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Courier Japon, 36
Courier 2007/10,
表紙はwe love nippon

そろそろ現実の話をしようか:世界最高のビジネス誌「The Economistを読む」 連載第5回

バーチャル世界の金融危機とは

(『クーリエジャポン』2007/10号 #36)

山形浩生



 日本でも「セカンドライフ」についての報道をあちこちで見かけるようになってきた。バーチャル世界の新たなフロンティア、だがその一方で、話題先行で実はあまり人がいないとか、ツールがつかいにくくて設計自由度がないとか、広告だらけで最悪とか、悪口もいろいろきくようになっている。

 バーチャル世界に対する妄想や希望にはかなり根強いものがある。現実のこの世界のしがらみから完全に離れた、まったく自由な新世界! 多くの人はこうしたお題目に魅力を感じる。インターネットが初めて一般に普及したときには、ネットは現実世界の規制を一切逃れた、新しい自由の空間となるのだ、という夢想があちこちで語られていた。ジョン・ペリー・バーロウの、『サイバー空間独立宣言』はそうした夢想の明確な表現として非常に有名だ。

 セカンドライフにも、そういう期待はあった。この世界ではさえない人々が、セカンドライフでまったく新しい人生を送れるのでは?

 だがそうは問屋がなんとやら。みんなが親しめるようリアルさを追求すればするほど、それに伴う現実とまったく同じ制約は増えてくる。そしてもちろん、この世界といえど、経済原則はまったく同じだった、というのが今回のお話。


サイバー空間の取り付け騒ぎ

(Trouble in Cyberspace, 2007/8/18, p.63)

バーチャル世界では空を飛べるかもしれないが、経済の重力からは逃れられない。先週、現実世界の金融市場が大暴落を経験しているのと並行して、世評の高い3Dオンライン世界セカンドライフは、初の銀行取り付け騒ぎに直面していた。そこでは電子的な別人格であるアヴァターたちが、バーチャルATMの前に行列をなしてできる限りの金を引き出そうとしたために、その銀行ギンコウフィナンシャルは営業停止においこまれ、預金は永久債に転換されることとなったのだった。一部の人は、このバーチャル経済が初の金融危機に直面しているのだとさえ述べる。

こうした恐れはいささか杞憂じみている。現実世界とはちがって、セカンドライフの経済では金融機関はあまり大きな役割を果たしていない。この世界を支配しているのは不動産投機とデジタルオブジェクト、たとえば新アヴァター用の魅力的な肉体パーツなどの売買、そしてギャンブルだった――ただしギャンブルは先週、法律上の理由から禁止されることとなり、取り付け騒ぎが起きたのもこれが原因ではないかと言われる。

そうはいっても、セカンドライフが不合理な熱狂に捕らわれているのはまちがいなく、リスクを見ない投資家たちが怪しげなデリバティブに手を出すのと大差ない状態になっている。去年の秋に新しい観客たちがこの仮想世界を見つけたときには、第二の天国が見つかったような雰囲気があった。そしてマスコミも、この世界を華々しくほめそやした。コカコーラやIBMといった現実世界の大企業たちも、次の流行に乗り遅れまいと、我先にこのバーチャル世界に店を出したのだった。テレポーテーションといった機能や、リンデンドルを稼げるのではないかという見込み(リンデンドルは本物のドルに交換できる)のおかげで、新規利用者は毎月百万人の割合で押し寄せている。

こうした動きのおかげで、セカンドライフは急成長経済となった。サンフランシスコにあるこのサービスの所有者リンデンラボの発表を信じるならばだが。過去二年間でこの経済は、毎月十五から二十パーセントの割合で成長してきた。そしてごく最近まで、リンデンラボのサーバ増設速度は、追加のバーチャル土地の需要に追いつかないほどだった。ちなみにこのバーチャル土地は、本物のドルで購入しなくてはならないのだ。結果としてデジタル領土はいまや七百平方キロになっている――マンハッタンの八倍の面積だ。

