CYZO 2008/05号。表紙はジャニーズ宛のし袋 山形道場 第 110 段

今月の喝:新東京銀行の破綻責任問題

(『CYZO』2008 年 04 月)

山形浩生

要約: 新東京銀行は、普通の銀行が手を出したがらないヤバイ融資先に融資しろといって石原慎太郎が始めさせたもの。ヤバイ融資先に貸せば、不良債権は増えるよ。それは旧経営陣の責任ではなく、そもそもの石原慎太郎の方針がいちばん悪いでしょう。



 何やら、新東京銀行に金をつっこんで救済することが決まってしまったんだけれど、当然ながら周辺の声はきびしい。そりゃそうだろう。もともと不良債権のかたまりになるべく設置された銀行だし、今後もそこから逃れられるはずもないんだから。

 新東京銀行は、もともと通常の銀行がお金を貸さないところに融資するための銀行として始まった。バブルがつぶれたあとで、各種の融資が引き締められ、一部企業が銀行の貸し渋りにあって困っている、一般庶民をイヂめるけしからん銀行どもめ、という扇情的な報道に乗っかって、それを自分が救ってやるというパフォーマンスを都知事がやろうとして、設置されたものだ。

 でも、通常の銀行だって別に意地悪で貸さなかったわけじゃない。バブル期の融資は本当にずさんだった。それを引き締めること自体は、当然のことではあった。限られた時間と情報の中で融資先を減らすうちに、いくつか(健全ではあっても)融資からはずれてしまうところもあっただろう。でも、融資を受けられなくなったところの大半は、本当にそれはそれはひどい融資対象ではあったのだ。

 貸し渋りと言われた時期――それは実はそんなに大したことはなかったんだけれど――にも、通常の銀行だってちゃんとしたところには貸したかった。でも、クソとミソをきちんと選別できるノウハウがなかった。それだけの話。

 その状態で、貸し渋りに会ったところに融資しようとすればどうなる? 一般銀行にはない、クソとミソとの選別ノウハウが新東京銀行にあっただろうか。もちろん、あるわけないじゃん。だとすれば、クソもミソもいっしょくたに貸すしかない。当然、破綻するところの比率は高くなるしかない。旧経営陣が変なところに融資していた、といまになってメディアは批判するけれど、それは石原知事の命令を忠実に実行しようとした場合に必然的に起きることではあった。かれらが別に邪悪だったり悪辣だったりしたわけではなく、石原慎太郎のただの無責任なスタンドプレーを忠実に実行しようとしただけだと思うよ。そして他の銀行の貸し渋りなんてものが解消されるにつれて、当初の計画通りの融資をするのはますますむずかしくなっていった。それだけの話なんだけれど。ますますクソな融資先しか残っていなかっただけなんだけれど。

 で、この構図でいちばん悪いのはだれ? 明らかに、最初に(特別なノウハウがあるわけでもないのに)人気取りのスタンドプレーに走った石原都知事じゃないの?

 都知事はそれに対し、この銀行を再生させるのが政治的責任とかわけのわからないことを口走っている。それで数百億円か。やれやれ。でも、それだけの金をつっこんだとして、今後再生させられるだけの見込みはあるんだろうか。やるとすれば、そもそもの設立根拠を完全に否定する以外にはなくなる。他の銀行でも融資してくれるようなところに融資する、ということだ。でも、それだったらこの銀行の存在意義は何? 何もない。

 もし都知事が本当に責任を取りたいのであれば、後を濁さず任期中にきちんと潰して清算するのが筋だと思うなあ。まあ石原慎太郎が自分のまちがいを潔く認められるような人物だとはだれも期待していないけれど。

 都民としてはあほくさいと思いつつも、こんな人物を都知事に頂いてしまったのが運のつきと思うしかない。都民が自分で選んだんだろ、と言われればそれまでなんだが、前回の選挙のときは単に目立ちたいだけのバカがたくさん立候補して、まともな選挙ではなかったからなあ。ともあれ、未来が明らかにないこの銀行の断末魔が長引かないことだけを祈るしかない。やれやれ。

近況;アフリカのレソトというところにいってきました。思っていた以上によいところでびっくり。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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