お金という問題

Reymerswaele's Banker
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「お金は、厳密に言えば商業の対象ではなく、ある財と別の財の交換を促進するために人々が合意した道具でしかない。それは交易の車輪ではない。車輪の動きをもっと滑らかで楽にするオイルだ。ある王国だけを取り出して考えれば、その中でお金が多かろうと少なかろうと、何の影響もないのは明らかだ」

(デヴィッド・ヒューム, "Of Money", 1752, Essays: Moral, political and literary, 1754, p.281 に再録)

「お金がなければ絶対にあり得ないようなプロセスを議論しつつ、お金が存在しないとか影響がないと仮定するのは矛盾している」

(フリードリッヒ・A. フォン・ハイエク, Pure Theory of Capital, 1941: p.31)


1480 年から 1650 年にかけて、ヨーロッパの価格水準はどんどん上がった。この現象は、ときに「大エリザベス朝インフレ」とも呼ばれるけれど、当時の人には謎だった。人々の購買力が低下して、多くの農民一揆が起きた――もっぱら穀物商人に対する暴動となって。政府を含む多くの人は、それが商人たちの独占商売や共謀によるものだと考えていた。やっと 1568 年になって、フランスの重商主義者ジャン・ボーダンが、この時期における最も重要な経済の変化に眼を向けた:つまり、アメリカからスペイン(そしてその他ヨーロッパ)への大量の金銀流入だ。だから、金銀の量と価格水準との間には直接的な関係があるんだろう、とかれは考えた。そして初めてお金の理論が生まれた――「貨幣数量説」だ――そしてこれは、驚いたことに、多少形は変えつつも今日まで生き延びている。

[注: 実はボーダンの説明は完全に正しくはなかった。ヨーロッパの物価は 1480 年以来上昇していたけれど、ポトシの大銀鉱が見つかったのは 1545 年になってからで、それがヨーロッパのお金に入り込むまでにはかなりかかった。また 1570 年から 1590 年にかけて、金銀の輸入が最高潮に達したとき、物価は実は下がったというアノマリーもある。]

ジョン・ロック (1692) はこの発想を受けて、貨幣数量説を一般的な規則として「述べた」。お金の供給が増えたら、あらゆるものの価格は上がる。ロックはそれをすぐに応用した:お金の供給が下がって、財の値段も下がったら、外国財の値段が国内財と比べて高くなり「どっちにしてもわれわれは貧乏なままだ」(Locke, 1692)。だからロックは有利な貿易バランスを維持して、お金が確実に入ってきて、イギリス財の価格水準が外国の財と比べて高い状態を保つという 重商主義的な議論を展開した。

ほかの重商主義者の多くにとって、ロックの理論は奇妙に思えた。イギリスの財の価格がさがったら、他国への輸出が増えてイギリスは豊になるんでないの? というわけ。お金が物価を上げるけど産出は増やさないというロックの発想は、かれらには変な議論だった。お金が「ヴェール」だという発想は、かれらにとってはほとんど堂々巡りでしかなかった。

それでもロックの発想は、実のところその後多くの経済理論家に採用された――が、それぞれちょっとひねりを加えている。そこで生じた問題は、お金が価格には影響するけれど産出には影響しないというのが「なぜか」というのと「どういう仕組みで」ということだった。この問題には、基本的に4種類の回答が出てきた: (1) 本家数量説; (2) ケンブリッジ・キャッシュバランス 理論, (3) ヴィクセル式理論; (4) ワルラス派理論――それぞれいくつか重要な概念がちがっている。

でも、ヴィクセル式理論の根底にあるメカニズムは、価格だけでなく産出の変化にも適用できるものだ、ということは注意しよう――だからこれは、厳密な意味での「貨幣数量説」には反したものだ。実はこれこそケインズの「一般理論」(1936) での主要な貢献の一つだ。それ以来、経済学者たちは、お金が価格に影響するのか産出に影響するのか、という話をいったり来たりしている。また繰り返し問題をひっくり返して、価格や産出が実はお金の量に影響するんだ、という話をする――これは銀行の作った預金口座を「お金」扱いするという最近の現象を反映した、ずっと最近の理論ではある。

