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Courier Japon, 45
Courier 2008/05,
表紙はパリ特集で青地に赤いエッフェル塔

そろそろ現実の話をしようか:世界最高のビジネス誌「The Economistを読む」 連載第14 回

教育の自由市場?

(『クーリエジャポン』2008/07号 #45)

山形浩生



 教育問題はいつも大きな議論を呼ぶ。みんな子供時代は一度で、自分の受けた教育のやり方に好き嫌いはあれ特殊な思い入れを抱き、どこまで一般性があるかもわからない議論を声高に叫ぶ。生徒の自主性に任せるべきだ、いや自主性を発揮できる規律が身につくまでは、思いっきり型にはめるほうがいい等々。さらに教育には異様な幻想がつきまとう。教師は聖職だのなんだのと、やたらに変な理想を押しつけ、さらに競争とか市場とかサービスとしての教育といった発想に対してすさまじいアレルギーを示す人は無数にいる。でも、スウェーデンでは教育をかなり自由化して、その結果としてちょっとおもしろい現象が起きているようだ。

スウェーデンの教育改革

(The Economist Vol 387, No. 8580 (2008/4/5), "A Getting it right on the money" pp.75-7)

  大きな政府の社会民主体制下にあるスウェーデンは、自由市場革命が起こりそうな場所には思えない。だが、この国の学校ではまさにそれが起きている。1994年に発効した改革で、いくつか基本的な基準を満たした人ならほとんどだれでも、新しい学校を作って生徒を募集し、政府から支払いを受けられる。地元の地方自治体は、自前でその子を教育したらかかる費用を支払わなくてはならない――その子の年齢と学校の所在地にもよるが、年額48000~70000クローネ(8千ドルから12千ドルくらい)だ。入学は早い者勝ちでなくてはならない――宗教的な要件や入試はダメ。追加で生徒に課金してはいけないけれど、収益を上げても文句は言われない。

  この改革は議論の分かれるもので、特に当時は珍しく何でも反対ムードにいた社会民主党の中で意見が割れていた。これがどんなに人気を博するか知っていたら、議論はもっと分かれていただろう。たった14年のうちに、私立校で教育を受けるスウェーデン人児童の数は、1パーセント以下から10パーセント以上にまで増えた。

  当時、こうした「無料」学校はほとんどが外国語学校か宗教学校、あるいは、過疎地の組合式学校に限られるだろうと予想されていた。だれも予想しなかったのは、学校チェーンの台頭だ。中でも最大のクンスカプスコラン(「知識学校」)は最初の6校を2000年に開校した。昨年秋にも4校が開校して、現在合計30校となっている。職員700人が、1万人近い生徒を教えており、昨年は売上6.55億クローネに対して営業利益6200万クローネとなる。

  スウェーデンの巨大家具メーカーであるイケアと同じく、クンスカプスコランはその顧客自身にかなりの作業をやらせる。使うのはカリキュラムをすべて掲載したウェブサイト、クンスカプスポルテン(「知識ポータル」)だ。子どもたちは週に15分ずつチューターと面談して、その週の進捗を確認すると共に、翌週までの目標やスケジュールを決める。スケジュールには授業や講義も含まれるけれど、自習や小集団での学習もかなり含まれる。それぞれの生徒は自分なりの速度で学習できて、それぞれの課題にかける時間も自分の強み弱みに併せて加減できる。それぞれの科目は35ステップに分かれている。卒業時に25ステップ目まで到達していれば、その科目は合格となる。30ステップ目や35ステップ目まできたら、それぞれ良、または優がつく。

  ここでもイケアと同じく、立派なだけの環境にはお金は無駄遣いしない。ストックホルム郊外にある、11歳から16歳の児童用学校クンスカプスコラン・エンスケーデは、もともとオフィスビルだったものに、教室や自習室、小さな劇場型講義室二つをつめこんでいる。不便はないが、必要最低限だしいささか殺風景ではある。サッカーやバスケットボール用には近くのグラウンドを借りるし、同チェーンの他の学校と同じように一学期ごとに一週間、近くの専用施設に生徒たちを送り込んで、家庭経済や工作や美術を学ばせる。高価であまり使われない施設を学校毎に設けるようなことはしない。

