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ケインズ『雇用と利子とお金の一般理論』要約、23 章
山形浩生 (全訳はこちら)
23章 重商主義、高利貸し法、印紙式のお金、消費不足の理論についてのメモ
Abstract
- 重商主義はそんなにバカにしたもんでもない。かれらの主張した保護貿易策は、当時の金本位制の下で金利を引き下げる政策ツールとしてはきわめて妥当なものだった。
- 高利貸し禁止例だって、古典派は市場に任せればいいというけれど、でもリスクの多い世界では金利が高くなりがちになってしまうから、抑えることも重要だ。
- ゲゼルもえらかった。かれが時限印紙式のお金を考えたのは、しっかりした考えに基づいて金利を下げるためだった。もっともかれの理論のほかの部分はダメだけど。
- 倹約だけしてもだめだよ、消費が増えないとだめだよ、というのを『蜂の寓話』できちんと言えたマンデヴィルもえらかった。
- また投資は貯蓄によるのではなく消費に対応するものなのだ、というのを指摘したホブソンもえらかった。かれらは現実の問題をちゃんと見て、不十分ながら実践的な答えを出した。古典派は問題そのものをないことにしてごまかしており、いくない。
本文
Section I
- 1. 200 年ほどにわたり、実務家も経済学者も、交易条件のいい国は優位にたてるんだ、特に貴金属の流入が起きるような交易条件はいいもんだ、と思っていた。これは古い見方で、今はほとんどの経済学者がまったく根拠レスだと批判している。貿易は自己調整的で、そこに介入しようとしたら適正な国際分業が阻害されるからだ。この古い考え方が重商主義で、新しい考え方が自由貿易だ。
- 2. 現代の経済学者に言わせれば、自由貿易からくるメリットは重商主義からくると称するメリットを確実に上回るし、重商主義の議論は徹頭徹尾、知的な混乱に基づくものでしかない。
- 3. たとえば マーシャルは、重商主義に好意的な面もないわけじゃないが、でも重商主義の論点なんかほとんど黙殺している。最近の経済学者は、成長産業の保護育成とか交易条件改善といった議論はするけれど、その際にも重商主義なんか鼻にも引っかけない。1900-1925 年でも、保護主義が国内雇用を増やすなんていうのを認めた学者はいない。この点では古典派が圧倒的な力を持っていた。
Section II
- 4. でも重商主義の学問的に正しそうな部分を述べ直してみよう。そしてそれを、重商主義者たちの実際の主張と比べてみよう。
- 5. 国が急速に成長しているとき、自由放任状態のままだと、新規投資が不足して成長が阻害されることもある。消費性向が同じなら、新規投資の誘致は投資誘因策によって決まる。総投資は、国内投資と外国からの投資の和になる。総投資が収益性だけで決まるなら、国内投資機会は国内の利率で決まってくるし、外国からの投資は交易条件で決まってくる。だから国内投資を増やすには、国内の利率を高めにして交易条件をよくするのが政府の関心事になる。
- 6. 賃金水準と、流動性選好と、銀行制度とがそこそこ安定なら、利率はそのコミュニティの流動性選好を満たすために提供されている貴金属の量(賃金水準との比で計測)で決まってくる。同時に、外国への融資や外国の富の所有を大規模にやるのがむずかしい時代だと、貴金属の増減は、交易条件の善し悪しに大きく依存する。
- 7. だから、昔の政府が交易条件をやたらに気にしたのは、国内利率と交易条件の両方の面で意味があったし、また政府としては他にとれる手段がなかった。昔の政府は、国内金利を左右できなかったし、他に国内投資を増やす手段もなかったから、交易条件を気にするのが外国からの投資を増やす唯一の方法だった。そして国内投資を増やそうとして金利を下げるには、交易条件を通じて貴金属流入を増やすしか手がなかった。
- 8. でもこの政策が成功するには二つの大事な条件がある。金利が下がって投資が刺激されて雇用が増えると、どっかで賃金水準が上がる。するとそれは交易条件に不利に働いて、当初の意図とは逆に機能する。また国内金利が下がって他の国よりも低くなったら、外国への融資が増えて貴金属が流出し、これまた当初の意図がだめになる。この二つの要因は特に大国だと大きく効いてくる。貴金属の生産が一定なら、どっかの国への流入はどっかの国からの流出だ。だからこっちの国で労働コストが上がり金利が下がったら、他の国ではその逆が起きて、変動が際だつから。
