ミラノの官僚、啓蒙主義思想家、そして効用主義始祖の一人。ピエトロ・ヴェッリ (Pietro Verri) といっしょに、ベッカリアは「Societ dei Pugni」を 1761 年に創設した。これは公共政策や経済学に関する討論グループだ。1764 年から 1766 年にかけて、このグループは偉大な啓蒙主義雑誌 Il Caffè を刊行し、この雑誌でベッカリアは最も有名な論文のいくつかを発表している。ベッカリアは経済学におけるイタリアの伝統の主要開発者だ。これは、国家についての効用主義理論と、価値の需要供給理論を組み合わせたものだ(これは限界革命を予言するものでもある)。
ベッカリアは 1762 年の論文で、財の価値はその量と売り手の数に反比例して、競合する買い手の数、税金、労働力、及び輸送の重要性とは正比例するのだ、と論じた(この公式はその後 ヴェッリが発展させた)。1764 年論文は、関税と密輸の関係に関する分析だった。ベッカリアは、関税率が高くなると密輸のインセンティブが上がって、関税収入がかえって減る、と論じた。かれの Elementi (執筆は 1769 年だが刊行はやっと 1804年になってから) は カンティリョンに大きく影響を受けている。
ベッカリアの有名な 1764 年の犯罪に関する論文は、犯罪者の刑罰は、「社会福祉」に対する被害に基づいて計られるべきだと論じた。つまり効用主義的な、「最大多数の最大幸福」原理に基づくべし、というわけ。この基準に則って、かれは死刑や囚人の劣悪な扱いに反対した。ジェレミー・ベンサムはベッカリアの成果に大きな影響を受けている。
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