CYZO 2008/03号。表紙は 山形道場 第 106 段

今月の喝、というより愚痴:アフリカの将来

(『CYZO』2008 年 04 月)

山形浩生

要約: ケニアは地方選が接戦だっただけで、ちょっとした諍いがすさまじい民族浄化に発展し、南アは難民流入と同時に貧困黒人たちが暴徒化、移民とそれを雇っている商店主を虐殺して店に放火を(実にうれしそうに!)繰り返している。これを繰り返すからアフリカは発展できないんだが、どうしていいのかぼくにはわからない。



 二月に、ぼくがガーナを出るのと入れ違いにブッシュ米大統領がやってきた。任期切れ前の、何しにきたんだかよくわからないアフリカ漫遊の一環で(一応、各種の援助を入れてそれなりによい結果が出たところを回り、恩着せがましいことをしようという魂胆なんだけど)、おかげで空港周辺の道路が警備で封鎖されたり、迷惑といえば迷惑だったんだが、エアフォースワンと護衛機たちが見られたから、まあよいことにしよう。

 かれがガーナに来る前にまわったところはベニン、タンザニア、ルワンダで、ガーナの後はリベリアにでかけたはず。中でも特にルワンダは、映画『ホテル・ルワンダ』を見た人ならご存知のあの大虐殺の記憶も生々しいところで、正直言ってあれがいまくらいの平穏にまで回復したこと自体驚くべきことではある。「いまくらいの平穏」というのはつまり、特にそれ以上の殺しあいの話が聞こえてこない、という程度の意味ではある。それに、一応国際社会の注目もあるし、その他アフリカ諸国のできの悪さもあって、虐殺があったことをぬきにしてもかなりよい回復ぶりを見せてはいる。アメリカがその回復に何か貢献しているか、という話はさておいて。

 が、どうなんだろう。あの虐殺では、昨日まで普通に買い物をしていた店のオヤジさんが、今日になったらいきなり山刀をふりまわしてこちらの一家を皆殺しにした、というような事態が山ほどあった。それは、簡単に水に流そうといっても流せるものじゃないだろう。いったい現地の人たちがどうやってそれに折り合いをつけているのかは、平和な世界にいるぼくたちには想像もつかないことだ。それをいうなら、ポルポト政権下で密告し合い、粛正しあった人々が、いま日常的にどんな気持ちで殺し合ったご近所と顔をあわせているのか、考えただけでみぞおちが寒くなる。それを考えると、ルワンダのいまの安定もどれほど脆いものなんだろう。

 特に、去年暮れから正月(そして今)にかけてのケニア情勢がある。ただのつまらない、どこにでもある不正選挙が、対立政党の抗議とちょっとしたデモに広がったところまでは見慣れた風景だったのに、それがいきなり殺しあいの一大民族浄化にまで発展し、アフリカの優等生でそれなりに政府も力を持っていたケニアで、ほんの一、二週間もしないうちにかなり大きな地方がまるごと無政府の内戦状態にまで転落してしまうとは。アフリカ援助の関係者はみんな、それなりの発展さえあればみんな自分の慎ましやかな生活が大事になり、こんなバカげた殺しあいはしなくなると思っていた。スーダンや、その後はチャドなどの争乱(あるいはジンバブエの惨状)は、貧困と弱い政府と特殊な条件(たとえば頭のおかしい独裁者)が作りだした例外的な状況だと思っていた。でもそれがいとも簡単にケニアで起きてしまったことで、アフリカのあちこちに潜む部族的ないがみあいの根深さが最悪の形であらわになってしまっている。

 古い部族間の対立は、何もケニアだけに限ったものではなくて、ブッシュが訪問した他の国であるベニンやガーナにもある。ベニンやガーナでは、かつて他の部族を駆り立てて、白人に奴隷として売り渡して大もうけをしていた民族がいて、当然ながらかれらがいまも現地では優位にたっている。みんな奴隷制を白人のせいにすることでその事実から目は背けているけれど、でも忘れたわけじゃない。ガーナでも、いまだにそうした部族間の小競り合いはあって、ときどきあちこちに渡航自粛令が出たりするのだ。それがいつ、ケニアのような形で噴出することか。そしてたぶん、いまは殺しあいに嫌気がさして反目を我慢しているルワンダでも、いつそれが復活することか。それを考えると、いまアフリカの将来に希望を持つことはえらくむずかしい。

近況:そのアフリカを出て、これを書いているのはベトナム。ここは発展しすぎて困っている、アフリカから見ればぜいたくきわまりないところです。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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