Economicsおよび一連の論文 (1960, 1963, 1975) で、彼はこれをさらに進め、モデルの不安定性問題に光を当てて、経済成長に関する戦後研究すべての出発点となった――そしてさらには景気循環論(ビジネスサイクル理論) も復活させた。

 国際貿易 (1933, 1958) および不完全競争 (1933, 1934, 1952) についての貢献も認められたのは後になってからだった。あまり厳密ではないが経済政策に関する論文 (1963, 1965, 1968, 1969) も見事なものだ。1952年にはオックスフォードのナットフィールド大経済学Readerに任命され、同大学の応用経済学フェローシップで記念されている。

 経済理論以外で、ハロッドは帰納論理に関する研究 (1956)、第二次大戦中の統計スタッフおよびウィンストン・チャーチルへの個人顧問、さらにハロルド・マクミラン首相への非公式アドバイスで有名だ。またオックスフォードカレッジにかなりのエネルギーを割いている。

ロイ・F・ハロッド主要著作

ロイ・F・ハロッドに関するリソース


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