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Courier Japon, 62
Courier 2009/11,
表紙はパリ特集で青地に赤いエッフェル塔

そろそろ現実の話をしようか:世界最高のビジネス誌「The Economistを読む」 連載第14 回

バイオハッカーたちの活躍

(『クーリエジャポン』2009/11号 #62)

山形浩生



 エコノミストで優秀なのは、経済記事だけじゃないという話はこの欄で何度もしている。政治、書評、追悼欄、ジョーク――とにかくなんでもござれで死角がないのが、この雑誌のすごいところ。

 それは技術面でも同じだ。日本の新聞や週刊誌などを見ると、記事を書いている連中はインターネットの仕組みはおろか、乾電池の仕組みも知らないのが明らかで、マイナスイオンだのゲルマニウム浴だのといったインチキの片棒を平気でかつぎたがる。先日も、毎日新聞の神奈川版に古典的な永久機関詐欺を真に受けた記事が堂々と載り、インターネット上で失笑を買っていた。

 だがエコノミストは、技術の最先端の動向(いや常識離れした理論物理学の先端近くすら)を扱った記事を平気で載せる。年に四回の「テクノロジー・クォータリー」特集には、常に注目すべき技術が満載だ。今回も、ネットの著作権保護から風力発電や電池の新動向、拡張現実の広がりに軍用ドローンやデスクトップ3Dプリンタなど、他では絶対読めない話ばかり。

 今回はその中の一つで、DNAをいじる素人たちのバイオハッキングの動向記事を紹介しよう。まだまだ目立たないけれど、ひょっとして大化けする可能性もある、なかなかおもしろい技術の世界だ。

新時代のハッカーたち:バイオハッキングの世界

(The Economist Vol , No. (2009/09/5-11), "Hacking goes squishy" Technology Quarterly p.20)

 世界の大発明家の多くは、もとはハッカーだった――テクノロジーをいじるのが好きな人たちのことだ。そして世界最大のハイテク企業の多くは、ガレージから出発している。ヒューレット・パッカード社はカリフォルニアのガレージから出発し、何十年も後にはグーグルもそうだ。そしてコンピュータのハードやソフトだけでなく、ガレージハッカーや自家製マニアたちは楽しげに電気自動車や無人飛行機やロケットを作っている。でも生物学は? バイオハッキングが、生物学的な技術革新につながるだろうか?

 可能性は確かにある。DNAシーケンシングの費用は、一九九〇年代には塩基対一つあたり一ドルほどだったのが、いまや十分の一セントにまで下がっているし、DNA分子の合成費用も下がった。バイオデシック社を創業したロブ・カールソンは、遺伝子合成の値段を十年前から記録してきた。すると、それは驚くほど安定した低下ぶりを見せており、塩基対一つあたり十ドルだったのが、最近では一ドルを大きく割り込んでいる(図参照)。この価格低下は半導体でのムーアの法則を思わせる。いつの日か、DNA合成費用の低下は、カールソン曲線として記憶されるかもしれない。

 すでにいくつかのグループは、政府研究所や大企業で使っている技術を自宅で再現しようと熱心に研究を進めている。バイオハッキングの未来を形成するテンプレートとなりそうなのは、マサチューセッツ工科大学が毎年開く、国際遺伝子工学機械(iGem)コンペだ。これは学部生たちに、ある遺伝子バンクの提供する「キット」から生命体を作ってみろという課題を出す。そのキットはバイオブリックと呼ばれる標準化されたDNAの固まりで構成されている。

 細胞の中で起こっていることを解明する配線図はない。生物工学ではプロでさえ、かなり原始的なことしかできず、とにかくいじって様子を見る技芸の世界だ。それでもバイオブリックは、性質のわかっている電子部品に相当するものを作ろうという試みだ。その情報は公開されており、学生たちはどの組み合わせがうまくいくかを理解しやすくなる。だが結果はしばしば予想外のものとなる。台湾国立陽明大学のチームは、腎臓の代用となるバクテリアを作りだした。ロンドンのインペリアルカレッジのチームは、他の生命物質を作れる「バイオ製造生物」を作ろうとした。

