カンティリョンの「土地価値説」

ブリューゲルの収穫者たち
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Essai は、ただの論文や、ヒュームのような断片的な論文の集まりではない。それは体系的で関連のある論考であり、経済学のほとんど全域(例外は課税だけだ)を簡潔に見渡すものだ。だからこれは、わたしの知る他のどんな本よりも「経済学初の総論」と言うにふさわしい。(中略)カンティリョンの論文は、ほかのどんな本よりも熱意をこめて「政治経済学のゆりかご」だと言える」

(ウィリアム・スタンリー・ジェヴォンス「カンティリョンと政治経済学の国民性」, 1881, Contemporary Review)


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 一般均衡理論、いや経済学自体の相当部分が存在するのは、18 世紀フランスで不詳の生活を送っていたリチャード・カンティリョン なる人物のおかげだ。その驚くべき Essai sur la Nature du Commerce en Generale (刊行は 1755 年だけれど、執筆は 1732-1734 年くらい) において、カンティリョンはおそらく史上初めて、「経済」というものを相互作用する市場の集合として考え、それらが価格システムで結ばれて、エージェント間にバランスのとれた循環的なフローが存在しているんだ、というビジョンを提示した。カンティリョンの考案は、経済理論における初の大ブレークスルーだった。それは「経済」という概念の背後にある、根本的な構造的発想を提供して、その後の経済学すべて――重農主義古典派新古典派――を規定したからだ。

 カンティリョンのEssai で示された理論を理解するには、2 セクターの一般均衡モデルを構築するといいだろう。まず、生産要素は二つ(土地と労働)で、財は二種類(必需品と贅沢品)だとする。結果として、4 つの市場ができるので、価格も 4 種類出てくる。カンティリョンの見立てでは、人々には二種類ある。地主と労働者だ。地主は、土地を所有して贅沢品を消費する。労働者は労働を所有して必需品を消費する。この中でカンティリョンは、地主と労働者との間に「所得と支出の循環的なフロー」があることを見通した。地主は生産に土地を提供して地代を受け取り、その地代収入を贅沢品を買うのに使う。労働者は、生産に労働を提供して賃金を受け取り、それを必需品購入に使う。そもそも「所得のフロー」が経済分析の対象として適切なものだというカンティリョンの発想時代が、すでに画期的な洞察だった。それは重商主義者の「富の蓄積」へのこだわりからの脱皮をとげている。

 図 1 に、カンティリョンのモデルを直感的に図化してみた。所得のフローは実線の→になっている。必需品と贅沢品の生産のそれぞれから、所得が土地と労働の所有者に流れる。支出のフローは破線の→になっている。地主は所得を使って贅沢品を買う。労働者は所得を使って必需品を買う。最後に、土地の総供給はシステムから外生的に与えられるけれど、労働の総供給量は、必需品の量によって内生的に決まってくる。これは土地の総供給 (T) と労働の総供給量 (L) につながった破線で示されている。

カンティリョン体系の図
図 1: カンティリョンの体系

 直感的に見て、所得、支出、労働供給のフローがきちんと「バランス」していないと、この経済すべてが崩壊するのはすぐわかる。たとえば労働者が必需品を買うのに十分な賃金をもらえなかったら、みんな飢え死にして、すると労働を投入として使う財は生産されなくなって、地主も贅沢品を買えなくなって困ってしまい云々、というわけだ。

 崩壊がどんな形で起こるにしても、このバランスの実現がなかなか難しいのは明らかだ。それでも(そしてこれが二番目の重要な洞察だったけれど)、カンティリョンはそういうバランスが実現可能だと考えた。つまり、経済が丸ごと崩壊しないような、収入-支出のフローの「自然状態」、またはバランスを実現できると信じたわけだ。この「自然状態」の基本的な特徴は、地主と労働者の両方が、生産される必需品と贅沢品を全部消費できる(つまり「市場がはける」)だけの所得を得ること、そして望ましい労働供給水準を維持するのに十分なだけの必需品が生産されることだ。カンティリョンが外生的に決まるとしている土地が、大きな制約条件になる。これは増やせない。技術、または財の生産に使われる労働と土地の比率も、一定とされている。だから「自然状態」は、仕える土地の量と、生産技術に依存する。

