CYZO 2008/06号。表紙はケータイのイラスト 山形道場 第 110 段

今月の喝! 言論の自由周辺で二題

(『CYZO』2008 年 06 月)

山形浩生

要約:烏賀陽弘道が、記事にコメントを出しただけでオリコンに訴えられて敗訴した。信じられない言論弾圧。またバカな発言をした青学の教師を、青学がクビにしようと検討しているとか。でもそんな責任はとれないとはっきり言うべき。さもないと、あらゆる言論を勤め先が把握して管理しろという話になってしまう。



 あまり話題になっていないようなんだけれど、本誌のインタビューに答えてオリコンについてコメントした烏賀陽弘道が、そのオリコンに名誉毀損で訴えられたという裁判があった。そしてなんと驚くべきことに、先日判決が下って、なんと敗訴! どう考えてもオリコンの主張は無茶で、スラムダンク並の悠々楽勝だと思っていたのに……

 何か書いたことで訴えられて、名誉毀損だ損害賠償だ、というのは当然ある。が、それは最終的に、自分で書いた物について自分で責任を取るという話ではある。  だけれど、今回は単なるコメントだった。記事をまとめたのは編集部のほうで、烏賀陽弘道はその記事の材料提供として話をしただけだった。新聞や雑誌やテレビなんかにコメントをした人ならみんな知っていることだけれど、あれこれ 20 分も懇切丁寧に説明したところで、使われるのは一行(それも歪曲しまくり)なんてのはよくあること。そんなものについて、名誉毀損と言われましても。

 判決は、自分コメントがそのまま使われると知っていた場合には「例外的に」責任が発生するという、なんだか変な理屈だった。でも、コメントがそのまま使われる場合だってそれをどう処理するかによって、その意味合いはちがってくる。そのコメントがストレート使われることもあるだろう(問題の記事みたいに)。でも同じコメントに文脈でまったくちがう意味合いを持たせることもできる。読者が記事からうける印象は(名誉を毀損しているかも含め)、そのコメント単体に左右されるものではなく、その記事全体の色づけで決定される。ならコメントをした人に「名誉毀損だ」と言ってその色づけや印象の責任を求めるのは明らかに変だろう。

 ただもちろん、じゃあコメントするやつは一切の責任を負わずに好き勝手あることないこと言ってりゃいいのか、と言われると口ごもるところはある。責任は全部、その記事をまとめた雑誌なり記者なりが負うのか? それは逆に、そうした雑誌や記者を萎縮させてしまうことにはならんのか? コメントする側も(加工されるのは承知の上でも)何らかの規範はいるんじゃないのか、とは思う。むろん今回の烏賀陽弘道が、そんなまったく無責任なコメントをしていたとも思わないけれど。

 さて言論の自由がらみでもう一つ。ぼくは以前のこのコラムで書いたように、だれかが何かをしでかしたときに、親や勤め先が出てきて謝罪するという風潮が非常に嫌いだ。従業員が業務に関係ない範囲でプライベートでやることは知ったことではない、と言うべきだし、またその職場や関係機関に嫌がらせの電話をして喜んでいるような連中はどんどん取り締まっていいとも思っている。が、先日、光市母子殺害事件について青学の准教授が自分のブログにろくでもないコメントを書き、それが「炎上」したために青学の学長が謝罪したとか、その准教授の処分が検討されているとかいう話がこれを執筆している時点で伝わってきている。

 でも、それはやっちゃダメだろう。一応、青学は大学として、アカデミズム的な規範を重視すべき機関だろうに。そこで自分の意見を書いただけで処分されるなんてのは、大学としての機能を自ら否定するものだ。そりゃ書いた中身は愚劣きわまるものではあった。でも大学教員の相当部分は、もともと世間知らずの不適応者だ。そういう人間をある程度飼っておくのも大学の存在意義だし、そのときの世間にあわない意見の持ち主だというだけで、すぐに追い出さないのも大学の見識だろうに。学長が謝るというのは、学長は今後教職員たちのあらゆる言論活動その他を把握して管理するつもりだろうか? そんなことはできないだろうし、するべきでもない、とぼくは思うのだ。あんな愚かしいことを書く人間なんかこれっぽっちも擁護したくはないけどね。

近況:月刊ペースで訳書や著書が出ていますが、そろそろ打ち止めになりそう。やれやれ。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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