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Courier 2007/11,
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そろそろ現実の話をしようか:世界最高のビジネス誌「The Economistを読む」 連載第6回

世界銀行の行く末

(『クーリエジャポン』2007/11号 #37)

山形浩生



 何号か前の本欄の末尾部分で、アジアが十分に発達してしまったのでアジア開発銀行の仕事がなくなるのではないか、という記事を少し紹介した。これはある意味でぜいたくな悩みで、援助しなくてはいけないようなところがなくなるのは結構な話なのだが、当人たちにしてみれば既得権益もあるしなんとか口実をつけて存続したいところだ。

 似たような状況が、かの世界銀行にも訪れつつある。もちろん世界には貧乏国がまだまだ残ってはいるので、いますぐなくなるわけじゃない。だが貧困がどんどん減り、それ以上に世銀を取り巻く環境が変化する中で、その役割は急激に縮小を余儀なくされている。それを素直に受け入れるべきか? それとも無理にでも新しい役割を探すべきか? 今回の記事は世銀のそうした葛藤のお話だ。


優良生徒が巣立ったら? 世界銀行の未来(2007/9/8-14日号)

 普通の銀行は、成熟して信頼のおける顧客はなるべく手放さないようにする。そういう優良顧客を相手にするときには、親身な相談、特別商品などを用意して、他の銀行に逃げないようにするものだ。

 世界銀行はもちろん、普通の銀行ではないけれど、この点では同じだ。かれらの場合、優良顧客というのは中所得国(MIC),つまり一人あたりGDPが千ドルから六千ドルくらいの諸国となる。こうした国は、きちんと借金も返済するし、世銀の狙いである貧困削減でもそれなりの結果を出してくれる。中所得国での世銀プロジェクトは、銀行全体の成功物語の一部として胸を張って示せるものだ。

 だがこの中所得国との取引は、楽しくやりがいはあるかもしれないが、世銀でなくてはできない部分というのは何かあるんだろうか? そしてもし世銀でなくてもできることであれば、そんな部分からは手を引いてもっとやるべきことがあるのでは? これが世銀内部の監査機関である独立評価グループに提出された問題であり、同グループは今週、過去十年の世銀と中進国との取引について報告書を提出した。

 中所得国は、世銀の優良顧客というだけでなく、最大の融資先でもある。融資残高の 63 パーセント、監督費用の半分は中所得国向けだ。だが前途有望な秘蔵っ子たちの困ったところは、いつの日かこちらの出番がなくなってしまうということだ。中所得国は、そろそろ融資対象からはずれつつある。過去 12 年にわたり、新規融資額よりも毎年の返済額のほうが 38 億ドルも多い。中所得国の国内投資のうち、世銀など多国籍ドナーからの資金は2005 年にはたった 0.6 パーセント、1995 年の水準の半分となっている。

 これにはいくつか原因があって、そのほとんどはよいものだ。中所得国は最貧国や先進国よりも急速に成長している。過去十年で、五ヶ国が世銀融資対象から「卒業」した(一方で、特に中国を含め数カ国が加わってはいるが)。だが世銀の将来にとって最も重要な点として、中所得国は自国のバランスシートをきちんと維持できるようになったということだ。つまり民間の貸し手からも資金を提供してもらえる。世銀の中所得国向け融資のうち、31パーセントは国債格付けが投資グレード以上の国に対するものだ。さらに62パーセントは、投資グレードには達しないとはいえ格付けは受けられる。格付けを受けられず、民間資本に実質的にアクセスできない国向けの融資は、たった7パーセントでしかない。

