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Courier Japon, 32
Courier 2007/6,
表紙はコールハースにインスパイアとか

そろそろ現実の話をしようか:世界最高のビジネス誌「The Economistを読む」 連載第1回

カカオ豆農家がチョコメーカーを所有すると?

(『クーリエジャポン』2007/6号 #32)

山形浩生



 イギリスの『エコノミスト』誌は、世界唯一無二の本当の意味での国際総合誌だ。定期購読を勧める折り込みはがきには、しばしば「この人も定期購読者です!」とビル・ゲイツを始め各種の有名人が挙がるが、意外さはまったくない。この雑誌を読んでいること自体がその人の見識を示すとすら言える。

 本書をビジネス雑誌(特に日本の業界ゴシップと経営者自慢話集)と思ってはいけない。国際経済。政治。経済学理論の新潮流。文化。思想。科学。記事はあらゆる分野に及ぶ。しかもそのそれぞれが深い。現代物理学のM理論の新展開や行動経済学の最新論文、ムガベ大統領の暴君ぶりからハリポタ最新巻まで、採り上げないものはないといってよく、そのすべてが実に簡潔ながら明快でおもしろい。

 そのおもしろさは、同誌が自分の立場と主張を持ってきちんと分析を提示してくれるからだ。たとえば先日、国際人権NGOアムネスティ・インターナショナルが採りあげられた。最近のかれらはやたらに欧米の人権侵害批判ばかりに血道をあげる。でもそれは北朝鮮や中国での弾圧に比べればセコい話ばかりでは? 最近のかれらは本来の目的から逸脱していないか? 重要な指摘だが、立場のない(ことになっている)日本のメディアは、何か事件が起きないと記事にできず、こうした指摘もしにくいのだ。

 そしてその立場も明快。人権や社会的公正は重視するが、そうした議論でも感情論に走らず、経済効率と合理性と理論的裏付けを優先させる。もちろん例外はある。最近の日本銀行に対する根拠レスなヨイショぶりは、調整インフレ理論に対する不可解な歪曲(ポール・クルーグマンがわざわざ投書欄で苦言を呈したほど (pdf, 1.2MB))と共に理解に苦しむものだ。だが、それが際だって目立つこと自体が、ほかの部分のレベルの高さを如実に物語る。そして立場がまちがっていたときは(たとえば米軍のイラク侵攻支持)、それをその後の記事の中で何度もきちんと認めるフェアな態度もポイントが高い。

 ただし、簡潔でレベルの高い記事には、それを受け止めるだけの読者が必要となる。なぜそこに挙がった話が問題になるのか、それがどんな背景を持つのか。そうした話は、読者の予備知識として省略されることが多い。  たとえば、最近でたこんな記事がある。


チョコの中身よりチョコの箱 (2007/4/7-13号、p.63)

(Thinking out of the box," 抄訳)

世界のチョコレート販売額は、年750億ドルにものぼる。その原料となるカカオ豆の大半は、象牙海岸やガーナなど東アフリカの小農民たちだ。でもかれらの懐に入るのはごくわずかで、カカオ豆の取引額は年にたった40億ドル。儲かるのはチョコであってカカオ豆ではない。そしてカカオ豆農家は、とてもチョコ生産になど手は出せない……とは限らないかもしれない。イギリスのディバイン・チョコ社は、ガーナのカカオ農家組合クアパ・コクーが筆頭株主となっている。ドイツでチョコを生産し、値段も特に変わらず普通に売られている。昨年は年商1800万ドルで、今年に入ってアメリカにも進出を果たした。

cacao harvest
もっと大きな市場シェアに手を伸ばそう。
 これは生産者が下流の小売り製品生産にまで乗り出す事例として見事なものだ。クアパ・コクー組合の小農家四万六千戸は、それまで一度もチョコレートを食べたこともないどころか、聞いたことすらなかった。だがいまでは、チョコのパッケージがガーナ地方部のカカオ農家の話題となっている。クアパ・コクー組合の研究責任者エリカ・カイエレは語る。「みんなガーナの外でこんな立派な企業を所有しているのを誇りに思っていますし、白人を雇っているのも自慢なんです」