- 9. 15 世紀後半-16世紀スペインは、貴金属が増えすぎて賃金水準が上がったために貿易が壊滅した例だ。20 世紀第一次世界大戦以後のイギリスは、外国への融資と外国資産の所有が増えすぎて、国内の完全雇用を実現するだけの低金利が実現できなかった例だ。インドは流動性選好が強すぎて、貴金属が大量に流入しても、実際の富の成長に見合うまで金利が下がらなかったために窮乏した国の例だ。
- 10. とはいえ、賃金水準が一定で、消費性向と流動性選好も一定で、貴金属のストックとお金の量ががっちり結びついているような金融システムの国なら、政府としては交易条件改善を重視すべきだというのは事実だ。
- 11. でもその場合でも、輸入制限をすれば最高の交易条件が実現できるわけじゃない。初期の重商主義者はこれを知っていて、しばしば保護貿易に反対した。19 世紀半ばのイギリスでは、自由貿易こそが最高の交易条件を実現する道だったし、第一次大戦後のヨーロッパでは、交易条件をよくしようとした保護貿易策がかえって足を引っ張っている。
- 12. だから読者のみなさんも、この議論から出てくる実際の政策について早とちりをしないよーに。保護貿易はよほどの理由がないと正当化できない。国際分業からくるメリットは本物だし莫大だ。保護貿易からくる自国へのメリットは、他国を犠牲にするものだ。だから、保護貿易はほどほどにしないといけない。そうでないと、保護貿易競争が始まって、結局はみんなが損をすることになる。さらに保護貿易は、利害関係者によってゆがめられる可能性があまりに高い。
- 13. ここで批判したいのは、これまでの古典派理論による自由放任ドクトリンの理論面だけだ。金利と投資量は自律性を持ってるから交易条件なんか心配しても意味ないよ、という議論はよくない。現実的な国の政策として何世紀も重視されていたことを、経済学者たちはただの妄想として片づけちゃっていたわけだから。
- 14. このまちがった理論に影響されて、ロンドン市は金利と為替レートを連動させるという無謀な手に出た。これは国内で完全雇用を実現するだけの金利を設定するという手段を完全に手放したことになる。まあそれでみんな痛い目にあったようだし、だから国内で失業が起きるような形で交易条件を維持しようというような動きが二度と起きないことを期待したい。
- 15. 古典派経済学は、個々の企業や、一定量のリソースの雇用からくる産物の分配に関する理論としては実に有益だった。でも、経済全体を見てリソースすべての雇用を考えるべき国の理論としては、むしろ重商主義時代の古い理論家のほうが多少現実的な知恵を持っていたかもしれない。古い理論家たちが高利貸し禁止法によって金利を下げたがったり、お金の国内ストックを維持したり、賃金上昇を抑えようとしたりしたのは意味があったし、それが失敗した時に奥の手として通貨切り下げでお金のストックを回復させようとしたのも意味はあった。
Section III
- 16. 昔の経済思想家たちは、実際的な知恵にはたどりついていたけど、その根底にある理論はヘボだった。じゃあ、その推奨政策の理由として連中がどんな理屈を挙げていたかを見よう。これはヘクシャー教授『重商主義』があるので実に楽です。
- 17. (1) 重商主義思想は、金利が適正水準になるような自己調整機能を想定しなかった。高すぎる金利が成長を阻害するのを知っていた。金利が流動性選好やお金の量に依存するのも知っていた。流動性選好がだんだん下がるのと、お金の量を増やすことの両方を気にかけていたし、両者の関係がわかってる人もいた。
- 18. 金利とお金の量との関係を抽象的に表現したのは、大ロックがペティとの論争の中でやったのが最初らしい。ロックは、お金には利用価値(金利であらわされる)と交換価値(お金の量と商品の量との相対関係に依存する)がある、と言った。だからロックは二重価値(twin quantity) 理論の創始者だ。でも、かれはこの両者の関係で混乱して、流動性選好の変動の可能性を見逃した。でも金利を下げただけじゃ価格水準は変わらないことは示した。
- 19. 他にも、重商主義者が金利と資本効率とのちがいをきちんと理解していたことを示す資料はある。
- 20. 重商主義者たちは、貴金属が大量に流入してきても、それが過剰な流動性選好のせいで貯め込まれてしまえば、それが金利に対してもたらす便益がなくなるのを知っていた。だから国庫に金属を備蓄するような政策にはみんな反対した。
