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貧困の基準について

(The Economist Vol 387, No. 8580 (2008/5/22) p.87, "On the poverty line")

山形浩生訳 (hiyori13@alum.mit.edu)

「一日一ドル」はもうおしまいか?

  2007 年 12 月、世界銀行は史上最大のウィンドウショッピングの結果を公開した。世界146ヶ国の調査員たちが、屋台やスーパーマーケットや通販カタログをあれこれ調べ、デュラムセモリナスパゲッティ 500 グラムパックから、ヒールの低い婦人靴にいたる、1,000 件以上の品目の価格を記録したのだった。

 この大がかりな事業のおかげで、世銀は 2005 年における多くの国の購買力を比べられるようになった。結果は、統計的に驚かされるものも多かった。たとえば中国の物価は、初期の推計で出てきたよりずっと高かった。つまり 2005 年の中国人の所得18.4兆元(当時の市場為替レートで 2.2 兆ドル)が買えるモノの量は、思っていたよりも少ないと言うことだ。この一撃で、中国経済は実質で40%も縮小した。

 それ以来、多くの学者たちは、この経済的な後退が世銀の貧困者数にどう影響してくるか思案していた。世銀は、貧困ラインを「一日一ドル」、あるいはもっと正確には、1993 年購買力平価(PPP)で 1.08 ドルに設定しているのは有名な話だ。言い換えると、一九九三年に一日1.08 ドル以下しか消費していないアメリカ人よりも消費が少なければ、その人は貧困だ。この尺度だと、2004 年には 9.69 億人が絶対貧困に苦しんでいた。これは 1990 年からは 2.7 億人減っている。この貧困減少はもっぱら中国のおかげで、中国の貧困は 1990 年から 2004 年にかけて2.5億人減ったのだった。

 だが中国経済が思っていたより4割も小さいなら、もちろん貧困者数だってそれに応じた分だけ増えることになるのでは? オクサス投資のスルジット・バハラは、中国の貧困者数は三億人以上増えると予想した。そして、半ば冗談で、銀行の統計屋たちは貧困者数を増やして雇い主が廃業しなくてすむよう企んでいるのでは、と糾弾した。

多かれ少なかれ

 世界の困窮度を測る一日一ドルの定義は、世銀の 1990 年版世界開発報告でデビューしたものだ。これを見つけたのは、世銀研究者のマーチン・ラヴァリオンとその共著者二人で、かれらは世界の途上国六ヶ国の国内貧困率尺度がそのあたりにかたまっているのに気がついたのだった。今週発表された二つのワーキングペーパーで、ラヴァリオン氏とその同僚二人 Shaohua Chen と Prem Sangraula は、世銀の新しい購買力推計に基づいて一日一ドルの貧困ラインを再検討した。そして中国の貧困者数についても数えなおした。

 アメリカのインフレのおかげで、1993 年の 1.08 ドルは、2005 年の貨幣価値だと1.45 ドルくらいだ。原理的にいえば、研究者たちはこの金額を、世銀の新しい公式のPPP為替レートで現地通貨に換算し、それ以下の金額で暮らしている人の数を数えればいい。だが一日1.45ドルは、著者たちから見るとちょっと高すぎに思えた。そこで貧困ラインを改訂するよりも、それを廃止しよう、と著者たちは提案する。そろそろ最初の発想に戻って、ラヴァリオン氏が二十年近く前にやったことを繰り返してみようというのだ。いまならデータの質も量もずっとよくなっていることだし。

 かれらは 75 ヶ国の貧困ラインを集めた。セネガルだとこれは一日 0.63 ドルという厳しい数字で、ウルグアイだともっと豊かな一日 9 ドルちょっとという数字だ。この中から最低の 15 ヶ国を集めて(ネパール、タジキスタン、およびサブサハラのアフリカ諸国 13 ヶ国)その差をあれこれ切ってみた。結果として出てきたのは、新しい国債貧困ライン、一日 1.25 ドルだ。

 なぜその 15 ヶ国を選んだか? その答えは理念的なモノでもあるし、現実的なものでもある。自国の貧困ラインを決めるとき、ほとんどの発展途上国は、絶対的な貧困者を数えようとする。それは、ある人が最低限の衣食住を確保するための最低ラインを示すもののはずだ。たとえばザンビアでは、貧困者は毎日最低でもシマ三皿(シマは現地のでんぷんのかたまりで主食)、サツマイモ一個、油数さじ、ピーナツ一握り、砂糖数さじ、それにバナナとニワトリを週二回を買えない人のことを指す。

