ツヴィ・グリリカス (Zvi Griliches), 1930-1999

 
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グリリカスの写真

 近年の計量経済学者の中で筆頭格だったツヴィ・グリリカスは、1930 年にリトアニアで生まれた。名前からもわかる通り、ユダヤ教徒の一家の出身だ。リトアニアは 1940 年にソ連に侵略され、併合。グリリカス一家のタバコ工場も国有化されてしまい……と思った翌年の 1941 年にはナチス侵攻が起こり、まずはゲットー、次いでのダッハウ、さらに南の収容所に移送され、その過程で妹一人を残して家族全員を失ったものの、終戦により辛くも生き延びる。その後シオニスト運動に参加してパレスチナに密航、イギリス軍につかまり、こんどはキプロスの収容所に収監されてからパレスチナのキブツで働く。ほとんどまともな教育もなかったが、自力で英語を身につけて高校卒業資格試験に合格、ヘブライ大学を経て、カリフォルニア大バークレー校に入り、クズネッツの下で学んで修士号まで取得した。もちろんクズネッツ門下ならやることは一つ:計量経済学だ。

 バークレーの後、グリリカスはシカゴ大学の博士課程に入る。初期の研究は、研究開発の効果に関するものだった。グリリカスの博士論文 (1957) は、農業部門での技術革新の影響をきちんと計測した先駆的な論文となった。その後のかれの研究の大きなテーマは、技術革新、研究開発、教育などが経済にどんなインパクトを与えるか、ということにとどまらず、その技術革新自体がどういう条件のもとで起こるかを細かく検討したかれの業績は他に比肩するものがない。またそうした研究の副産物として言うべきだろうか、かれは計量経済学手法や統計データそのものについても、偏執狂的なこだわりをもって精査を続け、この分野の向上に大きく貢献した。

 かれの業績の核は、ソロー残差をめぐるものだ。ものの生産力をあげるには、労働やその他材料を増やすか、投入する資本 (機械) を増やすか、あるいは技術革新によって効率をあげるかだ。このうち技術革新は直接は計測できないけれど、ほかのものの増分を生産量の増分から差し引けば、残ったのが技術革新の分だ――これがロバート・ソロー (1957) のアイデアだ。ソローはこの考え方をもとに、戦後アメリカの産業力はほとんど (87.5%!) が技術革新によるものだ、と主張した。これに対して、それはあまりにバカげていてお話にならない、という反論がミルトン・フリードマン等から出ていた。グリリカス (1963)、グリリカスとジョルゲンソン (1967) はこれをきちんと分析しなおし、投入資本や労働の質の改善まできちんと考慮に入れると、実は残差はほとんどない、という結果を出してしまった。その後デニソン (1969) の批判に基づき再計算が行われ、やっぱり残差はそこそこある、という見直しは出ている (1972)。でもいずれにしても、グリリカスたちは残差の計測と技術革新の役割の研究を大きく進歩させることとなる。一部に誤解があるけれど、かれらの研究は、技術革新が重要でない、ということを示すものではない。単にそれが、ソロー残差という形であらわれるのか、それとも設備改善や人的資源改善を通じてあらわれるのか、という話だからだ。

 その後のグリリカスの研究は、その技術革新の中身の分析に移る。ソローのモデルでは、技術革新は空から降ってくるものだ。だれかがとにかく新しい知恵を思いつき、それがいきなり既存の労働や資本に適用されて生産性をあげる。でもグリリカスの慎重な計量経済分析は、技術革新自体も経済活動の結果として生じるものだ、ということを明らかにした。研究開発費をつっこむことで、はじめて技術革新が起きて、それが資本の改善などにも影響して生産性をあげる。グリリカスの研究はこれを企業レベルと経済全体レベルで子細に検討している。教育や人的資本の育成が社会においていかに重要で有効かについても、グリリカスは熱心に研究を続けていた。労働の質の改善も、アウトプット向上の大きな要因だからだ。これはかれ自身の体験からくるものも大きいのかもしれない。何一つ持たない人間に教育機会を与えることが、ときにどんなに大きな効果をあげるか身をもって実証していたのがグリリカス自身なんだから。

 また「残差」はあくまでその他だ。その他を計測するためには、その他以外のもの――つまり資本と労働――が正確にわからないと意味がない。グリリカスは、特に資本の分を正確に計測するために、計量経済学的な手法の精査を行った。各種の自己相関やタイムラグの影響、そして何よりも品質の影響に関する研究は大きい。たとえば自動車やパソコンは、10 年前とはまったくちがった品質になっているけれど、資本や CPI などのデータではそれがほとんど考慮されない。それをきちんと分析してみせたのもグリリカスの手柄だ。後にかれは、CPI の中身を見直すボスキン委員会の中核メンバーとして活躍し、CPI の品質補正についての提言などを行っている。

 ホロコーストで家族を失ったせいもあるんだろうか、晩年のグリリカスは自分の血縁をたどる作業に没頭していた。かれの先祖は、貨幣鋳造職人だったそうな。

ツヴィ・グリリカスの主要な著書論文

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