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ケインズ『雇用と利子とお金の一般理論』要約、10 章
山形浩生 (全訳はこちら)
10 章 限界消費性向と乗数
Abstract
- 社会全体としては、所得が増えたらその一部を消費して、一部を貯蓄/投資にまわす。消費にまわす分の比率を「限界消費性向」と名付けよう。
- 消費にまわらない分は、貯蓄になり、それは投資に使われる。投資が増えるとその分、社会の総所得も増える。その比率を乗数と呼ぼう。
- 限界消費性向が高ければ、乗数も大きい。公共事業をして投資を増やすと社会の総所得(つまり総雇用)を大きく増やせる。公共事業自体はダメでも、それが雇用を生み出すことで有益なものになり得る。
- ちなみに、ダメで無駄な公共事業でも有益なのに、いまの世間は無駄な公共事業はダメとこだわり、それが社会全体にもたらす失業減少効果を考えない。平然と無駄なピラミッドを作れた古代エジプトのほうがよかったかも。
本文
- 1. 第8章で見たとおり、消費性向が一定なら、雇用は投資に比例する。ということは、所得と投資、そして投資とそれによる雇用の増分は比例関係になる。つまりこれらの間には乗数がある。これ、すごくだいじなところ。でも、その前にまず、限界消費性向ってものを考えよう。
Section I
- 2. ふつうは、たくさん働けば所得は増える。収穫逓減を考えるとあれこれあるが、実質所得を一人当たり賃金(賃金単位)の倍数として考えると便利。
- 3. さて、社会全体で見ると、所得が増えてもそれが全部消費にまわるわけじゃない。所得の増えた分(\(\Delta Y_w\))は消費の増えた分 (\(\Delta C_w\)) より大きい。これを微分っぽくして\(\frac{dC_w}{dY_w}\)というのを、限界消費性向と定義しよう。(訳注:ここらへん、添え字でついている\(w\) はほとんど意味がないので無視してかまわない。一人当たり賃金を単位として測っているというだけの話なので)
- 4. 限界消費性向はとても大事。社会の次の稼ぎが、消費と投資でどんなふうに分配されるかがこれで決まるからだ。消費の増える分が\(\Delta C_w\)で、投資の増える分が\(\Delta I_w\)ならば、\(\Delta Y_w=\Delta C_w + \Delta I_w\)となる。この比率がだいたい同じだとすると>\(\Delta Y_w=k \Delta I_w\)と書ける。限界消費性向は\(1-\frac{1}{k}\)になる。
- 5. ここで\(k\)を投資乗数と呼ぼう。総投資が 1 単位増えたら、総所得はその \(k\) 倍増えるってことですな。
Section II
- 6. カーン氏も似たような乗数を考えていて、かれは投資が雇用を増やす分が総雇用にもたらす変化の乗数を見ている。雇用乗数というべきか。
- 7. 雇用乗数と投資乗数が同じになるべき理由はない。産業ごとに雇用の具合はちがうから。ただ話を単純化して、これを同じものだとしてもいい。
- 8. たとえばある社会では、所得が増えたらその9割を消費にまわすとしよう。乗数 \(k=10\) になる。そして、最初の投資が増やした雇用に対し、総雇用は 10 倍増える。所得が増えても消費が一切増えなければ、総雇用の増分は最初の投資が増やした分だけになるし、所得の増分をすべて消費にまわす社会なら、雇用は無限に発散して物価も発散する。
- 9. 結局、社会として投資を増やすには、人々が貯蓄にまわす分を増やさなくてはならない。人が貯蓄を増やすのは、所得が増えたときだ。その増分は、投資の増分に対応する。所得が増えたときにどのくらい貯蓄を増やすかは、心理学的な要因で決まる。