 だがかなり貧乏な国でも、ちがった貧困概念が忍び込んでくる、と著者たちは論じている。その人が他の自国民と比べて貧乏かどうか、というのが問題となってくるのだ。つまりアダム・スミスの表現を借りると、その人が恥ずかしく思わずに世間に顔向けできるかどうかだ。

貧困の絶対数は基準により変わるが、どんな基準で見てもそれが減少しているのはまちがいないこと。  この相対的な窮乏の発想は、一日一人 1.95 ドル以上の消費を超えた国では重みを持ってくるようだ。この閾値を超えると、一ドル豊かになった国は 0.33 ドル高い貧困ラインを持つ傾向にある(グラフ参照)。したがって著者たちは、絶対貧困線をこの閾値より下の 15 ヶ国で計測したのだった。

 この新しい定義だと、世界で貧困者数は何人だろうか? 著者たちはまだ計算を終えていない。でも中国については見直している。新しい基準によれば、2005 年の中国の貧しい人は2.04 億人で、これまでの数字より1.3 億人多い。

 これは悪い報せだ。でももっといい報せとしては、この新しい基準で見ても、中国の貧困との闘いは、これまで喧伝されていたのと同じくらいすばらしい成果を挙げているということだ。ラヴァリオン氏とチェン氏の新基準によると、1990 年から 2004 年にかけて、中国の貧困者数は 4 億人強も減った。これまでは2.5億人弱の減少だと思われていたのだ。

 中国の経済的な座標は、思っていたのとはちがったかもしれないが、その軌跡はほとんど同じ、というわけだ。そしてここに教訓がある。貧困ラインそのものは、十セントや二十セント増えようと減ろうと大した問題ではない。砂に描いた線と同じく、絶対貧困基準は、経済の潮が高まっているのか下がっているのかを見るためのものだ。それを砂浜のどこに描こうとあまり関係ない。

 現実的な用途でいえば、政治家たちはいつも世銀の基準線なんかより、自国の貧困基準のほうを気にする。一日一ドルのラインは、政策ガイドというよりもキャンペーンの道具だ。そしてスローガンとして見たとき、一日 1.25 ドルというのは、どう見てもインパクトが薄い。もっといいやり方としては、貧困ラインを 2005 年PPPで一ドルに替えることだ。これは著者のサンプルで、少なくとも十ヶ国ではかなりこれまでの基準に近い。一日一ドルの貧困ラインにクォーター(四分の一、25 セント)加えることで、研究者たちはその基準の世間的な魅力を半分にしてしまいかねませんぞ。


モナー 解説

 一日一ドルというのは有名な貧困の定義。それが PPP の見直しその他でかわりました、というお話。いま、この一日 1.25 ドルという基準をいっしょうけんめい使おうとしているけれど、でもいまいち普及度は低くて、この記事の予想した通りではある。

 だけど、貧困の話をするときにはこの定義についてある程度わかっていることが重要。というのも、国別にもいろんな貧困の定義があって、それらをごっちゃにしてしまうと、議論がまったく成り立たなくなるから。

 たとえばOECDは、「相対的貧困者」という定義を使う。これはそれぞれの国で、所得分布の中央値の半分以下しか所得がない人のこと。日本の所得の中央値は年 450 万円くらい。だからその半分以下ということは、年収 225 万円以下だとあなたもOECDの認める立派な貧乏人ということです。

 この定義にしたがうと、日本は貧乏人が多いなあ、ということになる。そして、それが問題であるのは事実。ただしそこでの「貧困」というのは、リンク先を見てもわかる通り「相対的貧困」だ。ここで議論されている一日一ドルという基準とはまったくちがうのは明らかだろう。でも NGO や反グローバリズムの人などが、この二つを意図的、または無知ゆえにいっしょくたにして、とにかく世界中が貧乏人だらけだというイメージづくりに使ったりする。「アフリカも貧乏、先進国にも貧乏人、世界の貧乏人が連帯して大企業を打倒し……」等々。でもこれはまるっきり話がちがう。そうした無知な人の例がスーザン・ジョージという人で、この『徹底討論 グローバリゼーション賛成/反対』でマーチン・ウルフに優しく教えを受けているけれど、全然わかっていないのが哀れをもよおす。そうしたあわれなまちがいはしないようにしましょう。


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