 でも、小売り製品に乗り出すと予想外のリスクにさらされるのでは? そうでもない。組合のカカオのうち、ディバインに卸されるのはごくわずかだ。98 パーセントはガーナの国営カカオ販売委員会に売られる。だから同組合のカカオ豆は、ディバイン以外のブランドでも欧米の店頭に並ぶわけだ。

 生産者組合の所有ということで、ディバインは注目され、活動家たちも地元スーパーに同社の商品を扱うよう圧力をかけている。また多様な資金源も活用できており、慈善団体や開発融資機関などからも融資が入っている。「チョコ市場は競争が激しい成熟市場で利ざやも少ないので、この独特の所有形態がなければ、新規参入はむずかしかったでしょう」とディバイン社社長ソフィ・トランチェルは語る。

 同じような戦略をとる企業は他にも生まれてきている。南国フルーツを売るオランダのアグロフェア社は、半分を生産者が所有しており、フェアトレード価格のバナナをアメリカで販売する子会社も持っている。南米のコーヒー農家組合連合のパチャママは、アメリカでコーヒーのローストを初めて一年になるが、生豆の現物融資方式を採ることで外部からの投資ゼロで事業を成立させている。またアメリカの公開企業であるコーヒー・パシフィカは、パプアニューギニアのコーヒー農家連合が1/3を所有しており、2006 年の欧米での売り上げは 300 万ドル近い。

 だがクアパ・コクー組合を研究してきたアムステルダム大学のアンナ・ラヴェンは、このやり方が常に使えるとは限らない、と警告する。慈善団体や援助機関、きちんとした輸出ルートなしには、川下への進出は多くの農家にとって現実性はない。だがディバインはいま、それどころではないほどの大繁盛だ。そしてこの復活祭には、クアパ・コクー組合の組合員たちにも贈り物を提供してくれそうだ。なぜなら数週間後の経営会議では、同社は初の配当を出せる見込みだからだ。


さて、この記事。カカオ豆農家がチョコ会社の株主になるのがなぜわざわざ採りあげられるのか? これを理解するには、発展途上国の現状を知る必要がある。多くの国は、植民地時代の名残もあって単一作物生産に特化している。だからその作物の市況に国の経済が大きく左右され、農家や国の経済が不安定だ。それを克服するのは、途上国の発展の重要なカギとなる。マイクロクレジットなどの融資方法、文中にちょっと出てくるフェアトレードなど、多くの試みはあるが、必ずしも成功しているとは言い難い。ここで紹介されている事例の意義は、そうした背景を漠然とでも理解していないと、単なるちょっといい話で終わってしまう。もちろん、そうやっていい話をたくさん読むうちに、だんだん背景も理解できてくる、というのもこの雑誌の本当にすごいところではあるのだけれど。

 さてこの号には、もう一つおもしろい記事があった。中国が日欧の自動車の丸コピー乗用車を次々に生産しているという記事だ。アウディのロゴからホンダの名前、果ては車のデザイン丸ごとコピーした各種の例を紹介し、さらにそれに対する中国側のいいわけ(「いやミニカーを真似したらたまたま似たんで驚いちゃいました」)をおもしろおかしく紹介し、それを止めようとする日欧企業の苦労を紹介する。ここまでは普通の記事だ。でも同誌らしい視点は、その最後にあった。

 確かにコピーすれば研究開発費は節約できる。でもそんなのは大した額ではないし、生産コストはまったく変わらない。それなのにこうしたコピー車は半値近くで売られている。なぜだろう? 多くの人は、中国は人件費が安いから何でも安くて当然と思いこんでいる。 でも、多くの工業製品で、人件費の占める割合はそんなに高くない。安いのはなにかそれ以外の要因が働いているはずだ――うーん、品質を落としているからでは? おもしろい指摘ながら珍しく詰めが甘いかな、という気はする。がこの雑誌が思いつきだけで書いているはずはないので、何かつかんでいるか、あるいは目下調査中なんだろう。うまくいけば近々、中国生産のコスト構造について何らかの分析が出るんじゃないか。そういう読みをさせてくれるところも、この雑誌のおもしろさに貢献しているのだ。

付記:この記事の最後の部分について、梶谷ブログを発端としてbewaadブログ でとてもおもしろい議論が展開されているのでお見逃しなく。


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