 二〇〇三年にごく質素に始まったiGemは、いまや84チームにわたる1200人の参加者を擁するコンペとなっている。そのほとんどは、コンペが終わったら自宅でも同じことをやれるだけの知識を身につける。バイオハッキングの現状はパソコンの草創期と同じだ。今後、装置価格が十分の一にでもなれば、学生寮やガレージからバイオ科学版のアップルやグーグルが誕生するための舞台が整う。

 だがコンピュータでも、ウィルスなど有害なソフトを作りたがるバカや犯罪者はいくらでもいる。そんな連中がバイオの世界に興味をもったら、コンピュータよりはるかに大きな問題を引き起こしかねない――生物は再起動をかけるわけにはいかないからだ。この問題は、素人でもすぐに思いつく。そしてそこから生じる怯えは不愉快な影響を持ちかねない。

 たとえばバイオアートを専門とするニューヨーク州立大のスティーブ・カーツ教授の妻が呼吸停止を起こして死亡した。すると警察は、カーツ教授が作品製作に使うペトリ皿を見つけてFBIに通報し、FBIはカーツ教授をバイオテロ容疑で起訴したのだった。そのペトリ皿には何一つ危険なものはなかったのだが。FBIは本気でバイオハッカーを懸念しているのだろうか? 噂によればその後FBIは試薬メーカーに、個人には売るなとこっそり指導したとのことだ。

 いまのところ、個人のバイオ研究を規制する動きはない。でもそんな法規制ができたら施行は大変だろう。基本的なツールの値段はどんどん下がる。多くの有害な病原体を含むDNAシーケンスは、すでに広く公開されている。DNA合成コストの低下を見れば、DNAの自動「プリンタ」ができるのは時間の問題だ。だがバイオハッキング用の化学物質を政府が厳しく規制するなら、結果は銃の所持禁止と同じになってしまうかもしれない――一般人は銃を持てないが、犯罪者たちはどのみち闇市場でそれを手に入れるのだ。

 どんな規制が望ましいかは、しばらく試行錯誤するしかないだろう。だが年末にバイオハッキングについての本を刊行するカールソン氏は、規制はなるべく軽く、と主張する。「現在、人間は伝染病に対してほとんど打つ手を持っていません。ガレージハッカーたちは不可欠です。かれらこそイノベーションの源泉だからです」。異端派として有名な物理学者フリーマン・ダイソンもこの問題を考察してきて、バイオイノベーションを支持している。規制を厳しくしすぎれば、今後の技術革新がすべて潰されてしまうかもしれないのだから。


 なるほどね。実はバイオテクノロジー自体が少し行き詰まっている面もある。iPS細胞を始め新しい動きもある一方で、コンピュータのようにハードとソフトをきちんと切り分けることができず、モジュール化した開発や分析が至難の業なので、各種研究成果をうまく積み上げることができないのだ。ひょっとしたら、ここにあるようにホビイストにいろいろ開放して数を頼みにあれこれやってみるのがいちばんの正解なのかもしれない――その一方で、ここに書かれたような規制の問題もあるのだけれど。

 さて、ここしばらくはやはり日本の民主党政権誕生についての記事が多い。といっても、この雑誌も民主党政権自体にはまるで期待していない。でも、政権が交代する可能性があるということを如実に示して、これまであぐらをかいてきた自民党や既存の体制に揺さぶりをかけたこと自体がいい、というスタンス。うーん。ぼくは目先が変わるというだけでは評価したくないんだが……

 あと、アフリカの人口構造が変わっているという話。人々の都市移住が進み、問題を作り出す一方で急激な出生率低下が生じている。これは東アジアが発展する前に見せた動きと同じであり、ひょっとしたらアフリカもいまや急成長の前段階にいるという証拠なのかも、という。うーん、そうであってほしい。もしこれが本当ならば、たぶん他の話なんかどうでもよくなるくらいの大きな意味を持つ話になるはずなんだが。


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