 この経済システムがそういう自然状態を実現するためには、所得フローのバランスを維持するためのメカニズムがなきゃいけない、とカンティリョンは論じた。そしてここで、カンティリョンの三番目のすごい洞察が出てくる。それは「自然価格」こそまさにそのメカニズムなんだ、ということだ。注意しなきゃいけないこと:この自然価格っていうのは、必ずしもその時点での実際の「市場価格」とは限らない。ある財の「自然価格」――あるいはカンティリョンが "valeur intrisique" (「内在価値」) と呼んだもの――と、ある時点での市場での「交換価値」とはちがう。カンティリョンはこう書いている:

「よくあることだが、この内在的価値(自然価格)を持っている多くのものは、市場でその価値に従っては売られていない。市場での売られ方は、人々やその消費の気まぐれや思いこみによる。(中略)内在価値は決して変わらないけれど、商品の生産をその消費にあわせる(つまり「自然状態」)のは不可能だから、日によって変動が生じて、市場価格はいつまでも浮き沈みを続けることになる」

(R. カンティリョン, 1755: Part I, Ch.10)

 つまり「自然価格」は自然状態(つまり所得と支出のフロー)によって決まる。一方、「市場価格」はいわば「需要と供給」で決まってくる。カンティリョンはこの両者をあまりはっきりと関連づけていない。むしろ、シュムペーターが指摘するように、カンティリョンは「市場価格を別の現象として扱い、供給と需要による説明を市場価格に限定するようになった。こうして(中略)かれの公式があらわれた:正常価格(自然価格)はコストで決まり、市場価格は需要と供給で決まってくる」 (シュムペーター, 1954: p.220).

[だからおもしろいことに、カンティリョンは古典理論の父というだけじゃない。その需要供給の考え方を通じて新古典派理論の父にもなっている――だからこそジェヴォンス (1881) はあんなに一生懸命かれを忘却から救い出そうとしたわけだ。でも画期的なカンティリョンは他のものの父でもある。主観的「思いこみ」の強調や、事業者と不確実性の理論を通じてオーストリア学派経済学の父ともいえるし、内生的フローに基づく貨幣数量説をはっきりと説明したことで、現代の金融経済学の父とも言える。カンティリョンのいろんな面での画期性を振り返る論文としては、 F.A. Hayek (1936), J.J. Spengler (1954), G.L.S. Shackle (1982) and A. Murphy (1986) を参照]

 じゃあ、カンティリョンの 2 セクター一般均衡系を、ちょっと簡単な数学モデルで述べ直してみよう (Brems, 1986 のやりかたに準じて)。贅沢品 (XU) と必需品 (XN) は、どっちも生産に土地 (T) と労働 (L) の両方を必要とする。他には何も要らないし、技術は投入要素の比率を固定するものだ。だから単位投入の項を作ろう。 aTU, aTN, aLU, aLN だ。いずれの場合も、aij は産出 j を一ユニット生産するのに必要な投入 i の量だ。つまりFjを、jの生産に必要な投入 (ここでは労働か土地)の量としたら、aij = Fj/Xj となる。必需品を作るにも贅沢品を作るにも、労働と土地の両方が必要になるから、すべての係数はプラスになる。

 必需品を XN ユニット作るのに必要な労働は、次のように書ける。簡単だね:

LN = aLNXN

 つまり、産出の規模が XN と XU なら、技術は固定されているので、同じ理屈を使って、他の要素の需要 LU, TN, TU も、他の技術からくる係数を使うことで求められる。必需品を XN だけ生産するために必要な土地の量は TN = aTNXN だし、贅沢品を XU だけ作るのに必要な土地と労働は、それぞれ LU = aLUXU と TU = aTUXU になる。