- 10. すると、もし限界消費性向が 1 に近いなら、ちょっと投資が変わるだけで雇用は大幅に変わるけど、ほうっておくとどんどん悪化する。逆もなりたつ。前者なら、非自発的失業はすぐになおせる。後者だとがんばらないとダメだけど、ほうっておいてもどうってことはない。現在はその間くらいで、雇用を増やすには投資をかなりしないとダメだけど、でもほうっておくとすぐ悪化するという悪いとこ取りになっている。
- 11. 完全雇用が実現されたら、それ以上投資を増やそうとしても物価が上がるだけ。
Section III
- 12. これまでの話は、純増を扱っていることに注意。実際には、公共投資で雇用が1000人増えたら、その分他のところで雇用が減って、純増分はずっと少なくなる可能性がある。
- 13. そういう可能性としては、いくつか無視できないものがある。(i) 公共事業で金が流れ込むと、金利が上がって他のところでの投資が減るかもしれない。(ii) みんな心理的に混乱して、安心が下がって、流動性選好が上がるとかして、投資に流れる金が下がるかも。(iii) 投資の増分の一部が外国に流れるかも。ただし逆の可能性もある。
- 14. さらに公共投資がでかければ、それがじわじわと限界消費性向を変えることだってあるでしょう。
- 15. その他いろいろ考えられることはある。でも、どの要因もおおむねこの傾向を相殺するより加速するものばかり。
- 16. また、大規模な投資より小規模な投資のほうが乗数は大きいでしょう。大規模だと、全体的な効果は限界消費性向の変化をならしたものになってしまうので。
- 17. ま、これはいずれにせよきちんと計測しようとすると面倒くさい。貿易とかあるといろいろ変えないとダメだし。
- 18. ただし、一般的な話としてはこの乗数は成り立つでしょ。国民所得に比べてあまり大きくない投資量が変わるだけで、総雇用や総所得が大幅に変わることを理解するにはもっと検討を進めよう。
Section IV
- 19. ここまでの話は、生産者が未来のことを合理的にきっちり見通して、価格その他をすぐに変えるという想定があって初めて成立する。
- 20. でも、実際には資本財産業の生産はそんなにきちんと見通せないこともある。すると、雇用への影響は少し遅れて時間をかけて生じる。これを考えると、乗数の話はちょっとわかりにくくなるようだ。
- 21. 予想外の(または予想が不十分な)資本財増加は、すぐには投資増にはつながらないかもしれない。その場合、まず反応が始まる時期が遅れ、その後の投資増大もじわじわくる。そうなると限界消費性向も、本来の値から一時的にずれる可能性がある。
- 22. だから資本財産業が拡張すると、その後の総投資増大は(ドンとまとまって起こるのではなく)数期にまたがって生じるし、限界消費性向も、均衡値や予測値からずれる。でもどの期でも、その期の中だけで見ると乗数理論はちゃんと成立している。
- 23. これを理解するには、極端な例を考えよう。資本財産業での雇用拡張がまったくの不意打ちだったとき。すると最初、消費財の産出はまったく変わらない。資本財産業で新規に雇われた人たちが消費を増やすから、消費財の価格は上がる。一方で価格が上がって人々が消費財の消費を遅らせたり等々で、とりあえずの均衡価格に落ち着く。でもその後、人々は遅らせた消費を取り返そうとしていつもより消費を増やすし、消費財産業のほうがは新しい需要水準に対応しつつ減った在庫を回復させようと生産を増やすので、資本財での生産増以上の増加を一時的には見せる。
- 24. 予想外の変化の影響が浸透するのに時間がかかることが重要になる場面はある。でもそれで乗数効果の理論の意義が減るわけじゃない。あと、生産増が小規模で既存設備の稼働をあげるだけでいいなら、遅れも大したものにはならない。
Section V
- 25. まとめると、限界消費性向が大きいと、乗数効果も増え、投資変化が雇用に与える影響も増える。じゃあ、貯蓄率の低い貧乏な社会のほうが、ものすごい変動にさらされるってことだろうか?
