要約: 世界のミクロ国家は冗談みたいなところも多いけれど、なぜそこが国にならなくてはならなかったかという意志の存在を如実に感じさせてくれる。その意志が愛国心というものの根幹ではある。単に国を愛せと教えるのではなく、なぜ日本が日本としてまとまっているのかを教える、という意味での愛国心教育は、日本が日本として存続するために必須だし、その重要性は今後移民が増えるにつれてますます高まる。
最近お気に入りの本が、オーストラリアの世界的ガイドブック会社ロンリープラネットが出している『ミクロ国家ガイドブック』。久々にガイドブックを読みつつ見果てぬ地に思いをはせる体験をしたと同時に、いまぼくたちのいる足下のこともいろいろ考えさせられる本にもなっている。
これは世界の小国を集めた本だ。小国といっても、モナコやバチカンみたいなレベルの小国じゃない。海の中の支柱一つとか(前にこの欄でふれたシーランドだ)、町一つ、家一軒、部屋一つ、なんていうレベルの独立国ばかりが集まっている。どの国も「とりあえず勝手に独立を宣言しました」というもので、明らかになんちゃってな冗談や町おこし企画もあれば、もっとおおまじめなものもある。いずれの国も、勝手に独立を宣言して、シーランドやコペンハーゲンのクリスチャニア、オーストラリアのハットを除けば他国からの認知・交戦などはなく、おおむね無視されているというのが実情ではある。
でも完全な冗談国を除き(いやそれすら)、いずれの国にも共通する条件が一つある。なぜ自分たちが国でなくてはならないか、なぜ敢えて独立を宣言しなくてはならなかったかという存在理由をきちんと持っているということだ。
さてぼくたち――というのは日本の人々という意味だが――は、なぜ敢えて日本が独立国でなくてはならないかという存在理由をきちんと認識しているだろうか。そんなことを考えたことすらあるだろうか。ぼくはそうは思わない。多くの人は、だまっていても日本という国は安泰だと思っている。それが単一民族・言語幻想のためか、単一言語幻想のためか、あるいは単におめでたいだけなのかはわからない。そして単一民族幻想その他を批判する人はいるけれど、その人たちはいったい何を根拠に日本という国がまとまりを持ち得るのか、ちっとも提示できないどころか、提示が必要だとすら思っていないとおぼしい。
が、それは重要なことだ、というのがこの本を読むとわかる。国をまとめあげる根拠は、実は(どこでも)予想外に脆弱だ。そしてそれは絶え間なく強化・更新を必要とする。そうでなければ国は国としての求心力を保てなくなる。何のために自分たちは国となっているのか――それは繰り返し説明し、納得させ、そして国民すべてに共有されるものでなくてはならない。ミクロ国家はみんな、しばらくするとこの点に悩むようになるのだ。
そしてそのための活動がとりもなおさず、愛国心教育ということだ。何のためにこの国が国として存在することが重要なのかを、ちゃんと説明して教えるということだ。そして、なぜ人々がそれに協力するべきなのかを。それをしなければ、国はかなりあっさりと本当の意味で滅ぶだろう。もちろん、その愛国心教育が「美しい国」だのというくだらないナルシズム全開だったらいやだ。でも、何らかの形でそういう指導が必要だというのはまちがいないと思うのだ。愛国心教育はけしからんという人は、いったいそこのところをどう担保すべきなのかを説明したほうがいいんだけど、まあそんな気配はない。むしろ日本が何があっても存続すると信じ切っている無自覚なナショナリズムがあるからこそ、愛国心教育をすべて否定するような話が平然とできるんじゃないかという気さえする。
でも今後移民が入ってくるような状況を考えたとき、それでは通用しなくなるだろう。いったい何が日本を日本たらしめているのか、というポイントを考えることはますます重要となる。ぼくはそれが、天皇なんてもの以上であってほしいと思うし、また平和憲法なんていうつまらない代物であってほしくもないと思う。それを考えることがいかに大事か、ミクロ国家たちはぼくたちに教えてくれているのだ。
近況:しかし日本にはこういう楽しく威勢のいいミクロ国家がどっかにないもんか、と思ってしまいます。
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