 というわけで、土地と労働の総需要は L = LN + LU と T = TN + TU になる。カンティリョンは、土地の総量 T は「所与」だと仮定した。でも総雇用 L は可変で、系の内生変数だと考えていた。つまり、人間の再生産は必需品の消費によって「促進される」と考えていた。この変テコな考えは、古典派経済学すべてに浸透している、アナクロとはいえ根強い発想だ。カンティリョン (1755: Pt. 1, Ch.15) によれば「無限の生活資源があったら、人々は納屋のネズミのように果てしなく増殖する」とのこと――そしてかれは続いて、これを例証するなかなか楽しい歴史的・口承的な証拠をたくさん挙げている(注:これが一方で、マルサス理論とも大いに親和性を持っていることに注意しよう)。要するに、生産される必需品の量 XN が、経済の中の労働の総量 L を決める。

 c を、ある決まった必需品-労働比率としよう。つまり、一人の労働者を活かしておくのに必要な必需品の量だ。 c = XN/L となる。つまり、必需品の量が増えたり減ったりすれば、労働者の数も増えたり減ったりする。でも、当初の人口を支えるだけの必需品が経済の中で生産されなかったら? 労働者が余ったら、かれらはあっさり言えば、飢え死にして消える。労働者の数が不足なら、必需品が大量にあるので、かれらは再生産して増殖することが「促進される」。だから労働供給 L は、系に内生的だ。もちろんこうした労働供給の影響は、完全に効いてくるまで数世代はかかるだろう。だからカンティリョンがかなり長い時間軸で考えているのは明らかだ。

 この長期において、カンティリョンは慎重にも、利益というものが存在しないことを指摘している。この時間軸は十分に長いので、企業が生まれて、市場の生産に入って退出し、その間に収益機会をすべてぬぐい去る。だから生産プロセスは、長期的には収支トントンになる。各プロセスで、総収入は総コストと等しくならなきゃいけない。総収入は、単純にそれぞれの財の生産量とその値段のかけ算だ。一方の総コストは、財の生産で使われる労働と土地にそれぞれ支払われる賃金と地代だ。数式で書けば:

pNXN = wLN + tTN

pUXU = wLU + tTU

ここで (pN, pL) はそれぞれ、必需品と贅沢品の価格で、(w, t) は労働と土地 1 ユニットあたりの賃金と地代だ。

 さてこの系が長期的にバランスされるなら、必要な労働量を維持するのに十分なだけの必需品が生産されなきゃいけない。でも、これが実現するには、両方の産業からの賃金総額 (wL) は、市場価格ですべての必需品を買えるだけの金額 (pNXN) でないとダメだ。つまり wL = pNXN となる。そうでなければ、カンティリョンの言うように人口が変わる(増えるか減るか)で、長期的なバランスは得られない。

 この条件が決まったので、これを最初の収入-コストの方程式に代入すれば、以下が成立するのがすぐわかる:

wL = wLN + tTN

 あるいは、L の定義から考えて、wL = w(LN+LU) だから、 wLU = tTN になる。でもこれを二番目の価格-コストの式に代入すると:

pUXU = tTN + tTU

だから明らかに、これで第二の条件ができた: T の定義から見て、pUXU = tT になる。だから、地主が受け取る賃金総額は、きっちり贅沢品の生産コストをまかなえるだけでなきゃいけない。