- 26. そうとは限らない。これは平均消費性向と、限界消費性向をごっちゃにしている。限界消費性向が高いと、投資の変動率に対する影響の比率は上がるけれど、平均消費性向が高ければその影響の絶対額は小さくなる。
- 27. を数値例で考えよう。ある社会では、既存の資本設備を 500 万人雇って動かして生産すると、その生産分は全部消費してしまう。追加で 10万人雇って生産した分は、99% が消費される。さらに 10万人雇って生産した分は、98% だけ消費され、次の 10万人の生産分は 97%... ということにしよう。そして完全雇用は 1,000 万人だ。
すると、\(50 + n \times 10\)万人が雇用されているときの限界での乗数は\(\frac{100}{n}\)になって、国民所得の\(\frac{n(n+1)}{2(50+n)}\)が投資にまわされる。(訳注:収穫逓減は考慮されていないので、追加雇用で生産される量は一定)
- 28. すると、520 万人が雇用されているときの乗数は、50でとても大きい。でも投資は所得のほんの一部、0.06% にしかならない。すると、投資が1/3に激減した場合でも、雇用は510万人になり、2% 減るだけですむ。
一方、雇用が 900 万人になったら、限界での乗数は2.5でかなり小さい。でもいまや投資は現在所得の 9% と、ずっと大きくなる。ここで投資が1/3になったら、雇用は 730 万人になり、つまり 19% も減ってしまう。
投資がゼロになる極端な例を考えると、まえの場合なら雇用は 4% 減るだけだが、後者だと 44% も減る。
- 29. いまの例だと、貧しい(訳注:つまり生産量が小さい)方の社会が貧しいのは、雇用が少ないせいだ。でも、貧しい理由が技能の低さや設備の質の悪さのせいであっても話は同じ。貧しい社会は乗数は大きいけれど、雇用に対する影響は豊かな社会のほうがずっと大きい。
- 30. いまの例でもう一つわかること。公共事業で同じ数の人々を雇う場合、総雇用に与える影響は、失業率の高い社会のほうが低い社会よりずっと大きい。いまの例だと、雇用が 520 万人に落ち込んでいたら、公共事業で 10 万人雇うと総雇用は 640 万人に増える。でも総雇用が 900 万人だと、公共事業で 10 万人雇っても総雇用は 920 万人になるだけだ。だから、失業が高いときには、それ自体としてはダメな公共事業であっても、失業対策が減る分で十分おつりがくるかも(消費性向にもよるが)。一方、完全雇用に近づいて消費性向が下がると、公共事業の効果は激減する。
- 31. いろんな状況での消費性向を統計から計算することもできるはず。でもいまの統計はそこまでの精度はない。知る限りいちばんいいのが、アメリカを例にしたクズネッツのやつだけど、これで見ると投資乗数はぼく(ケインズ)の予想よりずっと低い。数年まとめると、乗数は3とか2.5とか。すると消費性向は60-70%くらい。好況期ならありだが、いま (1930年代) の不況時だとどう見ても低すぎる。投資のお金だけがつぎ込まれて、それが設備改善にうまく使われなかったせいかもしれない。あるいは統計の問題かも。
Section VI
- 32. 借り入れをして公共投資を行うのが「無駄な」支出と批判されることがあるけれど、いまの議論を見ると無駄な公共支出でも社会を豊かにすることがわかる。ピラミッド建設や地震や戦争ですら国富を増やせるかもしれない。
- 33. 常識はこういう変な結論をいやがるもんだ。だから、この手の議論を通すには、なまじ「ビジネス」的な判断であれこれケチがつきやすい、多少はいいけど無駄の多い事業をするよりは、まるっきり無駄に見える公共事業をしたほうがいいかも。たとえば、お金を穴に埋めて掘り起こさせるとか。
- 34. お金を埋めて掘り起こさせるのは、まったく国富に貢献しないし、できれば住宅建設とかしたほうがいい。でもそれが政治的に困難ならお金を埋めて掘らせるのでも、何もしないよりはましだ。
- 35. これは金鉱掘りとまったく同じ。金の埋蔵がたっぷり確認されると、世界の実質の富も急激に増える。また借金してでもやるべき支出として政治家が認められるのは戦争しかないようだ。これらは実際には世界の実質の価値には何も貢献しないが、でも富の増加には貢献した。お金を使うなら、もっとましなことをやるほうがいいんだけどね。
- 36. それにほかの事業だと、家を建てたらその分ほかの家の効用が下がる。でも金鉱堀りならそんなことはない。その他いいことあれこれ。
- 37. 古代エジプトは、金鉱探しとピラミッド建設の両方をやっていた点で立派。中世は、聖堂を作ったりした。ピラミッド二つ作ったら二つ分の事業ができてお互いの効用は(ゼロだから)減らないけれど、鉄道を同じところに二つ作るわけにはいかない。その意味で、有益な公共事業ばかり追求して無駄な事業ができない自縄自縛の状況にぼくたちはいるのかもしれない。
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YAMAGATA Hiroo日本語トップ
2011.10.10 YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)
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