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ケインズ『雇用と利子とお金の一般理論』要約、14 章
山形浩生 (全訳はこちら)
14 章 金利の古典理論
Abstract
- 古典派は金利を、投資需要と貯蓄意志とを均衡させる要因だと考えてきた。この理屈のためには、投資需要と貯蓄性向とが独立だと考える必要がある。
- でも、総所得が変わるとどれだけ貯蓄したがるかも変わる。そして投資が変わると総所得も変わる。だからこれらを独立変数として扱う古典派理論は変。
- お金の量を増やしても投資需要や貯蓄意思が変わるべき理由はない。でもお金の量が増えると金利は下がりがち。これは古典派理論のおかしさを示す。新古典派理論はつじつまあわせのため、さらに変な仮定をおいて泥沼になってる。
本文
Section I
- 1. 金利の古典理論ってどんなもの? 改めて見直すと、はっきりわからないし、既存文献にも明快な記述がないんだよね。
- 2. でも、古典派は金利を、投資需要と貯蓄意志とを均衡させる要因だと考えてきたのは確か。投資需要は需要で、貯蓄意志が供給、金利はその均衡価格、というわけ。
- 3. これはマーシャル『経済学原理』など各種文献には明記されていないけれど、書かれていることを見るとそういう想定になっているのがわかる。
- 4. 古典派理論を教わってきた人々や学者も、貯蓄をするとそれは価格(金利)を引き下げて、それが投資をうながし、新しい均衡価格(金利)をもたらす、と思っている。
- 5. でも前章までの分析で、これは変だということがわかるはず。どこに見解の相違があるのか見るため、まずは合意できている点を整理しよう。
- 6. 新古典派は、貯蓄と投資が一致しないこともあると考える。でも古典派は、それが常に等しいと考える。さて、ぼく(ケインズ)も、資本の限界効率スケジュールや投資需要スケジュールなんてものを考えているので、この部分では古典派と大差ない。
差が見えてくるのは、消費性向と貯蓄性向の話から。ただし、古典派も所得が増えると貯蓄が増えることは認めるだろうし、ぼく(ケインズ)も金利が貯蓄に影響しないとまで言う気はない。所得水準が一定なら、確かに資本需要と、所得の中でどれだけ貯蓄するかという供給は、金利によって一致する(注:強調は解説者)。そこまでは両者が合意できている。
- 7. でも、古典派がまちがえるのはそこからだ。古典理論は、所得水準が変わったら貯蓄も変わる、ということを無視しているのだ。そして内部的にも一貫性がなくなる。
- 8. この古典派理論がなりたつには、お金に対する需要曲線(投資)とお金の供給曲線(貯蓄率)とが独立に動く必要がある。その交点が金利の水準というわけだ。この理屈が金利の変化を見るのに役立つためには、この投資曲線が動いても所得水準は変わらないと想定する必要がある。でも、実際には投資が変われば所得(産出)も変動する。すると新しい均衡金利がどこかはわからない。だからこの説明は破綻している。
- 9. これを図で説明することもできる(generaltheory14add.pdf)
- 10. だから古典派が金利の説明に使う式は、理論としては不十分。
- 11. このまちがいは、利息というものが消費しないことに対する報酬だと考えるせいで生じる。実際は、現金を貯め込まない(利息のつく形で貸して流動性を放棄する)ことに対する報酬。類似の例で考えるなら、ある投資に対する融資のリターンは、別にそのお金を使わないことに対する報酬ではなく、それなりのリスクを負担することへの報酬でしょう? ここでも話は同じ。
- 12. 古典派も、これを認識する機会はあったはず。所得から貯蓄にまわるお金が増えても、必ずしも金利は高くならないというのは、カッセル『金利の性質と必要性』でも指摘されていた。
- 13. また、お金の量を増やすと金利は下がる傾向がある(少なくとも短期では)ことは指摘されていた。でも、世の中のお金の量が増えたって、投資需要のスケジュールが変わったり、手持ちの所得の中から貯蓄にまわす率を変える理由はない。だから古典派の教科書だと、価値の理論で述べる金利と、お金の理論で述べる金利とがまったく別物になっている。
新古典派はこれを何とか統合しようとして、一層泥沼にはまっている。投資需要スケジュールに対応するお金の供給は2種類あるんだ、という話を始めて、古典派の言う貯蓄にくわえ、お金の量が増えたことによって生じた資金(強制貯蓄とか呼ばれてる)なるものがあるんだと言い出す。あげくの果てに、通貨量を一定に保てば貯蓄と投資のずれはなくなるんだ、なんて言い始める。
- 14. つまり古典派(と新古典派)は、このシステムの独立変数を抽出しそこなっている。貯蓄と投資はこのシステムの結果であり、原因じゃない。原因は消費性向、資本の限界効率、金利(利子率)だ。
従来の理論は、所得が投資に左右されることを見落としていた。
- 15. また古典派理論は、金利を資本の限界効率で説明しようとするのにも失敗している。両者に関係があるのは事実だが、そこから金利を導こうとすると循環論法になってしまうよ。
- 16. さて、これは理論的にものすごく根本的な修正を強いるものだし、また現実への応用面でもものすごく大事になる。
理論的には、いままでの理論だと、消費が減ると金利は下がり、投資が増えると金利は上がることになる。でも実際には、両者が決めるのは金利ではなく総雇用だ。消費を減らすと投資が増えるという発想と、消費を減らすと雇用が減るという発想とでは、政策的な意味合いがまったくちがってくる。
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2011.10.10 YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)
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