始める前に、いくつかの定義を見ておこう。「中立性 (neutrality)」というのは、お金の供給(マネーサプライ)が長期的には産出を変えない、という説だ。「二律背反」というのは、経済の「リアル側」(実物経済、と言うんですかね)と「お金側」(金融側とかいうの?)とはガッチリと区別されていて、お金のほうが変わっても産出みたいな「リアルな現象」には影響しない、ということだ。多くの人(経済学者含む)は「中立性」と「二律背反」というのを混同しているけれど、でもこの二つはちがう。中立性は、お金が「ヴェール」なのは長期での話だ、と主張するけれど、二律背反のほうは、お金は長期と短期の両方で「ヴェール」なんだと主張する。二律背反は中立性を含んでいるけれど、中立性は二律背反を含まない。お金の理論のいろんな変種は、この両者をごっちゃにしている。

あと、「お金」(とか貨幣とかマネーとか)ってのが何なのかもはっきりさせとこう。実はこの定義はいろいろだ。一番厳しい、あるいは「狭い」定義は、お金というのは単に硬貨や紙幣や、中央銀行の持ってるリザーブのことだ、というもの。これはM0、または「ハイパワード」マネーとも言われる。もうちょっと広げると、硬貨、紙幣、そして商業銀行でみんなが持ってる当座預金(小切手を切れる口座)を含める。これは M1 とも呼ぶ。最後にもっと広く考えて、一部の貯金口座やマネーマーケット口座、さらには小切手のきれるミューチュアルファンドの口座なんかも「お金」扱いすることだって可能だ。この広い定義は、「流動性」の度合いに応じて M2 とか M3 とか呼ばれる。

「流動性」ってのは、何かがどれだけ幅広い種類の取引決済に使えるか、という度合いの話だ。硬貨や紙幣は、みんなが財の対価としてそれを受け取ってくれるので、とっても流動性が高い。小切手も広く受け取ってもらえる(が硬貨や紙幣ほどじゃない)。(注:クレジットカードは含まれない。クレジットカードは「融資」だからだ――取引はクレジットカードを使った時点では完了せず、単に月末まで先送りされるだけだ)。

お金が「受け取ってもらえる」かどうかで定義される、という発想のせいで、しばしばお金は「交換の媒体だ」という言われ方をする。でもお金には他にも機能がある。それは会計の単位だ (つまり財の値段は、ドルとか円とかフランで表記されて、ピーナッツいくつ分とか高炉何基分とかミシン何台、と言う単位では表記されない)。お金はまた価値を貯めておくものでもある。ぼくたちは労働を食物と交換するけれど、でもこの二つを直接交換することは滅多にない――労働の対価をお金で受け取って、そのお金を後で食物を買うのに使うわけだ。その間に、現金はぼくたちの労働の価値を「貯めて」おいたわけだ。最後に、最近になって関心を集めているもう一つの発想として、お金は信用取引の記録としての機能があるという説が出てきたが、でもこれはちょっと手を広げすぎだ。

もう一つ問題がすぐに出てくる。どれだけの現金をぼくたちは「欲望する」のだろう? 技術的に言えば、ぼくたちはお金を「欲望し」たりしないで、お金が買えるものを欲望するわけだ。実は「二律背反」の根底にある基本的な発想の一つがまさにこれだ。でも、お金が交換の役に立つというのは事実だ――ヒュームの引用が述べるように「機械におけるオイル」みたいな感じだ。また、われわれが不確実性に対するヘッジとして、あるいは金融市場での投機目的で、あるいはそれが「豊かさ」でみんな豊かさが大好きだから、という理由からお金そのものを「欲望する」ことも十分にあり得る。こういう問題が、お金を「ヴェール」として考えるという古い発想をややこしくした。こうなってくると、お金は実はそれ自体でなんらかの「有用性」を持っているらしいからだ。この問題は、お金を単なる「ヴェール」としか見ない発想と、それが実は「欲望される」ものである、という主張との間でうろうろしていて、お金の理論の歴史の中でいろんな紆余曲折を引きおこしてきた。

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