 これが長期的に維持可能な経済系の条件だ。そうなると残る問題は、こういう系を維持できるだけの価格集合 (w, t, pN, pU) が見つかるかってことだ。これを解くのに、変な小技はいらない。労働が生き残るための条件 c = XN/L があって、 wL = pNXN だから、明らかに以下が成り立つ:

w/pN = c

 「実際の賃金」は、単に一人の労働者を活かしておくコストでしかない。じゃあ地代は? うん、では収入-コストの方程式を、それぞれ労働と土地の産出で割ってみよう。こんな具合:

pN = wLN/XN + tTN/XN = waLN + taTN

pU = wLU/XU + tTU/XU = waLU + taTU

 これが何を言っているかといえば、要するに財のお値段は、それを 1 ユニット生産するコストに等しくなきゃいかんよ、というだけの話だ (単位投入係数の定義を使っていることに注意)。さて、実際の賃金の定義から w = cpN なので、こいつを最初の価格-コストの式に代入しよう。すると:

pN = cpNaLN + taTN

右辺を整理すると:

pN = taTN/(1 - caLN)

てなわけで、必需品のお値段が求まった。贅沢品についても、同じところから始めよう:

pU = cpNaLU + taTU

そしてここでは pN の式を使って、以下が得られる:

pU = caLUtaTN/(1 - caLN) + taTU

そこで t/pU について解くと、代数的にあれこれやって:

t/pU = (1 - caLN)/(aTU + caTNaTU(aLU/aTU - aLN/aTN))

 ここで t/pU は「実際の地代」比率だ。というわけで、実際の賃金や実際の地代について、「技術で決まる」係数の関数としてあらわすことができた。よって明らかに、他には何一つ 考えなくていい。要素価格は完全に決まってしまうようだ。

 ホントかな? まだ「実際の」要素価格 w/pN と t/pU を表す pN と pU が見つかっていない。でもこの価格集合を求めるのはとっても簡単。いまの t/pU に、さっきの pN をかければいいだけ:

pN(t/pU) = taTN(1 - caLN)/(1 - caLN)(aTU + caTNaTU(aLU/aTU - aLN/aTN))

そして両辺の t と (1-caLN) を消去して:

pN/pU = aTN/(aTU + caTNaTU(aLU/aTU - aLN/aTN))

 これで財の価格が技術による係数 c, aLU, aTU, aLN, aTN の関数として表現できた。つまり相対価格は完全に技術的な条件だけで決まってくる。ほかのコンポーネントをこの分析に追加する必要はまったくない(説くに嗜好や効用に基づいた需要)。

 でもリチャード・カンティリョンは、労働を土地に還元しようとしたんだった。つまり、労働が価値(つまり価格)に貢献すると考えちゃいけないと思ったわけだ。労働は、すでに見たように、必需品に依存する技術的に作られた「モノ」でしかない。結果として、価値を唯一作り出すのは土地だ、とカンティリョンは考えた。土地は「直接的に」(生産に寄与をすることで)貢献するし、また「間接的に」(労働を維持するのに必要な必需品を作り出すことで)貢献する。かれはこう書く:

「あらゆるものの内在価値は、その生産に使われる土地の量と、そこにつぎ込まれる労働の量で計測される。労働の量とはつまり、その作業をする人々に割り当てられた産物を生産する土地の量、ということだ。そしてすべての土地は王と地主に属しているので、この内在価値を持つものはすべて、かれらの犠牲によってのみそれを有するわけだ」 (カンティリョン, 1755: Part 1, Ch. 11).

 この労働の土地への還元はどうやったら表されるだろう。さっきの価格方程式には、労働係数 aLU と aLN があったけれど、これらが登場するのは唯一、分母の中のカッコ (aLU/aTU - aLN/aTN) だけだったことも思いだそう。さて、この係数の比率や要するに、労働と土地の比率、あるいは要素集約率 (factor intensity ratio) でしかない: aLU/aTU は贅沢品を作るにあたっての「土地 1 ユニットごとの労働量」だし、aLN/aTN は必需品の生産に必要な「土地 1 ユニットごとの労働量」だ。あるいは、こうした比率は「労働を維持するのに必要な土地の量」と考えてみてもいい。労働集約率が大きければ、その財を作るために(労働を通じて)「間接的に吸収された」土地の量も多くなる。