だがギンコウの崩壊前から、世論はセカンドライフに背を向け始めていた。これは大風呂敷を広げすぎた技術にありがちな、メディアの揺り戻し的な反応のせいもある。だが同時にそれは、現実がオンラインを浸食したからでもある。六月現在で登録ユーザは七百七十万人いるにもかかわらず、多くの利用者はこのパラレル世界にきても、非常に寂しい思いをさせられているからだ。三十日たっても活発に活動する人は一割しかおらず、いつ見てもログオンしている人は二万人から五万人だけ。ほとんどの企業はちっともオンライン訪問者がなく、このため一部の企業はすでに店をたたんでいる。現実のお金を稼いでいる人々はごく幸せな少数者に限られている。

それでも、セカンドライフはサブプライム住宅ローンの市場ほどのハードランディングは経験しないだろう。実はこれまでのバーチャル世界と比べると、セカンドライフの経済や通貨は厳しく管理されている。リンデンドルと米ドルとの為替レートが一米ドルあたり二百七十リンデンドルからあまり逸脱しなように、リンデンラボは各種の金融手法を活用し、流動性を供給したり吸収したりできるようにしている。またセカンドライフの為替市場であるリンデックスにも介入する。この市場は、取引が加熱すると自動サーキットブレーカーが働くようにさえなっている。

だが本当の経済政策の試練はこれからだ。リンデンラボは、成長が低下したとき(これはすでに始まっているようだ)や、多くの利用者がリンデンドルの投げ売りを始めたときに、通貨防衛できるだろうか? たとえばさらなる銀行の取り付け騒ぎが起きそうなとき、これまでは自由放任アプローチを主としてきたリンデンラボは規制を導入するだろうか? セカンドライフはこうした質問に対し、答えにつまるかもしれない。だが恥ずかしがることはない。現実の世界だって、これを上手にやるのはなかなかむずかしいことが明らかに示されているのだから。


 実は……この記事の中で、セカンドライフが騒がれすぎと指摘されているが、この『エコノミスト』誌もこの点ではスネに傷持つ身だ。昨年九月二八日号でいちはやくセカンドライフ大特集記事を掲載し、新しい人生だの儲けの可能性だのと騒いでみせたのは、当のエコノミストだったりする。多くの人は(このぼくも含め)それを見て初めてセカンドライフを知った。それが一年もたたないうちに、この手のひらを返すような突き放した物言い。とはいえ、いずこも同じ問題を抱えているのですねえ。

 そしてバーチャル空間が(現実世界のしがらみの最たるものである)お金にここまで支配されているとは。ましてこのセカンドライフにも中央銀行があって、ちゃんとマクロ経済政策を実施しているとは知りませんでした。が、それがいっちょまえに、取り付け騒ぎなどという事態を引き起こすとは! ある意味で、これはセカンドライフが本気でまともな経済として成立しつつある証拠でもある。

 さて話はかわって、この号は書評欄もおもしろかった。コンドリーザ・ライス国務長官の伝記が二冊、同時期に刊行されており、その書評は本そのものより、むしろライス評価となっている。ブッシュ政権初期にほとんど彗星のように檜舞台に登場し、パウエルを除けば白人男性ばかりが目立つネオコン勢の中で、女性でしかも黒人というマイノリティの星となり、しかも日本の芸能人あがりの女性大臣どものような無能なおかざりではなく、知能指数二〇〇などという話が流れたほどのすさまじい頭のよさと学歴を誇っていた。当初は彼女こそブッシュの後釜とされ、初の女性大統領は彼女だと真剣に言われていたほど。それがいまや見る影もない。伝記からの情報を要約し、本のよしあしにとどまらずその対象についてまできちんと考察した非常によい書評。確かにライスは最近低調だなあ。個人的にはもう少し力のある人だと思っているんだが……


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