ベヴァリッジ卿は フェビアン社会主義者たちに大きく影響された――特にビアトリス・ポッター・ウェッブとは、1909 年救貧法報告で共同作業をしたこともあり、大きく影響を受けている。ほとんどその一員と言ってもかまわないほどだ。だが彼らの中で、ベヴァリッジ卿は最高の経済学者だっただろう――失業に関する初期の研究 (1909) や、価格と賃金に関する歴史研究の大著 (1939) は、その学者としての能力をはっきり示している。フェビアンたちはかれを 1919 年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス 学長にして、彼は 1937 年まで在職した。LSEをそのルーツたるフェビアン協会から引き離そうとするキャナン や ロビンス との絶え間ない確執はいまや伝説的だ。
LSE を離れてからは、きわめて有名な戦時研究を1942年に発表し、これは「ベヴァリッジ報告」として知られるようになった。これは要するに、現代福祉国家の構築を概説したものだ――フェビアンたちのプロジェクトの集大成というわけだ。1945年に労働党が政権を取ると、この報告を実現するための法制が行われた――ベヴァリッジ報告はその設計図となった。この報告のすばらしさは、ベヴァリッジの議論が実に説得力ある形で述べられていたことで、だからこそ広く受け入れられたのだった。ベヴァリッジは保守派や他の懐疑派たちに対し、自分の提案した福祉制度は戦後期の英国産業の競争力を高めるのだと主張したのだ。ヘルスケアや年金といった労働費用を企業の帳簿から落として公共の負担にするだけでなく、健康で豊かで、したがてやる気のある生産的な労働者たちが生まれるので、かれらもまたイギリス製品を需要するようになる、というのがその議論だった。
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