- 21. (2) 重商主義者は値引き競争が有害で、下手をすると交易条件を悪化させることも知っていた。
- 22. (3) 重商主義者は、「財の恐怖」(輸入品が入ってくることで国内在庫がだぶつくこと)とお金の希少性が失業を引きおこすと考えていた。これは新古典派が 200 年後にバカげたものとして否定した理屈だ。
- 23. 重商主義者は、自分たちの保護貿易策がこの点で一石二鳥だと知っていた。
- 24. かれらがそう思ったのは、経験的に見て史上ずっと、人は投資したがるより貯金したがったからだ。
- 25. (4) 重商主義者たちは、自分たちの政策が国粋主義的で戦争を引きおこしやすいのも十分承知していた。
- 26. 承知してたのにそれを見過ごしたのはひどい、という見方もある。でも知的にはかれらはリアリストだった。それは現代の、固定金本位制と国際融資の自由放任政策を支持してこれぞ平和のための最高の策と思っている連中の混乱ぶりよりずっとまし。
- 27. だって、お金が減ってその他の条件が同じで、お金の流通と金利が経常収支で決まるようなところでは、国内の失業対策としては近隣を犠牲にして輸出振興をし、お金となる貴金属を輸入するしかなかったんだもの。金本位制は、ある国の繁栄を他の国の繁栄とトレードオフにする最悪の政策だ。そして一部の国がそこから離脱しようとすると、正統経済学者たちはそれを復活させろと助言したりする。
- 28. 実際には正反対が正しい。国際状況と関係ない自律的な金利水準と、国内雇用を最適水準に保つ国内投資策は、自国にためにもなるし近隣国も犠牲にしない。世界中がこれをやるのが、あらゆる点で一番いいのだ。
Section IV
- 29. 重商主義者たちは、問題があることは理解したけれど、分析を深めてそれを解決することはできなかった。でも古典派は、勝手な前提を作ることで問題自体をないことにしちゃったのだ。
- 30. 元イギリス首相ボナー・ローは、経済学者たちが自明のことを否定するので困惑していたぞ。古典派理論は現実離れした宗教みたいなものになっている。
Section V
- 31. 昔から正しいと考えられてきたけれど古典派が「バカげてる」といって否定した話がもう一つある。金利水準は社会的に最適な水準には自動的に落ち着かないから、政府は法規制で金利を引き下げるようにすべきだ、という考え方だ。
- 32. これは人類最古の経済慣行の一つだ。過剰な流動性選考のせいで投資が抑えられるのは、古代でも中世でもとても悪いことだった。そして、昔は経済的なリスクやハザードが多かったので、投資したがらないのも無理のないことだった。だから危険の多い世界では、金利を放置すれば適正な投資を誘発しないほど高くなるのはあたりまえだ。
- 33. 古典派は、それがバカげた発想だと教えるけれど、でもそう見えるのは金利水準と資本の限界効率とをごっちゃにしているからだ。
- 34. アダム・スミスだって、高利貸し禁止法についてはとても寛容だった。貯蓄は投資か借金に吸収されるけれど、前者を増やすには低金利のほうがいいのだ。ベンサムのスミス批判だって、スミス式だと金利が高すぎて事業者がそれを借りて投資するだけのリスクがとれないからだった。
- 35. ちなみに、ベンサムの批判がスミスの意図をきちんと読めてるかどうかは疑問もある。
Section VI
- 36. ここで不当に無視されている奇妙な予言者シルビオ・ゲゼル (1862-1930) に触れておく。かれの研究には深い洞察があって、単にそれを十分掘り下げられていないだけだ。自分も古典派思想に毒されていたときにはこいつがイカレポンチだと思っていて、その価値に気がついたのは最近だ。
- 37. ゲゼルはドイツの商人で、その後アルゼンチンに行って、そこの経済問題を見て理論を構築した。その後スイスに引退し、著作と実験農業に専念した。
- 38. その後、かれの信奉者は変なカルトになってる。でも、理論的にもアーヴィング・フィッシャーに評価されている。
- 39. 崇拝者には変な予言者扱いされてるけれど、ゲゼル自身の著作は冷静で科学的だ。ちょっと社会正義方面の議論に熱がこもりすぎてはいるけど。一種の反マルクス的社会主義理論で、マルクスとちがって古典派理論を受け入れず、競争も否定しなかった。いずれマルクスより影響が大きくなるだろう。
