CYZO 2008/10号。表紙は 山形道場 ??回

今月の喝ではなく断想:世代刷新とカンボジアの現在

(『CYZO』2008 年 10 月)

山形浩生

要約: カンボジアの官僚はかなり優秀だし、上がいないので自由闊達。かつて日本の戦後官僚が好き勝手にやって高度成長をもたらした(と言われている)ように、ここの人たちも結構自由に能力を発揮することになるかもしれない。



 戦後、日本が高度成長を遂げられた理由については諸説ある。日本の傾斜生産政策が優秀だったのだ、産業政策がよかったのだ、いや人的資源や各種生産能力を考えれば、日本はだまっていても回復したはずだ、戦地で地獄を見た人々が帰国して、死んだ戦友たちの死を無駄にするまいと必死で働いたからだ等々。ある説では、それは経済格差のせいだとさえ言う。貧乏で大学にいけず、稼業をついだり地元で起業せざるを得なかった優秀な人たちが、大学にいけた連中を見返してやろうとがんばったからだ、と。

 もちろんどれも一理あるんだろう。だがもう一つ説がある。敗戦によって、日本の産業も政府も一気に若返った。かつての各種分野における重鎮たちは、死んだり、公職を追われたりして、かつての地位を失った。残った人々も敗戦により完全に自信を喪失しており、古いやり方を声高に主張することはなかった。このおかげで新しい世代の若手が自由に活躍できる場ができた。かれらは、旧弊にとらわれることなく、自由に自分たちの思い通りの方針を試すことができた。この二十一世紀には文壇や政治などででかい面をして老害をさらし、後進の活躍を邪魔しているだけの重鎮たちも、かつては若く柔軟であり、そして若くして能力を発揮する場が与えられていた。それが日本の発展を築いたのだ、と。

 いま、ぼくはカンボジアにきていて、何となくこの説を思い出している。ご存じの通りカンボジアでは、1970年代にクメール・ルージュの猛威が吹き荒れた。政府の官僚たちはすべてつかまり、殺戮された。ちょっとでも頭がよさそうなやつは、捕まって拷問され、殺された。西原理恵子に言わせると「頭のいいやつと美人を全部殺してしまったので、残ったのは……」というわけ。

 そして、過去十年くらいカンボジアで各種の仕事をしてきた人たちの話は、これを裏付けるようなものばかり。足し算のできるやつさえなかなか見つからないとか、あーだとかこーだとか。だから今回くるときも、かなり覚悟を決めてやってきたのだった。

 が……思ったよりまとも。というか全然いい。いろんなアポの設定もきちんとやってくれるし、何をしたいかという目標もそこそこ明確だし。そして、驚いたのが、役所の人々がものすごく若いこと。1970年代に働き盛りだった世代が一掃され、それこそ大学出たてみたいな人たちが、最先端の経済官僚としてばりばり働いている。もちろん、みんな経験は限られているし、年季の入った人から見れば、あんなことも知らない、こんなこともわかってない、と突っ込みどころはあるんだが、でもがんばって勉強しているし、新しいことをやってみようという気概もかなりあるようだ。

 唯一謎なのは、ここの財務経済大臣。この人は化け物で、ポルポト以前も財務省の重鎮、クメール・ルージュにも仕え、そしてその後も財務経済省に居続けているという信じがたい存在だ。なぜそんなことが可能なのか、どう粛正を逃れたのかは皆目見当もつかないのだけれど。

 が、大臣はさておき、ここの官僚たちを見ていると(といっても一週間しか見てないので、断言はできないが)、なんとなく日本の発展の世代刷新説に説得力を感じてしまうのだ。そしてもしそれがあたっているとすれば、いまはそんなに注目もされていないカンボジアではあるけれど、意外と今後十年くらいでものすごく伸びるかもしれない、という気がしなくもない。もちろんその分、ヘマもあるだろうけど。なんだか安易な会社に銀行の免許を出したりもしているし。

 ちなみにプノンペン市内は建設ラッシュで、あちこちに高層ビルの建設計画なんかが出ているが、どうなりますやら。

近況:というわけでカンボジアにきております。最後にきたのが十五年前なので、当然ながらえらく変わっており、なかなか感慨深いものがあります。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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