 当然のこととしてこうした中所得国は、世銀のように融資と共にあれこれうるさく口出ししてこない民間資本のほうを好んでいる。世銀は、自分たちが提供する最高のものは技能だと主張する。でも多くの政府は、自分のことは世銀なんかより自分たちのほうがよくわかっていると考える。よほど条件がいいものでない限り、「ソフト」ローンについてくる小うるさいアドバイザーなんか相手にしたいとは思わない。世銀が創設されたときには、多くの貧困国にとって資金源は本当に世銀しかなかった。いまや世銀は、自分が多くの貸し手の一つでしかない世界になったのに適応が遅れているのだ。

 世界銀行の主要な狙いである経済成長促進と貧困削減の面では、世銀は中所得国でそれなりの成果を上げたと評価報告は述べる。それで十分ではありませんか? だが何とか有意義なことを言おうとする報告の著者たちは、改善の余地がある分野を三つ挙げる。汚職、経済格差、環境だ。こうした分野では、ほとんどの借り手は――かれらの意見をどこまで重視すべきかはさておき――銀行の業績が多少不満かそれ以下だとしている。

 こうした問題は、だれが見ても重要なものだ――が、最も手をつけにくい問題でもある。汚職への対応は何世代もかかる。アフリカの最貧国では、世銀などのドナーは政府歳入の三分の一から半分を提供しているので、政治的な色合いはどうしても出てしまう。一方、インドや中国のような大国相手では世銀のご威光も弱く、汚職をなくそうとしてもできることはほとんどない。

 経済格差も、世界銀行では対応しにくい分野の一つだ。この十年間で融資先の中所得国の半分では経済格差が広がっているという。だが、金持ちがもっと金持ちになったところで、世界銀行の知ったことだろうか?  最後に、世銀は環境問題には前から腐心してきた。でも積極的にエコ政策を推進するのは世界銀行の中心課題ではないとも言える。いまでも生態系に害を与えるプロジェクトは避けるようにしているのだし、それがさらに活動家じみた役割に出ようとすれば、環境と経済成長とのバランスについて別の考え方をする中所得国と衝突することになり、借り手は逃げてしまう。

 世銀は成長を実現して借金を返し、民間資金を引き付けられるようになった生徒たちを誇りに思うべきなのだろう。現総裁ロバート・ゼリックは、中所得国は当分は世界銀行を必要としていると頑固に主張しているが、金融市場がきびしくなれば結局かれが正しかったことになるのかもしれない。だが何が起きようと、現実性のない新しい目標を掲げてみせるのは、商売を続けるにはあまりよい方法ではないだろう。


 世界の中所得国はどんどん成長して卒業している。また世銀でなくても資金調達先はたくさん出てきた。そんな中で、世銀の仕事はどんどん減っているし、口出しの多いかれらのやり口ははっきり嫌われている。そう述べるこの記事は(明言はしないけれど)そろそろその役割は終わりつつあるのではないかと匂わせる。いやその通り。貧困ですら、着実に減っている。一部の活動屋たちは、世界の貧困がなくすために自分たちに金をよこせと述べるけれど、貧困対策は社会全体の底上げがいるので時間がかかるだけだ。世銀は成功すればするほど先がなくなる。日本も国際開発銀行やJICAを見直しつつあるし、世界銀行やアジ銀にはかなりお金を出しているので、ここらで開発援助の出口戦略を提示したら世界に一目おかれるのに。

 さてこの掲載号はなかなかのあたりで、ヒトの性差で遺伝的なものとされていたもの(異質なものを抽出する能力)がアクションゲームで解消される環境的なものらしいという記事、イラクの状況分析に技術特集その他読みどころ満載。中でもすばらしかったのが「ベルギーは国として体をなしていないし役割も終えたようだからなくしたら?」というとんでもない真面目な冗談記事だ。国には漫然と存在する以上の存在理念が必要であり、百年たっても国民をまとめられずにいるベルギーなんか存在意義はない、という厳しい主張を、実にいやみったらしい文体の冗談めかした記事にこめる――いやいや、久々にエコノミスト誌の小意地の悪さをたんのうさせていただきましたよ。さてベルギーがどう返すか、実に楽しみ。


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