  教師たちは、学校の休みの時期に教材を更新してウェブサイトにのせる。年間の休暇はたった7週間、平均的なスウェーデンのオフィス労働者と同じくらいだ。「先生たちが学期中に教材を作ったりするのは望ましくありません。そういう準備時間を盗んで、生徒ともっといっしょに過ごす時間に使ってもらうんです」と同社のボスであるペール・レディンは述べる。「われわれは徹底して標準化にこだわります。上手に教えるよりも同じように教えるほうが重要なんです」

  それぞれの子供の進み具合は毎週記録簿として報告され、親は何が学習されたかをウェブサイトで確認できる。中でも野心的な人々は、子どもたちが自分自身の成長に責任を持つようになると本気で期待している。業績モニタリングも、同社内では重要だ。個々の教師の業績は記録され、その人が科目教師に向いているのか、個人チューターに向いているかが判定される。ずばぬけて出来のいい教師にはボーナスが出るし、また優良校の優秀な教師が、あまりよくない学校に移ってくれたら給料を上げることも考えている。

  学校はある意味で、とても安全な商売だから、大もうけとはいかないけれど着実な利益は出る。同社の総資本収益率は年5-7%だ。でも最大のリスクは政治的なものだ。学校選択の自由を嫌う政権が規則を変えたら、この新興市場はおしまいだ。でも、この学校改革は親に人気があるのだそうだ。それをいじろうとする政治家は自分の首を絞める。もっとありそうなリスクとしては、独立学校が公立学校と同じ手法やカリキュラムに従えとか、あるいは営利禁止とかいう制度変更が行われることらしい。でも営利禁止になっても、企業は単に非営利の学校と、その学校に教材やコンサルティングを提供する営利部門とに分かれるだけだ。そしていまやこうしたチェーンは、確実に同じ土俵でも公立校と競争できるだけの実力を見せている。


 なるほどね。もう既存の「学校」とか、公式の「教員資格」のようなものを廃して、規定の内容さえちゃんと教えられればなんでもオッケー! それがちゃんと成果を挙げられるなら、何も文句はない。日本のゆとり教育のように、ついてこれない生徒がいたら全体のレベルを落とし、勉強が好きな子にも学校を軽視させてしまう方式よりも柔軟性もある。  たぶんお読みになった方はすぐに気がついただろうけれど、日本的にいえばこれって塾だ。河合塾や代々木ゼミナールや進研ゼミは、これに近いことをやっている。生徒は自分で進捗を決め、自分で勉強する。もちろんこれに対しては、やる気のある生徒にしか使えない手だといった批判はあるだろうけれど(入試はないけれど、敢えてこうした方式に応募する時点でかなり自己選別が行われている)、別に全員が同じ方式でやる必要もない。そして、金のある家庭だけがよい教育を受けられるようになっていないのも、制度としてなかなかの長所だろう。

   もちろん日本でこれを導入しようとしたら、真っ先に反対するのは日教組だろう。でも、いまの学校は先生方にとってもやたらにきゅうくつでやりにくい状態になっているのも事実。それなりに勉強する気のある――自分で予定をたてて勉強できるような――生徒はこうした方式に任せて、公立学校は本当にどうしようもない、自分から学習なんてあり得ないような児童だけに専念(そのかわり先生はかなりの裁量と給料を与える)といった棲み分けを考えはじめてもいいんじゃないか。

   その他教育関連では、体罰の是非にかんする記事が興味深かった。先進国は体罰否定論がはやりだが……記事はあれこれ見解を紹介したあげく、「でもじつはこんなのは大した問題ではなくて、本当にひどい虐待があちこちで行われているほうに目を向けるべきだ」とまとめる。これまた日本でも議論の多い話題だが、まだまだいろいろ考える余地はありそうだ。


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