 もしどっちのセクターも同じ要素集約率を持っているなら (つまり aLU/aTU = aLN/aTN) 価格方程式はすごく簡単になって pN/pU = aTN/aTU と純粋に土地の項だけで表される。さらに、もし贅沢品のほうが相対的に労働集約率が高ければ (つまり aLU/aTU > aLN/aTN)、 pN/pU < aU/aTN になる――言い換えると、直接的な土地成分で見た贅沢品の価格は、必需品よりも高くなる。贅沢品のほうが「間接的」な(労働を通じた)土地利用が大きいからだ。同じように、もし必需品のほうが相対的に労働集約的ならば (つまり aLU/aTU < aLN/aTN)、 pN/pU > aTU/aTNで、純粋な土地成分から創造されるよりも相対的に価値が高いことになる――これまた、間接的な土地の使用が大きいからだ。

 つまり、直接的だろうと間接的だろうと、相対的に使われる土地の量が、相対価格を決める。これでホントに労働が土地に還元されてしまったわけだ。というわけで、これで「土地価値説」のできあがり――カンティリョンはこれを、冒頭の一文で宣言した:「土地はすべての富が作り出される源あるいは物質である」 (カンティリョン, 1755: p.2).

 価格はこれでいいけど、一般均衡系では、量もまた決定されなきゃいけない。カンティリョンの理論では、これは簡単に導ける。総賃金と総地代の方程式を求めたのを思い出そう:

wL = pNXN または w/pN = XN/L

tT = pUXU または t/pU = XU/T

だから、 w/pN と t/pU についてのさっきの式を使って、以下が得られる:

XN/L = c

XU/T = (1 - caLN)/(aTU + caTNaTU(aLU/aTU - aLN/aTN))

 XU のほうは全部大丈夫だけど、XN はどうだろう? 左辺をもっと還元するには、 L = LN + LU = aLNXN + aLUXU を思いだそう。これは総労働と技術の定義からくる。だからこれを左辺にぶちこんでやろう:

XN/(aLNXN + aLUXU) = c

これを移項して整理してやるとこうなる:

XN = caLUXU/(1 - caLN)

 でも、こんどは XU の式を代入すればいい:

XN = caLUT(1 - caLN)/(1 - caLN)(aTU + caTNaTU(aLU/aTU - aLN/aTN))

消去して:

XN = caLUT/(aTU + caTNaTU(aLU/aTU - aLN/aTN))

 最後に XU/T の項に T をかけてやろう:

XU = (1 - caLN)T/(aTU + caTNaTU(aLU/aTU - aLN/aTN))

 はーい、できました! 生産される財 XN と XU の「均衡」量がこれで求まったわけだ。ここでも、この関数は技術で決まる各種の係数と、経済における土地の量を示す T だけで決まってくることに注目しよう。

 じゃあ投入要素の量はどうだろう。土地の総量 (T) は、カンティリョンの場合には完全雇用状態にある。一方、すでに述べたように、総労働量 (L) は内生的となっている。使われる労働の量はすぐに計算できる。 L = aLNXN + aUXU だったのを思いだそう。だから、ここに今求めた XN と XU の値をぶちこめばいいだけだ。つまり

L = (aLNcaLUT + aLU(1-caLN)T)/(aTU + caTNaTU(aLU/aTU - aLN/aTN))

もっと簡単にして:

L = aLUT/(aTU + caTNaTU(aLU/aTU - aLN/aTN))

これが使われる労働の総量だ――これまた技術的な係数と、土地総量 T の関数になっている。

 これまで見てきたように、カンティリョンは完全に決定づけられた 2 セクター一般均衡系を持っていた。4 つの市場、つまり土地、労働、贅沢品、必需品を持ち、それぞれについて、量と価格を求めることができる(もちろんすべての価格は「相対」価格、つまり価格の比率だ)。相対価格と相対量は、二つの財が土地をどれだけ相対的に使うか、つまり技術で決まる係数による。生産される絶対量と総雇用は、土地の総量 T で直接的に変わってくる。

主な参照文献:

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