- 40. ゲゼルは、利率と資本の限界効率をはっきり区別していて、実質資本の成長を左右するのは利率だと指摘。また利率は純粋に金融的な現象だということ、お金が奇妙なのは、富の保有手段として保管コストがないことで、その他の保管コストを持つ財がリターンをもたらすのは、お金の設定する基準のせいだ、というのを主張。
- 41. でもゲゼルの理論には大きな欠点がある。財のストックを貸して収益が得られるのは金利水準があるからだというのをゲゼルは示した。でも金利がマイナスになれないと述べただけで、なぜ金利がプラスなのか、というのを説明せずにすませているし、金利がなぜ生産資本からの収益に左右されないかも説明していない。かれは流動性選好という概念を思いつかなかったからだ。
- 42. かれの理論が学問的に無視されたのはこの欠点のせいだ。でも、現実的な提案はできた。実質資本の成長が金利のせいで抑えられていて、金利による制約をなくせばもっと資本は成長する、とゲゼルは考えた。このためには、一時的にゼロ金利でもいいだろう。そこでかれが思いついたのは、フィッシャー教授も絶賛の有効期限印紙式のお金だ。紙幣は毎月新しく印紙(郵便局で販売)を貼らないと価値を保てないことにするわけだ。その印紙代は、年率 5.2 パーセントくらいが提案されているけれど、まあこれはやってみないとわからない。
- 43. この発想はしっかりしているし、小規模なら実現可能だ。でもゲゼルの考えなかった問題がある。流動性プレミアムを持っているのはお金だけじゃない。だから印紙でお金の流動性をなくせば、別のものが使われるだけだ。外貨とか宝石とか貴金属とか、時には土地だって。
Section VII
- 44. ここまで見てきた理論は、有効需要を考えるとき、投資の誘因が十分かどうかを考えるものだ。でも失業の原因として消費性向の不足を挙げる説もある。これは最近になって出てきた考え方だ。
- 45. 消費不足が問題だという説は重商主義にもあったけれど、でも贅沢はいけないという発想と、金貸しは悪だという根深い発想があったからだ。
- 46. これを最もよくあらわしているのは、マンデヴィルの『蜂の寓話』だ。
- 47. 詩の中身は、倹約が流行して豪華な消費が否定され、豪邸や軍備は売られて借金返済にまわされた、というものだ。そうしたら、消費が減って社会が総崩れになった、という話。
- 48. マンデヴィルは、ちゃんとこれに理論的な根拠を持っていた。
- 49. この発想は二世紀にわたってものすごい攻撃を受けることになる。
- 50. それが復活したのは、後期のマルサスになってからで、失業の原因は有効需要の不足だと主張されている。
- 51. でもリカードはこれを黙殺したし、ミルはちょっと触れたけれどその後継者たちはこれをないことにしてしまった。その後、この発想をきちんと述べて新古典派に刃向かったのは、ホブソンとママリー『産業の生理学』 (1889) だった。
- 52. ホブソン自身による本の成立事情説明。この本は、貯蓄が多すぎたらどうなる、という議論から出発している。古典派は、そんなことはあり得ないと主張したけれど、かれはちゃんとそれを理論的に考えた。
- 53. ホブソンの序文からの引用。投資は生産のために行われ、生産は消費を満たすためのものだ。でも貯蓄は資本を増やすけれど消費を減らすので、貯蓄が増えすぎると過剰投資が起きる、とかれは論じた。
- 54. (ホブソンの引用部分は略)ホブソンの考えかたはまだ不十分だ。でも投資が貯蓄ではなく消費に対応するものだ、というのを初めてはっきり述べたのはかれだ。
- 55. ホブソンは利子の理論を持っていなかったので議論が不十分だった。
- 56. 低消費の話としては、最近ではダグラス少佐の理論があるが、これはまともなものじゃない。でもマンデヴィルやマルサス、ゲゼル、ホブソンは、不十分とはいえ真実を見ようとした。古典派理論は、明瞭だけれど、まちがったものを見ているだけだ。
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YAMAGATA Hiroo日本語トップ
2011.10.10 YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)
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