アンドレ・グンダー・フランク (Andre Gunder Frank), 1929-2005

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アンドレ・グンダー・フランク

 1929 年にベルリンで生まれたA. G. フランクは、ナチスの迫害を逃れて1941年にアメリカに渡り、シカゴ大学で博士号を取得した後に 1962 年にブラジリア大学教授となる。サミール・アミンとならんで新マルクス経済学の、いわゆる従属学派の創始者とされ、ウォーラステインを筆頭とする世界システム論派の先人として認識されている。かれの主張の基本的な内容は、資本主義というのが繁栄を享受する中心と、それに従属して低コスト労働や資源の供給と市場の提供に甘んじる周縁の存在に依存しており、周縁部は永遠に中心に対する従属的立場に甘んじることを余儀なくされる、というものであった。この議論に基づけば、下手に資本主義的な秩序に組み込まれれば、途上国は発展するどころか永遠に搾取に甘んじるしかなく、グローバルな資本主義と市場経済に組み込まれることこそが、まさにそうした国々の構造的な貧困を永続させる。それに対抗するためにはむしろ積極的な反市場を進め、市場経済から自らを切り離し、自給自足の経済を追求することである。そして資本主義に対してマルクス主義的な経済を堅持することこそが発展への道となる。

 かれの議論は1960 年代から1970 年代にかけて、いわゆる南北問題が慢性化していた時代にはある程度の説得力を持っていた。特にかれがフィールドとしていたラテンアメリカ諸国に見られた露骨な収奪構造はだれの目にも明らかではあった。このため、かれの議論や用語は特にラテンアメリカの社会主義政権には大きく歓迎されることとなった。しかしかれの議論は、社会主義の衰退と崩壊に伴って一般性と説得力を大幅に失うこととなる。

 かれの議論は特に 1980 年代後半から 1990 年代の東アジアの大躍進を前にしてまったく説得力を持たなくなる。こうした諸国は、グローバル資本主義の中に積極的に組み込まれることで、低開発国の地位から中進国の地位――そして分野によっては先進的な地位にすら――に到達することに成功した。これに対しフランクは『リオリエント』で、なんとか説明を提示しようと試みたが、その理論はまさにそれまでの自説である従属理論を否定することでしか成立しえないものとなっており、またそこで提示された枠組みも限られた説得力しか持ち得なかった。2005 年 4月没。

アンドレ・グンダー・フランク主要著作

A.G. フランクに関するリソース


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